07.22
小津安二郎って、名監督か?
このところ、連日小津安二郎監督の映画を見ている。制作年順に並べているので、1929年作の「学生ロマンス 若き日」から始まり、今日は小津監督初のトーキー映画、「一人息子」(1936年)、次の「淑女は何を忘れたか」(1937年)まで進んだ。進んだのはいいのだが、首をひねることが多い。
「小津安二郎って、そんなに名監督か?」
小津安二郎をもてはやす人は多い。ところが私は、小津作品のつまらなさばかりに目が行く。いったいこの人、何を伝えたくて映画を作っているのだろう?
「学生ロマンス 若き日」から1935年作の「東京の宿」まではサイレント映画である。サイレント映画の最高峰は、私見によればチャップリンの「街の灯」である。台詞が一切ない映画でも、見る者に津波のような感動を引き起こすことができるのは、この映画を見た人ならおわかりだと思う。
ところが小津監督のサイレント映画は、チャップリンのドタバタ喜劇に比べようもない、笑えないドタバタがつなぎ合わされているだけだとも見える。とにかく、観客を笑わそうとしていることは分かるが、ちっとも笑えないのである。
小津監督サイレント時代の最高傑作は1932年作の「大人の見る絵本 生れてはみたけれど」だと言われている。勤め先で課長になった父を敬愛する2人兄弟が、父が会社の専務にゴマをする姿をたまたま見て煩悶し、父に反抗するという筋立てである。世の論者は
「子供の視線を通じて肩書き社会を痛烈に批判した作品」
などと書くが、さて、そうか?
私は上司にゴマをすった記憶はあまりないが、それでも、上司と席を共にすれば、気は使った。上司とは年上の方々である。長幼の序という美しい伝統は守った方がいい。それとも、20代の若手が50代の上司を相手に、敬語も気遣いもないため口をきくのが理想社会であるとでもいうのだろうか。
「いや、上司に卑屈な態度を取るのが良くないのだ」
とおっしゃる方もあろう。私もそう思う。だが、優れた上司は、部下の卑屈な態度、行為を忌み嫌いながら、組織を守るために叱責できないということを、私は野村證券の社長だった田淵義久さんを採り上げた時に書いた。まともな会社にはこのような上司がいるはずで、この映画に出て来る父親が、専務に卑屈な姿勢で臨まねばならなかったとしたら、まともな会社ではない。この父親はまともではない会社に入って身過ぎ世過ぎをしているのである。
無論、まともな会社、まともな上司がたくさんあるわけではない。しかし、暮らしのためにそんな会社に勤め続ける父は、そんな会社で課長になるぐらいだから、そんな人なのである。それを
「家族のため、子供のため」
と描いてどうしようというのか?
まあ、世の中にはそんな事実もたくさんあるのだろう。それは組織の体質と個人の資質の関数であり、個人の問題に集約することは出来ないのではないか?
それよりも気になるのは、たくさんの作品で
「偉い人になるんだよ」
という台詞が使われていることである。それは子供に対する諭しの言葉であり、期待の言葉でもある。だが、偉い人になるとはどういうことなのか? 立身出世することが
「偉い人になる」
ことなのか? 少なくとも私が見た限りでは、小津監督はこの言葉に中身を与えていない。偉い人とはどんな人なのかを定義していない。いったい、どんな人間になったら、偉い人なのだろう? 偉い人になることがそんなに大事なことなのか?
今日見た「一人息子」でも違和感が膨れあがった。
信州の母子家庭の母と子が主役である。母は紡績工場に勤めて暮らしを立てている。貧しい。その子は成績が良かった。向学心に溢れ、学校の教師に
「お母さんが、上の学校にってもいいといっている」
と嘘をついた。それを信じた教師は家庭訪問し、
「いやあ、お母さん、よくぞ心を決めていただいた」
といって去る。こうして息子は東京の学校に進学する。
それから12年(だったと思う)。母は東京に息子を訪ねる。駅まで母を出迎えた息子はいうのである。
「実は、すでに嫁をもらって、子供もできた」
おいおい、親一人子一人で育ち、爪に火を灯すような貧しさの中からお前を東京の学校に出してくれた母親に、許諾を得るどころか知らせもせずに結婚したのか、お前!?
いや、これがぐれて実家を飛び出した息子ならそんなこともあるかも知れない。しかし、貧しい暮らしにめげず成績優秀で、母親の期待を背に受けて東京に雄飛した息子である。それが、大恩ある母親にこんな仕打ちをするか?
小津作品は、そのシナリオは、どこかが狂っているとしか私には思えないのである。
いや、まだ私の小津作品鑑賞は、トーキー2作目の「淑女は何を忘れたか」まで進んだだけである。戦前の作品だ。ひょっとしたらこの後、
「なるほど、小津作品は素晴らしい」
と思わせてくれる変身ぶりを見せてくれるのかも知れない。それを楽しみにしている。
以上、世にもてはやされる小津安二郎監督と、私が受ける小津作品への印象があまりにも違うため、とりあえず書いた駄文である。