2024
01.18

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の70 朝日新聞の珊瑚礁事件

らかす日誌

申し訳ない。またまた「2度目の東京経済部」に舞い戻った。書きわすれていたことを思い出したのである。朝日新聞が激しいバッシングにあった「珊瑚礁事件」である。

「珊瑚礁事件」という言葉を見て、かすかにでもこの事件を思いだしていただける方はどれほどいらっしゃるのだろう? 念の為に事件の概要を書いておく。

1989年4月20日の朝日新聞夕刊に、こんな記事が出た。

サンゴ汚したK・Yってだれだ

「これは一体なんのつもりだろう。沖縄・八重山群島西表島の西端、崎山湾へ、長径八メートルという巨大なアザミサンゴを撮影に行った私たちの同僚は、この「K・Y」のイニシャルを見つけたとき、しばし言葉を失った。
巨大サンゴの発見は、七年前。水深一五メートルのなだらかな斜面に、おわんを伏せたような形。高さ四メートル、周囲は二十メートルもあって、世界最大とギネスブックも認め、環境庁はその翌年、周辺を、人の手を加えてはならない海洋初の「自然環境保全区域」と「海中特別地区」に指定した。
たちまち有名になったことが、巨大サンゴを無残な姿にした。島を訪れるダイバーは年間三千人にも膨れあがって、よく見るとサンゴは、水中ナイフの傷やら、空気ボンベがぶつかった跡やらで、もはや満身傷だらけ。それもたやすく消えない傷なのだ。
日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の……。
にしても、一体「K・Y」ってだれだ」

観光という名の環境破壊を告発する記事である。当然、「K・Y」という傷がつけられた珊瑚の写真が大きくあしらわれていた。いかにも朝日新聞らしい記事ともいえる。私も

「いい写真を撮ったな」

と思いながらこの記事を読んだ記憶がある。文章も洒落ているではないか。私の知るFuという社会部記者が書いたものだ。彼は現地には行かず、この写真だけを見てこれだけの文章をものした。名文家である。

そこまでは良かったのだが、実は珊瑚に「K・Y」というイニシャルを彫りつけたのは、取材に行ってこの写真を撮った朝日新聞東京本社写真部の部員であったことが地元のダイビング組合の調査で分かった。つまり、この写真はねつ造だったのだ。今でいえば Fake Newsである。

当然、朝日新聞は世論の強い批判を浴びた。その頃の出来事である。

その日、私は珍しく会社に顔を出し。夜も11時近くなったのでそろそろ帰宅しようと編集局を出口に向かった。すると編集局長室を出て来た I 編集局長とバッタリ顔を合わせた。I 編集局長は私が朝日新聞に入社し、名古屋本社で研修を受けた時の名古屋本社社会部長だった人である。いってみれば、昔なじみだった。
だからだろう。I 編集局長は私の顔を見ると、

「おい、大道君」

と声をかけてきた。

「あ、お久しぶりです」

と応じた私に、I 編集局長はいった。

「君は 俺の顔を見て何だかニヤニヤしているな。俺が珊瑚礁事件で苦しんでいるのがそんなに楽しいか?」

恐らく、自分の管轄下で起きた不祥事で窮地に立っている自分をネタにしたジョークだったのだろう。自虐ネタともいう。だが、私はムッとした。俺はニヤニヤなんてしていない!

「お言葉ですが」

と私は切り返したのである。

「あの事件で、編集局長がお困りになっていることはよく分かります。でも、本当に困っているのは私たち第1戦の記者だということを認識して下さい。1時間という時間をもらって取材に行きます。そうすると、必ず最初に珊瑚礁事件のことを聞かれます。取材に行った私が、逆に取材を受けるのです。知っている限りのことを答えなければ、私の取材は始まりません。それで珊瑚礁事件の説明が一区切りして時計を見ると、もう40分から50分はたっています。つまり、私が取材する時間がほとんど残されていないのです。そんな一線記者の現状をご存知ですか? ホントに迷惑な事件を起こしてくれたものだと思います」

ひょっとしたら、I 編集局長が取材の現場でこんなことが起きていることを聞いたのはこれが初めてだったのかもしれない。表情が変わった。

「そうなのか? れでは、君はこの事件の原因は何だと考えているんだ?」

社員が不祥事を起こした時、会社はその原因を探り、見つかれば取り除かねばならない。。たまたま不心得者が起こした事件なら、その社員を首にすれば済む。メディアは得てして、企業のスキャンダルがあるとその会社の体質を問題にしがちだが、どんな人間集団も、1割か2割の不心得者を抱えているというのがこの世の現実である。個人の問題なのか、会社体質の問題なのかは切り分けなければならない、と私は思う。
そして私は、珊瑚礁事件の背景には朝日新聞の体質があると感じていた。

「はい、私は朝日新聞の記者がサラリーマン化していることが原因だと思います。豪傑と言われる記者がほとんどいなくなり、会社の指揮命令に素直に従う記者が評価される。それが今の朝日新聞でしょう。あの写真部員は、珊瑚礁が痛めつけられている現状を告発しようと沖縄に出張し、海に潜って生々しい写真を撮ろうとした。ところが、目的の珊瑚に、写真になるような傷がない。あ、ここまで来て『写真は撮れませんでした』といって帰ったら、何といわれるだろう? 何のために高い出張費を使って沖縄まで出かけたんだ? と馬鹿にされるんじゃないか? 俺の評価が下がるかもしれない! と自分の将来を心配した。だから、エーイって勢いで傷をつけて写真を撮ったのではありませんか? 事実をそのまま報道するのが新聞の使命なのに、いい仕事をした格好をするために事実をねじ曲げる。それって、社畜とまではいいませんが、サラリーマン化の現れだと思います」

I 編集局長は神妙な顔をして私の話を聞いてくれたような記憶がある。ただ、それがその後の朝日新聞改革に生かされたかどうかは不明である。I 編集局長は間もなく管理責任を問われ、編集局長を更迭されたからである。

もっとも、偉いさんの更迭なんてたいしたことではない。平の取締役だったI 編集局長は総務・労務担当の常務となって昇格し、総合企画室担当常務を経てテレビ朝日に転身。社長になった。いってみれば、あの更迭は社会に向けての目くらましに過ぎなかった。

他の会社の不祥事で同じような『更迭」が行われたら、さて、朝日新聞はどんな記事を書くのだろう?
更迭されたら偉くなり、給料も増える。サラリーマンとしてみれば、何とも羨ましい更迭劇ではあった。