2024
02.07

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の20 財界と企業献金の話

らかす日誌

財界を取材する上で、企業の政治献金の話は是非ものである。

経団連は長い間、政治献金の取りまとめ役だった。経団連が各業界団体ごとに献金額を割り振り、それを受けた業界団体が傘下の企業にさらに割り振る。企業が金の力で自民党政権を支える。その事務方、扇の要の役割を果たす経団連は多方面から批判を受け続けた。政治は企業のたためだけにあるのではないはずだ、と。しかし経団連は、企業は資本主義経済の中でしか生きることは出来ない。資本主義を守る自民党を支えることは自分たちの使命である、と企業献金の斡旋役を続けた。

朝日新聞がリクルート事件をスクープしたのは1988年6月のことだ。リクルートの関連不動産会社、リクルートコスモスの未公開株が、政治家、官僚、挙げ句は日本経済新聞社の社長にまで譲渡されていた。名前が挙がった政治家は、森喜朗、中曽根康弘、竹下登、宮澤喜一、安倍晋太郎、渡辺美智雄と、豪華絢爛を極めた。
世はバブルの絶頂期である。未公開株は上場とともにとんでもない高値がついた。市場で売却すれば濡れ手で粟の利益が転がり込む。未公開株を譲り受けるとは、現金を受けるのと同じだった。これは新手の贈収賄だった。

古くて新しい、政治と金の問題が蒸し返された。綺麗な政治を求めるのは琵琶湖に竿を出して鯛を求めるようなものかも知れないが、ここまで政治が金まみれになっていいのか。賄賂まみれの政治家に日本という国を任せていいのか。世論は、金と政治を切り離すことを求めた。批判の矛先が、経団連が仕切る企業献金にも向かったのは自然な流れだった。

しかし経団連は、

「政治には金がかかるものだ」

と、斡旋役を降りようとはしなかった。こうした流れを変えたのが、第7代経団連会長だった平岩外四さんである。1993年9月、「企業献金に関する考え方」を公表し

・企業献金については、公的助成や個人献金の定着を促進しつつ、一定期間の後、廃止を含めて見直すべきである。
・その間は、各企業・団体が、独自の判断で献金を行うこととし、経団連は、来年以降、その斡旋は行わない。

という方針を打ち出した。そして、1994年から経団連が仕切る企業献金がなくなった。

私が財界担当になったのは、それからしばらくしてのことである。だから、本来なら企業献金問題など視野の外に置いてもよかったはずだ。ところが、取材を重ねる中で、

「経団連に企業献金斡旋を再開してもらいたい」

という企業経営者の声に直面したのだ。それは、こんな理由であった。

経団連が斡旋を辞めてからは、自民党から直接、献金の要請が来るようになった。経団連が斡旋してくれていた頃は、献金額は割り振られてくるのでそれに従えば済んだ。ところが、割り振りがなくなったいま、自民党の要請にどれぐらいの金額で応えたらいいのかの判断に困惑している。経団連が仕切っていた時代が懐かしい。

いってみれば私は、企業献金改革後の反動の時代に財界を担当したのである。

ここはまず、改革を成し遂げた平岩外四さんに話を聞くしかあるまい。周囲の反対を知りながら、平岩経団連はなぜ、企業献金の斡旋を辞めたのですか?

「あの時代です。経団連としてはああするほかなかったのです。でもね、経団連が企業献金のとりまとめをやめたらどうなるかは、ある程度分かっていました。政治には金がかかるといいます。経団連経由の金が入ってこなくなったら、政治家という人たちは他の金づるを探すでしょう。そうして、氏素性が胡散臭い企業であっても、金を出してくれれば飛びつくでしょう。政治家とはそんな方々です。そんな、綺麗なのか汚いのか分からない金が政治家に渡るより、日本を代表する企業が、汚くない金を政治家に渡す方がいいのではないか、と私は思うのです。だから斡旋は続けた方がいいとも考えたのですが、あのご時世ではそういう選択肢は選べませんでした」

意外な話だった。平岩さんは政治を浄化するために周囲の反対を押し切って企業献金の廃止に踏み切ったと報じられ、少なくともメディアの上では英雄になっていた。その平岩さんが、本当は経団連が企業献金を仕切った方が、少なくとも出所が明らかな、汚れていない金が政治家に渡る分だけより良いと考えていた……。

平岩さんの話は、ストンと腑に落ちた。だが、だからといって、新聞が経団連経由の企業献金復活の応援団になるわけにはいかない。平岩方式でも、自民党が大企業の意に沿って政治を進めることになりかねないのである。求めるべきは、金のかからない政治ではないのか?

何とか経団連経由の企業献金復活の動きを止めることは出来ないか。
どんな記事を書いたかは記憶にない。だが、そのための取材はした。豊田経団連会長の相談役であった奥田碩(おくだひろし)トヨタ自動車社長に会いたいとトヨタ自動車の広報に申し込み、昼食を取りながら議論をしたのもその一環である。
私は、経団連は平岩さんが打ち出した方針を守るべきだと説いた。だが、奥田さんの賛同を得ることは出来なかった。私が説いたのは理想論である。それに対し、奥田さんは現実論を展開した。2人の波長が合わなかったのも仕方がなかった。

経団連は私が財界担当を外れてしばらくした2003年、企業献金の斡旋を復活した。理想論は現実論には勝てないらしい。
しかし、現実論に勝てない理想論とはいったい何なのか? 単なる空理空論か?

水清ければ魚住まず

という。私たちが生きる現実社会とはそのようなものらしい。そう思うたびに、私は平岩さんの言葉を思い出す。恐らく平岩さんは、

「政治家とはしょうがないヤツらだ」

と呆れながら、だが、そのしょうがないヤツらがより悪い政治に走らない方策を考えたのだろう。それが出所の明らかな、汚れていない金を政治家に渡すということではなかったか。

まことに、現実とは困ったものであるというしかない。