2024
01.25

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の7 タクシー運転手を殴ったヤツがいた

らかす日誌

おかしなウイークエンド経済部員がいた。いや、おかしいというのは私の主観である。他の人から見たらおかしくはないのかもしれないし、本人はいたってまともだと思っているに違いない。だが、私から見れば、ヤツはおかしかった。

どうやら彼は、私を嫌っていたらしい。というより、蔑んでいたという方が実態に近いか。どうやら、朝日新聞の出世レースから脱落したらしい私は、彼の目には無視していいいい生き物としか映っていなかったように思う。

彼は私と話すのを避けた。担当デスクである私と相談しなければならないことについても、私の頭越しに編集長と話した。おかしなことをするヤツである。どのみち、彼が書いた原稿は私が筆を入れるというのに、私とは話をしない。

確か毎週金曜日だったと思うが、次回のフロント面で何を取り上げるかを決める全員が参加しての編集会議があった。その日、次のフロント面のライターは彼で、担当デスクは私ということになった。フロント面を書く記者は、どんな話を採り上げ、どのように料理して記事にするのかをこの会議で説明し、みんなの質問を受けて最終的に編集長が

「それで行こう」

と決める。
彼は能弁に記事の狙い、そのために必要な材料、その材料をどう組み合わせてどんな記事にするのかを説明した。話の筋は通っており、話を聞く限り、もう記事は出来上がったかのようだった。そして締め切りの日が来た。

彼の書いた記事をディスプレーに表示し、読み始めた。それが、彼が書いた原稿を初めて目にした瞬間だった。
読み進むにつれて不愉快になった。下手なのだ。中学生の作文のような文章である。取材した材料と材料の繋ぎにも納得がいかない。これが朝日新聞の記者、私を蔑んでいるらしい男の書いた記事なのか?

私は遠慮なく直しを入れた。直しを入れいると、

「こんな直し方では困る。私が書きたいのはこんなことではない」

とクレームをつける記者がいる。自分で書いた記事が愛おしいのは誰しも同じである。私も自分の書いた原稿が無残に切り刻まれれば文句の1つもいう。だから、切り刻む仕事をするデスクには、なぜこのように切り刻んだのか、何故こう書き直したのか、この一節は何故削除したのか、どんなクレームが来てもきちんと説明できる論理がいる。

彼は何度かクレームをつけに来たような記憶がある。そのたびに、何故このように直さなければならないのかを説明して撃退した。彼の方が筋が通っていると思えるところは、復活したのはいうまでもない。デスクであるとはいえ、私の方が常に正しいとは限らないからだ。

主観的には、見違えるような記事になった。そしてその後、彼とはあまり接触しなかった。ウマが合わないのだから仕方がない。彼はHi君といった。

それから10年以上たっていたと思う。確か私が朝日ホールの総支配人をしていたころである。彼も編集局を離れ、朝日ホールも属する事業局に異動していた。何のことはない。彼も出世コースには乗れず、私と同じような道を歩いて来たのである。だが、それはどうでもいい。

「大道さんは経済部だったですよね」

と話しかけて来た事業局員がいた。確かにそうだが。

「だったら、もと経済部だったHiさんをご存知ですよね」

いかにも知っている。

「あの人がね、何でもタクシーの運転手を殴って問題になっているんですよ」

話を聞くと、その日彼は銀座で飲んでいたらしい。飲み終えて帰宅するためタクシーを止めようとした。ところが手を上げても、手を振ってもなかなか止まらない。すると、信号待ちで止まったタクシーにHiは歩み寄った。窓を叩き、運転手に乗せてくれ、と頼んだ。

「お客さん、申し訳ないんだけど、ここじゃ乗っけられないんですよ」

そんなことを運転手がいった。するとHiは

「俺は朝日新聞のHiだ。乗車拒否するとはけしからん!」

と叫びながら運転手さんを殴ったというのである。

「その場所がね、ほら、銀座にはタクシーが客を乗せちゃいけないゾーンがあるじゃないですか。その中だったんです。だから運転手は『乗っけられない』といったんです。それを殴っちゃったというんですよ。あの人、酒乱の気でもありましたか?」

ああ、やっぱりそんな男だったか、と私は思った。駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人、という。世の中には様々な役割を果たす人がいて成り立っているとも読める。しかし、職業による身分格差があると解釈することも出来る。このHiは後者の解釈を信条とするのではないか。朝日新聞社員はタクシーの運転手を見下すべき高い地位にあると思っているのではないか。そうでなければ、如何に酔っていたとはいえ、社会のルールに従っている運転手に殴りかかるなんてことをするか? いや、そこが客を乗せていいゾーンだったとしても、乗車を拒否されたからといって運転手を殴っていいという法はない。
私はそう解釈したのである。そして、職業、会社お役職による身分上下の差別があると心のどこかで思っている種族を、私は心の底から嫌いなのだ。ああ、やっぱりそんな男だったか、とは私の嘆息だと受け取って頂ければ幸いである。

酔っていたとはいえ、理不尽な振る舞いをした。それが刑事事件になったかどうかは知らない。ひたすら謝罪して示談で終わったとしても、会社としては何らかの処分を検討すべきだろう。それが、社会の一員として継続を許されている企業が果たすべき責任だと思う。

だが、朝日新聞は何の処分もしなかった。減給も休職もなかった。私が憧れて入った朝日新聞にはそんな一面もあった。完璧な会社など、どこにもないのかもしれない。