2024
02.15

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の28 平岩外四さんと親しくなった

らかす日誌

もう一度平岩外四さんに触れておきたい。東京電力会長で、第7代経団連会長だった平岩さんである。

前に書いように、私が平岩さんを初めて訪ねたのは、豊田経団連会長の後継人事が取り沙汰されている頃だった。豊田さんの続投が望ましいと考えていた私が、財界の大御所的存在だった平岩さんのご意見を伺おうと思い立ったのだ。

当時の私は、平岩さんが財界きっての読書家として著名である、という度の予備知識は持ち合わせていたように思う。誰からとなく、そんは話は耳に入るものだ。だが、「本」という1点で、平岩さんとあれほど親しくなるなど思ってもみなかった。

初めてご挨拶した時の記憶は欠けている。しかし、何度もお会いしているうちに、どちらからともなく本を話題に取り上げたのだろう。私も平岩さんには及びもつかないが、読書は好きである。やがて、アポイントを取って東京電力会長室に平岩さんを訪ねると、平岩さんは定型フレーズで私を迎えて下さるようになった。

「大道さん、この本、読みました?」

それから延々と本をめぐる言葉のやりとりが始まる。最近読んだこの本が面白かった、あれはつまらなかった。そんな他愛もない話である。そもそも私と平岩さんでは読書量が違うから、新しい本の話題は、ほとんどの場合平岩さんが持ち出した。多分、私も本が好きなだけに、平岩さんが紹介して下さる本には大いに興味を惹かれた。その分、私は聞き上手だったのだろう。平岩さんに受け入れていただき、定型フレーズが生まれたのはそのせいではなかったか。

しかし、定型フレーズを平岩さんに独占させるほど、私はゴマすりではない。10回に1回でもいいから、私の方から

「平岩さん、この本、読みました?」

といってみたいではないか。そう思い続けて、やがて実行した。話題に取り上げたのは「全国アホバカ分布考」(松本修著、新潮文庫)である。次女が高校生の折、

「お父さん、『全国アホバカ分布考』という本を買ってきてよ」

と私に依頼したことがある。当時次女は、品川女学院に通う高校生だった。何でも、制服に惹かれて選んだ学校らしい。ここには女優の広末涼子も通っており、やがてうちの次女と仲良くなって彼女は5、6人の学友と一緒に我が家に泊まりに来るのだが、それはまた別の話である。

何でも、夏休みの指定図書なのだそうだ。読んで感想文を書かねばならない。その本を私に本を買って来いと。電車通学をしている次女である。川崎駅周辺には大きな書店がいくつもある。自分で買う気になればいつでも買えるだろう。それを私に買ってこいとは、自分で買えば小遣いが減る、親父に買わせれば小遣いは減らない、という悪知恵だったのだろう。
私は甘い父親である。いわれるまま、書店でこの本を買ってきた。家に戻って、

「いま。高校で指定図書になるのはどんな本なのだろう?」

と気になった。気になれば、読めばいい。きになる本は手元にあるのだから。
読み始めた。ページをめくるのがもどかしいほど面白い本だった。ある人々を指して「アホ」という地方がある。「バカ」という地方もある。その分水嶺はどこなのか?
そんなことを綿密に調べるのきっかけに、様々な言葉が全国にどのように分布しているのか、なぜそのような分布状態になったのかを言語学者もそこまではやるまいとお思えるほど調べ上げ、

「いやあ、よくやるわ。しかも、面白い」

という本に仕立てた。筆者は大阪の朝日放送(ABC)の社員である。確か探偵ナイトスクープという番組で「アホ・バカ」の分布を取り上げ、面白くなって調べ続けたらしい。
思わず唸ってしまったのは

宝味

という言葉が出現したページである。この章で筆者は、セックスを言い表す方言を調べ尽くした。おまんこ、まんこ、おそそ……。その中に「宝味」が出て来た。「ほうみ」と読む。沖縄の方言である。宝の味。沖縄の人々の言語感覚の豊穣さにうたれてしまったのである。

その本を私は平岩さんにご紹介した。確か、次回に訪問した際に、1冊買ってお届けしたような記憶がある。平岩さんは生前、4万2000冊の蔵書をお持ちで、死後、東京電力に寄贈されたそうだ。その1冊に「全国アホバカ分布考」は含まれているのだろうか?

読書論に花を咲かせる取材。楽しかった。しかし、私は平岩さんと本の話をするために時間を頂いたのでははい。財界担当記者として平岩さんの口から聞きたいことがあるから参上しているのである。だが、一度火がついた本の話は、なかなか鎮火しない。

平岩さんに頂く時間は、いつも1時間だった。この制限時間は厳守しなければならないものらしく、45分ほどたつと秘書氏がおずおずと部屋に入ってくる。手に小さなトレーを持ち、その上に小さなメモ紙が置かれている。それを肩越しに平岩さんの目前に差し出す。チラリとメモ紙を見た平岩さんは小さく頷く。
恐らく、そのメモ紙には、次のスケジュールが書き込まれているのだろう。そうか、私の時間は間もなく終わるのか。私が取材を始めるのはいつもそれからだった。

「ところで平岩さん、次の経団連会長の件なんですが……」

だから、1時間の時間をもらって、取材に使える時間は10分ないし15分、というのが私の平岩さん取材であった。
いまでは少し疑いも持っている。秘書氏が平岩さんに見せていたメモ紙、いつも次のスケジュールが書いてあったのだろうか? ひょっとしたら白紙、ということもあったのではないか。

「早く、この朝日新聞の大道を追い出して下さい」

と暗黙のうちに伝える白紙である。疑いすぎか?。