2024
03.10

私と朝日新聞 デジキャスの1 デジキャスが始動した

らかす日誌

デジキャス=デジタルキャスト・インターナショナルが生まれたのは、2000年2月3日である。前にも書いたが、日立製作所、富士通、キヤノンが5億円ずつ、さらにエヌ・ティ・ティ移動通信網、さくら銀行、フレックスが各1億円、東日本電信電話が6000万円、東京瓦斯、日本生命保険相互会社、丸紅5000万円ずつ出資し、計20億1000万円の資本金で誕生した。

この中で朝日グループの会社は、番組製作会社のフレックスだけである。それなのに、社長はテレビ朝日のO氏で、朝日新聞からは私とKo君の2人が出向した。電波の割り当てを受けるため、できるだけ朝日色を消すための資本構成なのだった。
日立、富士通、キヤノンからはそれぞれ7、8人が出向してきた。総勢20数人の会社である。所在地はテレビ朝日が買収した原宿のビル。このビルにBS朝日とデジキャスが同居した。

世界に類例のない、BSデジタル放送の電波を使ったデータ放送局の立ち上げである。私たちは記者会見を開いた。

その前日、私はO社長に、社長室に呼ばれた。

「大道ちゃん」

と社長は呼びかけた。

「俺さあ、データ放送ってよく分からないんだわ。明日の記者会見、最初のあいさつは俺がやるけど、それが終わったらあんたがさばいてくれないか。ほら、データ放送ってどんなものかとか、どういう放送局を目指すのか、とかさ。質問も来るだろうから、それもよろしく頼むわ」

私はもと新聞記者である。数え切れないほどの記者会見に出た。だが、出る時はいつも質問する側であった。その私が、発表する側、質問される側になる。できるか、そんなこと?
だが、ことは社長命令である。分かりました、と引き受けるしかない。とんでもない質問が来て絶句して恥をかくようなことはないだろうな……。

記者会見は確か青山あたりのホテルで開いた。3、40人ほどの記者が集まっていたのではなかったか。
まず社長があいさつする。それが終われば私の出番だ。BSデジタル波を使ったデータ放送とはどのようなものか。デジキャスはどんなサービスを目指すのか。

「私たちはBS朝日を初めとするBSデジタル放送をするすべての局にBMLで書いたコンテンツを供給する用意があります。また、独自のデータ放送局として、(1)朝日新聞や日刊スポーツのニュースの配信、(2)行政情報の配信、(3)企業のCMのほか、オンラインバンキング、食料品や書籍などの物販、チケット販売などのECを行う予定です」

事前に用意した事業説明は一方的に説明すれば済む。問題はそれから先である。私が説明を終えたあと、どんな質問が出るのか。私は馴れない仕事に上がりっぱなしである。
記者席でいくつも手が挙がった。1人を指名する。質問が来る。これなら答えることが出来る。次の質問もさばけた。3つ目の質問も難なくこなせた。
このあたりから、私には不思議なゆとりが生まれた。

「おいおい、少し資料を読めば分かるようなことばかり聞くなよ。事前に準備はしてきたのか? 発表するヤツを戸惑わせるような質問をするのが記者の醍醐味だろ? 俺が立ち往生するような質問は出来ないのか?」

質疑応答の時間は30分ほどだったろうか。私はすべての質問に答えることができた。もう手を上げる記者はいない。

「それではこれで記者会見を終わります」

そう言いながら、私は

「まったく、最近の記者はこの程度かね」

と情けなくなった。少し掘り下げた準備をしていれば、世界に前例を見ないデジタルデータ放送の課題は沢山見えてきただろうに。事業を始める私たちが、事業の成功に確信を持っているわけではないことを暴けただろうに。

と思いながら記者会見場を出た私は、それでもひどい疲れを覚えていた。記者会見で質問をさばくという馴れない仕事で、頭脳がフル回転を続けていたからだろう。慣れないことはするものではない。

といいながら、実は後にもう一度記者会見を開くことになる私だった。