05.23
私と朝日新聞 桐生支局の24 あなたは1期目の4年間、何もしていない
さて、亀山市長に戻ろう。
亀山市長と私の仲が、最初の定例記者会見で遠いものになったことはすでに書いた。亀山市長にとって私は
「いやな質問をする記者」
だった。 彼がそう思っているのであれば、それを貫くしかない。つまり、
「こんなことを聞いたら、言ったら、嫌われるのではないか?」
という配慮は一切抜きにしてお付き合いしなければならない。彼は公人であり、私は記者なのだから、当たり前といえば当たり前のことだが。
東日本大震災が発生した2011年は、統一地方選挙の年でもあった。4月、桐生では震災の後片付けもまだすまない町中で、県議選があり市長選があり、市議選があった。その直前の話である。
ある日私は市長室に出向いた。亀山市長と雑談するためである。
こんな場は、お互い、
「あ、どうも、どうも」
のあいさつで始まる。ソファに腰を下ろすと、私が切り出した。
「ところで、次の選挙、出るの」
亀山市長は私よりひとつ年下である。この程度の言葉づかいは許されよう。その彼に2選を目指して立候補するかを聞いたのである。想定通り、
「はい、そのつもりですが」
という返答が戻ってきた。さあ、ここからである、言いたいことを言うのは。
「であれば、一言申し上げたい。私が見る限り、あなたは1期目の4年間、何もしていない。実績は何もない。それでも2選を目指すのですか?」
市長であった4年間を全否定する。こんなことを言われれば、誰だってむかっ腹が立つだろう。亀ちゃんはひょっとしたら、私を殺したくなったのかも知れない。
「そうですか」
亀ちゃんはそういった。
「そうとられても、仕方がないかも知れませんね」
あれ、あなたは私を殺したくはないのか?
「聞いてください。確かにこの4年間、たいしたことは出来ませんでした。それには理由があります。私が当選した4年前の市長選挙は保守分裂の選挙でした。保守層が2つに分かれて戦った。そのため、保守陣営に亀裂が入ったのです」
確かに、4年前亀ちゃんに負けた現職市長も自民党であった。保守勢力を2分しての激しい選挙戦だったと聞いていた。
「それでね、選挙の後もしこりが残りまして。一方の陣営に属していた人が、他方の陣営にいた人との取引をやめたりすることが続出したんです。それじゃあ、桐生市はやっていけません」
ほう、私が来る前にそんなことがあったのか。
「だから、私の最大の仕事はこの分裂状態を補修することでした。それが、あなたの目には市長としての仕事は何もしていないように映っても仕方ありません」
あれ、この人、以外に素直な人ではないか。
「私には3人子供がいます。桐生で生きていくという子もいます。私だって親です。桐生で生きるという私の子供のためにも、桐生をなんとかしなければならないと思っています。子どもたちが楽しく生きていける町にしなければと思っています。その思いは誰にも負けないつもりです。2期目に入ったら、桐生の再生に全力を挙げたいと思っています」
へーっ、そうなんだ。であれば、まあいいか。
「OK。話はわかりました。あなたを支持するわけではないけれど、がんばってください」
いつの間にか、亀ちゃんとはそんな話ができる仲になっていた。