2024
10.07

妻女殿の手術は功しました

らかす日誌

今日は妻女殿の手術の日であった。結論から書こう。施術した医師に

「上手くいきました」

と告げられた。まあ、一安心である。

入院先の前橋日赤病院には、今日は9時に来いと告げられていた。手術の立ち会い(といっても、指定された部屋で延々と待つのみ)だけならそんなに早くなくてもいいのだが、何でも病室を一度空にするというのだ。どういう訳かよく分からないが、そのため病室にある荷物をすべて一度は引き上げなければならないことになった。

昨日から長男が仕事を休んで桐生に来ていた。自分も手術に立ち合うというのである。日頃はあまり見せないが、孝心の持ち主らしい。

「わざわざ仕事を休んで身まで来ることはないぞ」

といってみたが。どうしても来るという。であれば歓迎しなければならない。昨夜は数年ぶりで「さいとう」の寿司を長男と楽しんだ。何だか、昔に比べれば味が落ちたような気がしたが、気のせいか?
夜8時すぎには自宅に戻り、2人で音楽を聞きながらビール。もっぱらThe Beatlesである。2人それぞれの思い出の曲をかなりの大音量で聴き、その思いを語り合う。長男とこんな時間を持ったのは久々のことだ。それに長男はマンション暮らし。こんな大音量で音楽を聞くことは出来ないから、ヤツも楽しんだと思う。
布団に入ったのは12時すぎ。その間、ビール大瓶が6本からになった。

今朝は7時に目覚めた。目覚まし時計もないのに、ちゃんと必要な時間に目が醒める。たいしたものである。朝食にロカボの食パンを1枚。その用意をしていたら長男が起きてきた。こいつ、若い頃は起こしても起こしても起きなかったのに、50歳になって暮らし方の常識を身につけたらしい。

午前7時半に朱発。悠々と間に合うと持ったが、通勤ラッシュの時間なのだろう、病院に着いたのは9時ジャストであった。

持ち帰る荷物を点検する。確か5個のバッグに詰め込まれていた。やがて妻女殿は車椅子で手術室へ。私と長男は5個の荷物を車まで運び、控え室に戻る。係員に院内だけで機能する電話を渡され、

「手術が終了したらこの電話で知らせる。それまでは病院内ならどこにいてもいい」

と告げられ、それではと1階の喫茶室へ。何しろ、我々2人は待つのが仕事である。昨夜は熱く言葉を交わした親子だが、朝になるともうそれほど話すことも残っていない。控え室に2人座り、無言の行を続けても意味がない。コーヒーを飲むのは時間つぶしである。

その間長男はせわしなくスマホを操作する。

「仕事か」

「ああ」

「お前、休みを取ってきたのではないのか?」

「そうだけど、やんなきゃいけないこともあるんだよね」

待つ。ひたすら待つ。長男はスマホとにらめっこである。それならと私は、持参した「大日本帝国の興亡」(ドン・トーランド著、ハヤカワ文庫)を読み始めた。そして、待つ、待つ。

事前の説明では、手術に要する時間は1時間〜1時間半ということだった。その間、カテーテルでステントを大動脈弁まで運び、弁が硬化して狭くなった関間を広げる。それが終わればやはりカテーテルで生体弁(牛からとるらしい)を患部まで運びんで置く。これだけの治療をする。

妻女殿が部屋を出たのが9時20分頃。だから、9時半には手術が始まったはずである。とすれば、10時半、遅くとも11時には連絡が来るはずだ。そう頭の片隅で考えながら、私の目は活字を追った。

10時半、連絡なし。11時、連絡なし。11時半、連絡なし、12時、連絡なし

ふと不吉な思いが脳裏をかすめる。
事前の医者の説明で、この手術のリスクを散々聞かされた。インフォームドコンセントはいまの医療の主流である。
まず、ステントが患部で広がらず。左心室に落ちてしまうリスク。逆に広がりすぎて心臓の組織を破ってしまうリスク。カテーテルを挿入したことで血栓が脳に到達して脳梗塞を引き起こすリスク……。

「何かが起きたのか? いま妻女殿は生死の境界を彷徨っているのか?」

12時10分、連絡なし。12位20分、連絡なし。

専門家である医者に任せるしかないとは思うが、どうなってるんだ?

やっと連絡が来たのは12時半だった。

「いま手術が終わりました」

と連絡を受け、親族の待合室に案内された。

「ここでしばらくお待ち下さい」

手術が上手くいったのか。それとも事故が起きたのか。そんな情報は全く伝えられない。ただ、

「待て」

である。
さて、その部屋で待ったのは20分か、それとも30分だったか。
やがて

「先生からお話しがあります」

と集中治療室に案内された。行くと妻女殿がベッドに横たわっていた。

「まだ麻酔が効いているんですよね?」

と聞くと、

「いえ、もう覚めてます。話もできますよ」

そう言われて妻女殿に声をかけた。

「おい、どうだった?」

「何だかボーッとしていて、何をしてもらったか憶えてないの」

全身麻酔での治療とはそのようなものだろう。
担当した医師に向き直ると、

「手術は上手く行ったと思います。事前に散々リスクを御説明したので心配されていたかも知れませんが」

「いや、インフォームドコンセントはいまの流れですからね。医師としてやらねばならないことをおやりになっただけですから」

三言四言妻女殿と言葉を交わして、我々は集中資料室を出た。長男と2人、昼食にそばを食べ、川崎まで帰る長男をJR前橋駅まで送って私は帰途についた。

驚いたのは、待ち時間にケアマネージャーから聞かされた話である。この手術を受けると、患者は身障者手帳をもらうというのである。それも1級の手帳だという。この手帳をもらうと、様々な税が控除され、医療費の自己負担分が0になるなどの恩典があるというのである。

恩典はありがたい。しかしそれよりも、そんなに危険な手術だったのかと、改めて思い知らされた気がした私だった。

これほど病院に長くいると、何だか気持ちが疲れる。疲れた私の今日の夕食はステーキ(冷凍した肉を解凍した)、ステーキを焼いた後に残った牛脂を使った野菜炒め。これをビール1本で胃に流し込んだ。最も時間がかからない料理である。

いま妻女殿は集中治療室にいる。経過が良ければ明日にも病室に戻る。そうすれば、引き上げてきた身のまわりのもの、バッグ5つ分のあれやこれやが必要になるから、私はまた前橋日赤まで車を走らせなければならない。

明日も疲れそうである。