03.28
私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の1 なんで私がホールの支配人に?
朝日ホール総支配人時代の話は、2019年はじめに連載した。よってこれからしばらくは、その時の原稿を再利用する。読み継いでいただいている読者の方々に2019年の原稿を探す手間をおかけしないためである。と書けば親切めくが、大半の理由は、手抜きである。基本的にはコピペをする。その上で、いまの時点で必要だと思われれる修正、加筆、削除をするのはもちろんである。
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さて、朝日新聞から離れて間もなく8年である。すでに給金はいただくことができず、私が書いた原稿が朝日新聞に掲載されることもない。毎日配達されてくる新聞は自前でお金を払っているし、114株持っていた朝日新聞の株も、2024年3月に売却した。買った時と同じ1株1600円だった。従って、企業年金をいただいていることを除けば縁のない会社となった。
であれば、多少の昔話をしてもいいのではないかと思い立った。
そこで、最初は朝日ホール総支配人時代の話である。
私はちょうど50歳の時、デジタルキャスト・インターナショナル、略してデジキャスという会社に出向した。2000年12月1日に放送が始まったBSデジタルの電波を使う独立データ奉書局社である。日立・富士通・キヤノンを3大株主とし、当初朝日新聞は1円も出資しなかった。そこで営業局長となったが、その話はいずれ書くことになるだろう(実際に書いてしまった)。今日は飛ばしておく。
朝日新聞に呼び戻されたのは、デジキャスで5年を過ごしたときだった。ある日、突然朝日新聞電子電波メディア局長さんから、電話で呼び出しを受けた。それほど親しみを感じていた人物ではない。普段は全く没交渉である。それが突然の電話。
「ははあ、人事だな」
とピンと来た。その程度には、私もサラリーマンであった。
当時、デジキャスは行き詰まっていた。
いま、どの局でもいいが、視聴しながらリモコンのdボタンを押すと、データ放送を見ることができる。ニュースをまとめて一覧するときや、最新の天気予報を確かめるときに便利な機能だ。デジキャスは、このデータ放送だけ、つまり動画のないテレビ放送だけで事業をしようという会社だった。当時は世界のどこにもない新しいメディアとして注目されたが、今になってみれば、データ放送とはテレビ番組にくっついてくるおまけのようなもので、おまけだけで事業ができないのは理の当然である。なにしろ、出てくるのは文字と静止画だけなのだ。誰がそんな放送を見る?
5年が経過してその事実に気がつきつつあったデジキャスは、この会社をどうするかの正念場にあった。解散するのか、それとも状況を変える決め手を探すのか。解散するとして、デジキャスが蓄えた技術はどうするのか。
当時のデジキャスは、あのNHKからも注文を受けてデータ放送のプログラムを書く技術を持つ会社であった。
会社の正念場に、私がいなくていいものか。
信頼出来る同士になっていた、キヤノンから来たHa氏に
「どうやら俺の人事みたいなんだけど」
と相談した。
「だめですよ、いま朝日に帰っちゃ。朝日新聞ってろくなヤツがいないから、あんたの代わりに来るのはひどいヤツだと思う。少なくともあと1年はいてくれなくちゃ困るるよ、大道さんは」
私もそう思った。そんな思いを抱えて、築地の朝日新聞に向かった。
局長の顔を見るなりいった。
「私の人事ですか?」
余り信頼出来ない局長さんはおっしゃった。
「お前、意外と勘がいいな」
私は抵抗した。デジキャスが置かれている状況、検討課題などをあれこれ並べ立てて、
「少なくともあと1年はデジキャスにおいてもらいたい」
と頼んだ。
「そりゃあ無理だ。これは担当専務の決定で、俺にはどうにもならん」
というわけで、2005年1月、私は朝日新聞に呼び戻された。戻り先は事業局である。そこで朝日ホールの総支配人をするのだという。えっ、俺がホールの総支配人? できるわけないだろ、そんなこと。
とは当時の私の偽らざる気持ちである。私にそんな才能があるとは小指の先ほどの自信もない。
取締役事業局長に挨拶に行った。
「大道です。1つ質問してもいいでしょうか?」
許しを得て質問した。
「どうして私が朝日ホールの総支配人なんですか? 私に務まるとは思えないんですが」
朝日新聞は東京の2箇所にホールを持っている。
1つは有楽町である。かつて朝日新聞東京本社があった跡地に作ったマリオンの朝日ホールだ。もう1つは築地の会社内に作った浜離宮ホールである。2つのホールの支配人を兼ねるので、総支配人と呼ぶ。部長待遇の職である。
「君も知っているかも知れないが、ホールはずっと赤字が続いている。社会貢献事業としてやむを得ない面もあるが、会社として問題視しているのは、浜離宮ホールで催す朝日新聞主催の公演の経営が何ともならないことだ。会社は1年間に1500万円までの赤字を認めているが、これまで10数年、1度も達成されたことがない。それを君にやってもらいたい」
「私にできますかね」
「聴くところによると、君は音楽が好きだそうではないか。それを活かしてくれ」
「少しお待ち下さい。浜離宮ホールはクラシック音楽専用のホールだと聞いています。確かに私は音楽が好きですが、好きなのはロックとジャズです。クラシックには全く関心がありません。だから私は支配人には不向きです」
「えっ、そうなのか。それは……。だけどね、ホールにはもう1つ困ったことがあるんだ。職場の人間関係が複雑で、決してうまくいっていない。それを立て直して欲しい。君は人格円満で、敵を作らないという話も聞いているんだよ」
「申し訳ありません。敵を作らないのは、自分で物事考えない人物だと思います。少しでもものを考えて自分なりの判断を持てば、敵はかならず出来ます。おっしゃっているのは、私はものを考えずにいつもニコニコしている、言い換えればバカだということですか?」
「いや、そんな気持ちは全くないよ、君。とにかくがんばってくれ」
と文字で書くとかなり激しいやりとりだが、現実にはお互いに笑みを浮かべながらの会話であった。私はホール経営を命じられてかなり頭に来ていたが、この上司とは初対面である。この人が悪いわけではない。憎むべきは、一言も断らずに私をデジキャスから引き離し、ホール経営に送り込んだ専務である。
という理性もあったから、とげとげしい会話にはしなかった。冗談めかして、私の憤懣をぶちまけただけである。
という次第で、私はいやいや朝日ホールの総支配人になった。人生、全くままならないものである。