03.16
私と朝日新聞 デジキャスの7 売らねばならない商品への自信をなくした
日本でBSデジタル放送が始まったのは2000年12月1日午前10時である。
その日、私たちデジキャス一同は会社のテレビの前に集まり、固唾を飲んで10時を待った。
そのころ、営業局にはスーツ、ネクタイ姿の社員はほとんどいなかった。まだ局制を敷く前、何となく営業グループのリーダーらしきものに祭り上げられていた私は、みんなにこう言ったのである。
「スーツとネクタイはやめようよ」
理屈は簡単だった。スーツ、ネクタイはすでに守るものを持った人たちの制服である。我々はこれから、世界に前例のない新しいメディアを作るのだ。守るべきものは何もない。得るものばかりである。であれば、守りの人の制服であるスーツ、ネクタイは捨てようではないか。
日立、キヤノンの若手は賛同してくれた。私と一緒に朝日新聞から来たKo君も賛成してカジュアルな服装で仕事に来るようになった。あまり似合わなかったが。富士通組は何故かスーツ、ネクタイに固執した。カジュアルな服を持っていなかったのか?
こうして私たちのほとんどは、スーツを着ず、ネクタイをせず、数多くの企業に営業をかけた。
この間の努力の成果が、間もなく電波にに乗る。
10時。放送が始まった。思わず、事務所内に歓声が上がった。
「おー」
「映ったよ!」
「始まったわ」
データ放送に動画はない。リモコンを使って表示を切り替えなければならない。1人ずつ、恐る恐るリモコンを手に持ち、画面に出るデータを切り換えた。
私も試してみた。数分たったころ、私は慄然とした。
「これは、お金を頂いて放送するような中身じゃない!」
この時の感覚をどう表現したら良かろうか。毎日見慣れているインターネットのWebサイトを大人向けだとすれば、それをずっと簡略化し、幼稚園の児童にも扱えるものにしたようなもの、とでもいえばいいか。
データ量が少ない。出来ることが限られている。これでは、企業が活用できるメディアではない!
その日から、トップセールスマンで営業局長になっていた私は、営業が出来なくなった。
営業マンとは自分が売る商品に自信がなければならないと思う。自分が売り込もうという商品に絶対の自信が持てなくて、営業先を納得させることが出来るか? 財布を開かせることが出来るか? 私はテレビ朝日の仲間たちが作ったビデオで見たデータ放送で自信をつけた。これは時代を一新するメディアになるという確信を得た。だから、「説教営業」とまでいわれるほどに、営業先を説得することが出来た。
だが、実際に動き出したデータ放送は、あのビデオの世界とはまるで違っていた。あのビデオは、制作者の頭の仲にしかないデータ放送だった。現実に放送が始まったデータ放送とは似て非なるものだった。とてもじゃないが、現実に始まったデータ放送は商品と呼べるものではない、私は売らねばならない商品への自信をなくしてしまった。
自分が売らねばならない商品に自信が持てなくなった営業マンは、さてどうしたらいいのだろう?
そんなことを考えていたのは、ひょっとしたら私1人だったのかもしれない。その夜は放送開始を記念した宴会となった。社長以下近くの居酒屋に繰り込み、ひたすら酒を飲んだ。何度も乾杯を繰り返した。
私の自宅には、BSデジタル放送を見ることができる設備が整っていた。BSデジタル用のチューナーを組み込んだテレビはとてつもなく高くておいそれとは買えない。そこでデジキャスは社員全員に、BSデータ放送用のチューナーを配った。これをテレビにつなぎ、デジタル放送を見る。自宅でBSデジタル放送を見るのも仕事である。
そのチューナーだけでも、当時は1台10万8000円もしたから、家計は助かった。その配布を受ける前、我が家にBSデジタル用のアンテナを自力で設置し、合わせてSONYのトリニトロンテレビ、画角16:9を導入していた。
テレビがあまり好きでない私だから、それまでのテレビは
「映れば良い」
程度のもので、確か21インチ、画角は4:3の小さいものではなかったか。それをこの機に、大型テレビに買い換えたのだ。確か20万円ほどだった。大枚はたいたのも、仕事への忠実さの現れ、といっては自分を褒めすぎだろうか。
放送開始祝賀の宴会を終えて帰宅したのは午前零時前後である。家族は寝静まっている。誰もいない茶の間でテレビをつけた。933チャンネルのデジキャスに合わせる。リモコンで操作してみる。さて、このメディアをどうやって売ったらいいんだ? いまの使い方でではやがて客がいなくなる。
「これは!」
という使い方を考えなければならない。だが、いいアイデアは全く浮かばない。
やがて、BS-NHKにチャンネルを合わせた。自然の風景やどこかの祭りを写し出していた。綺麗だった。ああ、この美しさがハイビジョンなのか。いつしか美しい映像に引きずり込まれ、ボンヤリと画面を眺めていた。やっぱりデジタルハイビジョンは映像の革命なのか? では、それに伴うデータ放送は、どんな形だったら有用なメディアになるのか?
私はぼんやりと思いにふけった。