2025
03.18

数十人のパーティを20万円で引き受けてくれた

らかす日誌

私が児玉を使ったこともある。いや、使ったといいうより、お願いして協力してもらったと言った方が正しい。

私が経済企画庁(いまは総理婦に包含された)担当だった時のことだ。元毎日新聞の記者で「エコノミスト」に記事を書き、独立して経済評論家になった高原須美子さんが経済企画庁長官になった。女性としては初めての民間出身の大臣として話題になったからご記憶の方もあるかもしれない。

その高原さんがわずか半年で退官することになった。内閣改造のためである。在任中から一緒に飲みに行ったりご自宅でのパーティにマネ借りたりして仲が良かった私はその時。たまたま記者クラブの幹事だった。高原さんの追い出しコンパを、こだまの助けを借りてやっちゃったのである。
この件も、コピペをお許し願いたい。

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「高原さんの追い出しコンパをやろうか?」

と言い出したのは誰だったか。そんな素っ頓狂なことを思いつくのは多分分私だったと思うが誰が言い出したにせよ、その時のクラブ幹事は朝日新聞の私だった。やるのなら思い出深いものにしなければならない。私は記者クラブの事務を担当している女性に問い合わせた。

「ねえ、いまクラブ費はいくらある?」

クラブ費とは、記者クラブに加盟している各社が毎月納める金である。その金からクラブに必要なものを買う。新聞、週刊誌、コーヒー、お茶などが主な出費となる。
そういう金の使い方はずっと引き継がれてきたものだろう。だが、と私は考えた。クラブに必要なものに出す金だったら、大臣の追い出しコンパに使ってもいいのではないか? そう、クラブ費で追い出しコンパをやろうというのである。

「20万円ほどあります」

その返事を聞いた私は、あのカ児玉に連絡を入れた。

「高原さんは覚えてるよな、俺が店に連れて行ったから。その高原さんが大臣を辞める。それで、記者クラブで追い出しコンパをしようと思っているのだが、金が20万円ある。この金でお前がやってくれないか?」

やってくれないか、とは料理から酒まで20万円で引き受けてくれということである。何しろ、クラブ員だけで数十人いる。それに高原女史が入り、お付きの役人、経済企画庁の偉いさんたちまで顔を出すだろう。そうすれば50〜60人が飲んで食うことになる。カルロスが用意するのはワインだから、20万円ではとても足りないだろ。そこを何とかしてくれ、というのが私の求めであった。

「冗談じゃなかばい! そんな金で出来訳なかろが!!」

という怒声も覚悟した。しかしカルロスは

「ああ、よかばい」

と2つ返事で引き受けてくれた。持つべきものは友である。

当日、カルロスは開始時間より遙かに前に記者クラブに顔を出し、料理の準備を始めた。パエリアは覚えているが、ほかにはどんな料理があったか? 確か生ハムもあったと思うが……。
私には別のプランがあった。これは一種のパーティである。であれば音楽がなければ寂しい。そう考えて、自宅からクリスキットのプリ、メインアンプ、CDプレーヤー、そして自作の120リットルの箱に入れた16㎝スピーカーを記者クラブに車で運んだのである。自宅でサブシステムとして使っていた一式だ。そして、記者クラブにセットした。

「オープニングの曲は何がよかろうか?」

そんなことも考えた。確か、モーツアルトを選んだはずである。それともベートーベンの「皇帝だったか。

こうして始まった追い出しコンパは、御想像の通り盛り上がった。次々にワインが抜かれた。酒豪の高原さんはすっかり酔っていたと思う。

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児玉は、客の私からは遠慮会釈なく料金をむしり取った。児玉と私以上の関係を築いたらしい我が息子も

「今日はえらく高かった!」

と呟いたことがある。ビジネスはビジネス、友情は友情。そんな割り切りが児玉にはあったとも言える。
だが、数十人のパーティをわずか20万円で引き受ける。ワイン代だけでも足が出たのではないか。

友の頼みなら、持ち出しになっても引き受ける。児玉にはそんな男気があった。

そうそう、経団連会長だった豊田章一郎さんの追い出しコンパも「ラ・プラーヤ」でやった。この時も、私がたまたま記者クラブの幹事だった。これもかつて文章にしており、コピペしようかと思ったが、児玉の登場場面が少ないので取りやめた。当日の児玉はシェフに徹してくれたのである。もしお読みになりたいというかがいらっしゃったら、申し訳ないがこちらへ飛んでいただきたい。

この時は、客単価1万2000円で依頼した。もっとも、記者というのは酒飲みが多いから、ワインを含めればひょっとしたら赤字受注だったのかもしれない。

そういえば、経団連会長をされた東京電力の平岩外四さんを「ラ・プラーヤ」にお連れしたこともある。和食より洋食の方が好きだとおっしゃる平岩さんなら児玉の料理の腕を楽しんでいただけるのではないか、とお招きした。

平岩さん、当時確か85歳である。供される料理を全て平らげ、ワインも進んだ。
散会した後、児玉が言った。

「あれで85? ワインはボトルの3分の2は飲んだばい。化け物やね」

児玉は言葉を継いだ。

「ばってん、色っぽいジジイやね、平岩さんちう人は」

児玉も85歳になって色っぽいジジイになってほしかった。逝くのがどう考えても早すぎた。が。まあ、あのような男である。幾つになっても色気が滲み出すことはなかったかもしれないなあ。

だが、85歳になった児玉とワインを飲んでみたかったと思う私である。ん、児玉が85なら私は89? ワインを楽しめるかなあ‥‥。