2024
03.09

私と朝日新聞 電子電波メディア局の8 大道さん、あんたはどうなんだ?

らかす日誌

私の出向が言い渡される少し前、データ放送会社の社長が決まった。テレビ朝日のO氏である。私と同僚のKo君は、

「データ放送に最も詳しいのは我々2人だ。ここはO氏に会い、データ放送の仕組み、可能性について、酒を飲みながら話をしなければならない」

ということについて合意した。六本木の酒場で飲んだ。

この時我々2人は、まさか自分たちが新会社に出向して事業立ち上げにあたるとは、露ほども思っていない。朝日新聞のぬるま湯の中で過ごしていけると信じて疑わない。従って、事業立ち上げはもっぱらO氏の仕事である。我々は新会社については傍観者でしかない。

「だからね、Oさん、俺たちは200社ほどの企業から聞き取り調査をしたんです。半数ほどがデータ放送に関心を示しました。これ、新規事業として花が開く可能性が大きいんです。がんばって下さい」

ことは他人事である。口は流暢に回る。

しかし、私たちが見落としていたことがあった。O氏もテレビ朝日のぬるま湯でゆったりしたいと思っているとは、全く思いつかなかった。いや、0氏はぬるま湯の中にいたいのではなく、テレビ朝日でのさらなる昇格、出世、役員就任を望んでいたのかもしれない。

O氏は不機嫌だった。

「だったらよ、あんたたちもそのデータ放送局に来て、俺を手伝ってくれるのかい?」

不意を突く問いかけだった。え、俺たちがデータ放送局に行く? ない、ない、それは絶対ない。我々は傍観者である。

先に口を切ったのはKo君である。

「いや、それは、ねえ。大丈夫ですよ、私たちは朝日新聞にいてなんでもやりますから。はい、陰ながら、といより、全力を毛てお手伝いしますよ」

O氏はジロリとko君を見た。

「俺が言ってるのはそうじゃない。あんたもデータ放送局に出向するのか? と聞いてるんだ」

Ko君は逃げた。

「いや、それは……。そもそも、人事権は俺たちにはありませんから」

Ko君は逃げまくった。追求を諦めたO氏は攻撃の矛先を私に向けた。

「大道さん、あんたはどうなんだ?」

私がデータ放送局に出向する。チラリとも考えなかったことだ。しかし、である。ここで酒を飲みながらO氏の話を聞いていると、思ってもみなかったデータ放送局出向を言い渡されたO氏の気持ちがひしひしと伝わってきた。その俺に、庵たちのようなチンピラが物事教えてやる? 励ます?

「おととい来やがれ!」

と怒鳴りつけたくなる気も分かる。

我々2人が、自分ではやる気がないことを、

「あなた、やって下さい。がんばって下さい。側面援助をしますから」

というのは、いってみれば高みの見物である。見物される側のO氏にしてみれば

「何を言ってやがんだ! 偉そうにべらべらしゃべりやがって。ふざけるんじゃないやい、ベラボーめ!!」

と啖呵を切りたくなるのは当然である。
そうか、私は高みの見物客であったか。この瞬間、私は心を決めた。

「分かりました。行きましょう。人事権は私にはありませんが、会社が行けといえば喜んであなた年ごとをさせていただきます」

O氏は、今度は私をジロリと見た。

「口から出任せじゃないだろうな」

確かに、言葉とはその場逃れで吐き出されることもある。だがこの時、私はすでに心を決めていたのである。

「私がいい加減なことをいう男に見えますか? 男に二言はありません」

つまり、私は朝日新聞電子伝オアメディア局次長のI氏に出向を命じられる前に、私はその人事があれば受け入れる決心を固めていたのだ。I局次長に人事異動に関する自説を説いたのは、物事の理非曲直を明確にしたいと思ってのことであった。

酒が進むに従って、当初のとげとげしさは姿を消した。私がニュースステーションの解説者(いまは知らないが、当時は朝日新聞記者が必ず出演していた)の候補になったことを知ったのは、この席だったと思う。私より先に電子電波メディア局員となっていたKo君が

「実は……」

と話したのである。何でも候補者は5人おり、その1人が私だったのだという。ほう、私の知らないところでそんな検討がされていたのか。もっとも、私がニュースステーションに出ることはなかったから、落選したのに違いない。それでも、私にもテレビタレントになる可能性があったのか。

「へえ、そうなんだ」

といったのはO氏である。そう言うなりO氏は、両手の親指と人差し指でフレームを作った。そしてそのフレーム越しに私の顔を見た。

「ふーん、だけど大道君の顔はテレビ向きじゃないな。やっぱり、俺とデータ放送を立ち上げる方に向いてるわ。朝日で落選して良かったな」

あ、でもテレビに出てみたかったな。それなりの報酬もあっただろうし。そう思いながら、私はその日の酒宴を終えたのだった。