2024
01.26

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の8 山本夏彦さんのこと

らかす日誌

ウイークエンド経済時代の話を書いている最中に、「ウイークエンド経済」を論じた文章にぶつかった。再読を始めた山本夏彦さんの著作、「愚図の大いそがし」という本である。そのものズバリ、「ウイークエンド経済」という見出しの章があったのである、

「まさか、私たちが作っていたウイークエンド経済ではないよな」

と思って読み始めたら、これもそのものズバリ、ウイークエンド経済を論難する小文であった。

山本夏彦さんは私が敬愛するエッセイストである。著作を初めて手に取るまでは

「週刊新潮で毎週書いている右翼のライター」

程度にしか思わず、見向きもしなかった。しかし、どんな事情だったかは忘れたが、著作を読み始めたら認識が一変した。保守の人であることは間違いないのだが、実に論理明晰、説得力がある独特の文体で語られていることは、多分左翼の残りカスを尻尾にくっつけている私にもおおむね納得できることばかりなのだ。一時ははまりすぎて、私の文体が山本さんに似てきたことすらあった。すっかりはまった私はまだ横浜にいた間に数十冊の著作を読み通した。
最近、ふと思いついて横浜の本棚から引張りだし、桐生に運んで再読をはじめた。その最初に手に取ったのが「愚図の大いそがし」で、それがたまたまウイークエンド経済時代を書いているいまだったのは不思議な縁というしかない。

山本さんの論難はおおむね正しいと思う。まず山本さんのコラムをここに書き写そう。

「ウイークエンド経済」(朝日)だの「マネー&ライフ」(毎日)だのという欄がある。朝日毎日両新聞にあるならほかの新聞にもあるだろう。ひょっとしたら地方新聞にもあるのではないか。毎週1回この欄が常設されたとき、私は本来あってはならない欄だと書いた。素人に株をすすめる欄だからである。ついぞ大新聞にはなかった欄である。
そのことを新聞の幹部は知っているはずである。今でこそ証券会社というが実はあれは株屋である。株屋は一夜にして大尽(だいじん)にもなるが、乞食にもなる。そこにあるのは投機である。それを承知で売買するならいいが、素人がこつこつためた金をこれに投ずれば、あとで泣きを見るにきまっている。いくら損したと言っても勝敗は兵家(へいか)の常である。泣いて訴えても自業自得だと相手にされないから、素人は手を出してはならぬと固く禁じられていた。
株屋が堅気でないように証券会社も堅気ではない。その証拠にいくら不景気な時でも証券会社は「新卒」を100人も200人もとる。1年後には50人しか残らないと知るからである。残ったのが真の証券マンだという。
なぜ残らないかというと、ノルマに耐えられないからである。ノルマが果たせないなら客から預かっている株券を無断で転売せよと会社は陰に陽にすすめる。黙って転売するから「だま転」という。そのほか悪事の数々は新聞があばいた通りである。それはいま始まったことではない。前から知っていた口ぶりである。それなら早く言え。
それと新聞は知りつつ主婦やOLに財テクをすすめたのである。株を売って儲け、儲けた金をさらに動かして儲けた売れないもと女優たちの実話を載せたのである。新聞がこの欄を常設してはならぬゆえんである。
かねがね私は日本語を日本語に翻訳している。証券会社は株屋、銀行は金貸、不動産屋は千三つ屋と訳すとおのずと正体があらわれる。野村、山一以下の証券会社の全盛時代にそう言って私はイヤな顔をされた。今はされない。晴れて株屋と言えるのは私の欣快とするところだと書いたのは実は10なん年昔である。
銀行がサラ金に貸したときもそうだった。誰か重役の1人がそれを阻止するかと思うとしない。銀行が高利貸と違うのはモラルだという点だけである。サラ金に貸したら銀行はサラ金と同じレベルになる。戦前の銀行が高利貸に貸すなんて思いもよらないことだった。
私の熱心な読者に住友銀行の理事だった老翁がいる。のち子会社の社長いま監査役になったが、以前はよく遊びに来た。そのもと理事がサラ金に貸すとは何ごとかと憤慨するので、ほかでもないあなたの銀行ですよ貸したのは、と言ったらバカな、わが銀行にかぎってそんなことをするはずがないの言うので調べてごらん、貸すどころか役員の1人は引き抜かれて幹部になっていると教えたら調べたのだろう、一言もないと悄然としたのでかえって気の毒した。
この監査役がもと理事だった時代から、まだ20年たたない。当時はサラ金には貸さぬという常識があった(らしい)。この常識が今はないこと新聞社にないのと同じである。あのページが提案されたとき「よせ」と阻止するものはいなかったのである。
そしていま野村以下は袋だたきにあっている。損失を補填したのが怪しからないというのは大口にだけ補填して零細にしない、零細にもせよということなのか。これまたとんでもない。双方ともしてはならぬという人がない。
俗に人はひけどきが大事だという。出処進退が大事だという。これまたほかでもない新聞が言う。野村の不祥事とやらがあったときがあのページのひけどきだった。あの欄はやめてしまえばよかったのである。あんな欄なんかなくなってもさがす人はいない。損した話を読んでもいまいましいだけである。あの時がやめ時で、なぜやめなかったかというとそれを指図する親玉がいないからで、銀行にも新聞にもいないとすればそれはどこにもいないのである。回顧すれば大日本帝国陸海軍にもいなかったから、いないのはずっと前からである。
いまウイークエンド経済は書くことがない。あれは財テクをすすめるために常設したページだから、いかにしてソンしたかを毎日書くわけにはいかない。今あらぬことを言ってお茶をにごしているのは、いくら悪しざまに書いても野村はつぶれないと知っているからではないかと疑われる。
野村は世界の大企業である。野村をつぶしたら山一以下もつぶれる。銀行もつぶれるからつぶれっこないとみていい。つぶれなければいずれ株は上がる。底値のものは高くなる。零細株主はそれまでじっと持ちこたえている。自殺したり夜逃げしたりするものが少ないところを見ると持ちこたえる力があるのである。
零細株主はセールスマンにばかにされている。坪1億円の時代である。50万や100万の客は客ではない。面倒なだけだとあしらわれているのに、じっと持っているのである。そして野村が復活したらまたむらがって売ったり買ったりするのである。そのときウイークエンド経済のたぐいは息ふきかえして、株で儲けた主婦の話、OLの話を再び三たびのせるつもりなのである。

以上である。読点(「、」のこと)の少ない独特の文体は、慣れるまではやや読みづらい。だが、慣れれば、誠に胸がすくような明快な主張が胸に突き刺ささる力強い文体である。

「証券会社は株屋、銀行は金貸、不動産屋は千三つ屋と訳すとおのずと正体があらわれる」

などは、たったこれだけの短い文章で、それぞれの本質の一面が誰にでも分かる。真似て真似できる文章ではない。深く山本さんに傾倒したのはそのためである。

私が札幌にいた時、東京からやって来た経済部長に、社内における経済部の勢力拡張、具体的に言えば経済関係の紙面の拡大に異を唱えたことは「私と朝日新聞 北海道報道部の10 道内経済面」に書いた通りである。異は唱えたものの、経済部長は私の話を聞く耳を持っていなかったらしく、新しい経済部の領土として出来たのが「ウイークエンド経済」だった。
だから、山本さんが

「毎週1回この欄が常設されたとき、私は本来あってはならない欄だと書いた」

と書いたのと同じ思いを私は持っていたわけである。

「あのページが提案されたとき『よせ』と阻止するものはいなかったのである」

と山本さんは書いているが、私はおずおずとではあるが、

「よせ」

と経済部長に言った のである。そんな男が朝日新聞にもいたことを山本さんはご存じなかったろうが。

しかし、ウイークエンド経済が専ら株投資を勧めるための紙面であった、という指摘には、個人的には賛同しかねる。私が関与しない初期は、ひょっとしたらそうだったかもしれない。しかし、私が在籍した頃はそんなことは誰も考えなかった。私は朝日新聞の株を押しつけられたのを除いて株を買ったことはない。買おうと思ったこともない。株に投資するサラリーマンには違和感を持ち続けた。その私が、ウイークエンド経済の記者、デスクとして、株式投資を読者に勧めるはずはない。そんな記事を書いた記憶はないのである。福岡のマンション高騰を特集したように、マネーゲームには批判的な姿勢をとり続けたのが、私が知るウイークエンド経済だったことを山本さんに知って欲しかった。

もっとも、山本さんの目から見たら、私たちが楽しんで書いた記事は

「あんな欄なんかなくなってもさがす人はいない」

と切って捨てられたのかも知れないが。

一読者に過ぎない私と山本夏彦さん。誠に不思議なつながりである。