04.14
2008年4月14日 また
朝から歯科医に行った。またはずれたのである、かぶせもの=クラウンが。
左下奥歯のクラウンが突然はずれて歯科医に行ったこことは、先週9日の日誌で書いた。あの時は、治療してずいぶん長い時がたったのだから、仕方ないかと考えた。社内にある歯科で、はずれたクラウンをセメントで固定し直してもらい、一件落着した。
いや、したと思っていた。ところが、同じかぶせものがまた取れた。土曜日、12日朝の出来事だ。治療効果は3日もたなかったことになる。
今朝、社内の歯科医に電話をした。
「ということで、もう一回やって欲しいんだけど。ついでに、私担当のFさんに『下手くそ』って言っておいて」
受付の女性がいった。
「ごめんなさい。今日はF先生はお休みなんです。ほかの先生だったら、12時15分からやってもらえますけど」
緊急事態である。私には選択肢はない。
「分かった。12時15分に行くから、明日Fさんが出てきたら、『下手くそ』って言っておいてね」
受付の女性は真面目だ。
「いえ、私からはとても言えません、そんなこと」
次にFさんの顔を見た時に、私の口から伝えねばならないらしい。
こうして、2度もはずれたクラウンは、再び私の歯に固定された。30分は食事をしないでくれといわれたので、昼食は1時過ぎまで待った。
3度目は、ないよね?
ところで、こんな話は、12日の日誌に書いておくべきことである。何しろあの日は、はずれたクラウンを3回も4回も噛んでしまったのだから。
書かねば、と思った。なのに書かなかった。何故か?
忘れていたのだ。デジタルビデオテープのことを書いているうちに、すっかり忘れてしまった。はずれたクラウンを、セメントなしでそっと歯にかぶせていたから、口内に違和感がなかったことも、すっかり忘れていた理由ではあろう。
だが、と私は思う。忘れていた最大の原因は、私がそんな年齢に達したことであるに違いない。悔しいが、情けないが、これが事実である。あ~ぁ。
昨日は、朝から次女と瑛汰が来た。夕方には次女の旦那と長男夫妻もやってきて酒盛りとなった。全員が我が家を去った時、私はすでに酔っており、日誌を書けなかった。
が、世の中よくしたものである。今日は新聞休刊日。おかげで社説もない。というわけで、今日は昨日書けなかった昨日の朝日新聞社説を。
【G7―バブルには治療も予防も】
こんなノーテンキな説を読むと、この人、人間にできないことはないと思い込んでいるんじゃなかろうかと心配になる。
ずいぶん昔、ガルブレイス の「バブルの物語」 を読んだ。ずいぶん昔のことだから、さて、何が書かれていたかは、もう忘却の彼方だ。
それでも、彼がバブルは防げるという考え方には距離を取っていたような記憶がある。
17世紀、オランダで起きたチューリップ・バブルから20世紀のバブルまでの物語を書きつづりながら、バブルは、前のバブルが記憶に残っている間は起きない。前回のバブルの記憶を持たない世代が社会の中核になった時、再びバブルは起きる、というのがガルブレイスの分析だった、と私の記憶にある。正確かどうかは保証しない。関心をお持ちの向きは、この本を手にされたい。
つまり、人間とは何度も何度も愚かなことを繰り返すものなのだ。必死に考えて予防線を張ったつもりになっていても、想定外の予期せぬ出来事が起きて予防線が無意味になる。 それが我々ではないのかな?
だから、バブルの予防といわれてもねえ……。
「長期間にわたり低金利が続くという期待が、世界的なバブル頻発の原因の一つといわれている」
ってったって、景気の低迷が続くから金利を下げているわけで、バブルを防ごうと金利を上げて景気の足を引っ張ってしまったら、角を矯めて牛を殺すことにもなりかねない。現実は極めて難しいのですよ。それが分かった上で、
「それをどう解消していくのか。G7は今後、こうした本質的な議論も深めていくべきだ」
なんて、毒にも薬にもならない結論を書いているのかねえ。
【食糧高騰―市場の暴走が飢餓を生む】
不安定さを増す米国の金融市場を嫌った投機資金が食料市場に流れ込み、
「市場の暴走」
が起きている。それが現在の食糧不足の原因なのだそうだ。ははあ、飛んでもないことが起きてるなあ、市場なんてろくなもんじゃないねえ、と読み進めると、
「食糧の値段や供給は市場が調整する」
とくる。ん? ここで混乱する。
この社説子は、市場は必要なもの、有用なものという立場に立つらしい。でもねえ、市場というものから見れば、収益が少ない、あるいは金を注ぎ込んだら危ないという米国の金融市場からお金が逃げ出すのは当たり前ではないですか。その金が、確実に利益を手にできそうな食糧市場に流れ込むのも、いわば市場が正常に機能している結果である。市場の正常な機能が発揮された結果を「市場の暴走」というのは、正しい言葉の使い方か?
で、どこへ行くかというと、
「先進国の投機と無策が人道危機を引き起こしている。飢餓の広がりを防ぐために、日本をはじめとする先進国は緊急支援に動かねばなるまい」
というわけで、つけは再び財政に回ってくる。巨額の利益を狙って世界中の市場を疾走する投機資金が引き起こした混乱のつけを、納税者が払うことになる。困っている人々のために、国のお金を使うべきだ。これは人道主義なのである。
まあ、緊急避難としてはやむを得ないのかも知れない。でもねえ、何でもかんでも国の金、つまり税金を注ぎ込めっていうの、そろそろやめにしませんか? 一方では財政再建が必要だ、なんてことも主張しているわけだし。
お金を使っていい人のふりをするのは簡単である。私にもできる。でも、例えば定年になってお金が使えなくなった時、私はにいい人であり続けられるか?
お金が使えなくてもいい人であり続ける。人格の出番である。難しいがそれしかない。
パッパッと金を出すより、人格ならぬ国の品格を感じさせる支援の仕方はないのかなあ? そんなテーマに挑んだ社説が読んでみたいものだ。
(注)
リンクに関しては、同じことを書き続けるしかない。トホホ。