2024
02.03

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の16 規制緩和と車検制度

らかす日誌

規制緩和が当時の流行語だったことは前回書いた。そんな時勢柄、経済団体の記者会見では、規制緩和がらみの質疑応答が繰り返された。

日本は規制が多すぎる、というのが財界の主張だった。国が、霞が関の官僚が様々な規制の網を張り巡らせて企業の自由な行動を縛っている。それが企業の手足を縛り、経済成長を阻んでいる。一方で各種の規制は霞が関官僚の天下り先を用意することにもつながっている。規制を抜本的に緩和せよ! 企業に自由を!!

財界活動をしていらっしゃる方々は、異口同音にそうおっしゃった。そして、取材する私たち記者の多くの考えでもあった。例えばタクシーの台数を運輸省が縛っていた。増えすぎると競争が激しくなりすぎてタクシー運転手の労働条件が悪化する、という理由である。トラック運送業も許可を得なければ始めることができない。似たような理由である。車の型式認証にも日本独自のルールがあった。アメリカやヨーロッパで走っている車をそのまま日本に輸入すると、テールランプの直径が日本の基準に達していないなど実に詳細な規制に引っかかる。そこを日本向けだけに改造しないことには日本では売ることができない。勢い、日本での輸入車価格が高くなる。他の国で走っている車が、日本では走らせることができないというのはおかしいんじゃないの?

そんな世論が盛り上がっている(と思っていたのは、私たち新聞記者だけだったかもしれないが)最中、経団連の定例記者会見が開かれた。当時の経団連会長はトヨタ自動車の豊田章一郎さんである。
相変わらず、規制緩和が質疑の中心だった。豊田さんは日本経済を再び成長軌道に乗せるには、経済活動にかけられてている規制の網を緩和する必要があると、いつものようにお話になった。

その質問をしたのが、私だったのか、他社の記者だったのかは記憶にない。

「車に課せられている2年に一度の車検も、経済的な規制ではないですか? それも緩和した方がいいのではないですか?」

2年に1度の車検は、車の安全性を保つための制度だと説明されていた。重量が1トンから2トンもある物体が、道路を高速で走り回るのである。どこかに不具合があって操縦の自由がきかなくなれば、車は凶器になる。だから、2年に1度、車が規格に適合しているかどうかを国の監督の下にチェックすることが必要なのだと説明されるのが車検制度だ。

だが、車検制度はユーザーに多大な経済負担を強いる制度でもある。車検制度は1951年に始まった。なるほど、当時の車なら、2年に1度の点検は必要だったかもしれない。だが、いまの車の性能、堅牢度は当時とは比べものにならない。それなのに2年に1度の車検が必要なのか?

豊田会長の回答は煮え切らなかった。

「いや、車検制度は町を走る車の安全性を確保するためのもので、経済規制というより社会的規制の範疇に入るのではないか」

つまり、車検制度は規制緩和をする必要はないのではないかというのである。

そうかぁ? 車検制度は車の安全性を保証しているか? 私は引っかかるものがあった。
振り出しの三重県・津支局にいた1975年8月のことである。運転していたトラックのブレーキが下り坂で効かなくなったのでトラックから飛び落りて逃げようとした運転手が、そのトラックにひかれて死亡するという事故が起きた。不思議な因縁だが、亡くなった運転手さんは大道将之さんといった。三重県のことだから、多分「おおみち」さんと発音する。私は「だいどう」である。
最初の記事は3段見出し、20行の小さなものだった。だが、珍しい交通事故である。なぜそんなことが起きたのか。妙に関心を引かれた私は、その後も取材を続けた。3ヵ月ほどかかって(その間に他の取材はたくさんした)、びっくりするような事実が分かった。
このトラック、3ヶ月ほど前に車検を受けたばかりだったのだ。

大道さんは5月初めに津市内の自動車整備工場からこのトラックを中古で購入した。その直前、自動車整備工場はこのトラックを車検整備に出していた。そして、事故の原因はホイルシリンダーの摩耗とブレーキ油の漏れだった。民間車検場が手抜き検査をしていて不具合を見のがした。そのためブレーキが効かなかったのだ。

手抜き車検が運転手を殺したわけだが、事件の全容が分かる前に私は、陸運事務所に取材に行っていた。事故の3ヵ月前に車検を通っていることはすでに分かっていた。それなのに、なぜブレーキが効かなくなったのか。車検とは車の安全を確保するための制度ではないのか? と疑問を持ったからだ。そして、そこで聞いた回答に唖然とした。

「車検とは、車検の時点で車が規格に合っているかを調べるもので、その後2年間の車の安全を保証するものではありません

理屈ではそうかも知れない。車検を通った翌日、どこかの部品が壊れることだってあり得ることだ。しかし、車検を受けた翌日の車の安全性すら保証できない「車検」とは、いったいはぜ必要なのか? それなら、車の点検はユーザーの責任と割り切り、具合が悪くなったら自分で直すか整備工場に出すという習慣をユーザーに身に着けさせなければ、安全な車社会は築けないのではないか? 車の整備を怠ったことが原因で事故が起きたら、罪を重くすれば抑止効果があるだろう。いや、そもそもマイカーは、いつだって最高のコンディションで乗りたい。どこかの不具合で事故を起こすのはいやだと考えるのがドライバーであるはずだ。つまり、車検制度はなくてもいいのではないか?

そう考えていた私は、豊田会長を追求した。声高に規制緩和を唱えながら、自分の業界に関係する規制は守り通そうとする。車検はディーラーや町の整備工場の大事な収入源なのである。その既得権益は守り通すのか? 二枚舌とまではいわないが、身内に対する姿勢が甘すぎないか?

恐らく、私の追求ぶりを見ていて

「あ、大道は豊田会長の発言を批判する記事を書きそうだ」

と思ったのだろう。記者会見が終わると、トヨタ自動車の広報マン(豊田経団連会長の広報を担当していた)が私に寄ってきた。経団連会長としての豊田さんに傷をつけないのが彼らの仕事なのだ。
彼らは

「批判記事を書かないでくれ」

という露骨なことはいわない。なんとか理屈で私を押さえ込み、批判記事が書けないようにするという手法を採る。よく酒を飲みに行く相手だったが、私は一歩も引かなかった。あなた、車検を受けた翌日の車の安全性すら保証できない車検が、本当に必要だと思うのか? ユーザーに無駄な出費を強いるだけではないのか? おかしいと思うことはおかしいと書く。それが新聞記者なのだ。

経済面の囲み記事で、豊田会長を批判する記事を書いた。手元にあればご紹介したいのだが、残念ながら、このころ、私は切り抜き作業をサボっていたので手元には残っていない。

「身内に甘い? 規制緩和で豊田経団連会長」

という主旨の見出しがついていたはずである。

いまネットで検索すると、車検制度がある国の方が少数派だという。国土交通省の資料でも、安全検査がある、というイギリスでは

「定期的な点検・整備は法的には義務付けられていない」

とあるし、やはり安全検査があるというドイツでも

「メーカーが推奨している走行距離の基準にしたがって、修理工場で点検をする人が多く、長期旅行の前後に点検・整備を行うことが多い」

とあって、日本の車検制度のようなものではないらしい。フランスやイタリアも似たようなもので、アメリカでは一部の州だけに車検制度がある。

車の安全性を確保するために車検制度は本当に必要なのか?

そういえば私の愛車は今年3月、11年目の車検を迎える。