2008
04.15

2008年4月15日 完済

らかす日誌

四半世紀も払い続けてきた住宅ローンを、やっと完済した。今朝、城南信用金庫に妻と出かけ、手続きをしてきた。

ホットした、と普通なら書くのかも知れない。だが、何の感慨もない。まあ、ローンがなくなっても私の小遣いが増えるわけではないし。

いや、もっと大きな原因がある。ローンが終わったということは、我が家もそれだけ年老いたということだ。重量鉄骨で造った家だけに、躯体に狂いはない。窓もドアもスムーズに開閉する。丈夫である。だが、年相応なところも数多い。代表は水回りである。システムキッチンは、すでにシンクの下のドアがない。ちょうつがいが壊れた際、

「足乗せにちょうどいい」

という妻の主張に、修理もせずに放ってある。見た目はよくない。無惨である。

風呂や便器、配水管も時代を感じさせる。家族構成が変わり、間取りも変えたい。ダイニングの床は荒れている。

そう、ローンはなくなっても、リフォームの必要が日に日に大きくなっているのである。また金がかかる。

「だけど、この際やるしかないよな」

と妻に持ちかけた。返事は早かった。

「しない」

訝る私に、妻は言った。

「犬が死ぬまでは、今のままでいい」

我が家のリンは室内犬である。爪を立てて屋内を闊歩する。畳は表替えをして2年もするとすっかり毛羽立つ。木の床だって痛むはずだ。それが妻の論理である。

なるほど。

我が家のリフォームは、このままだと5、6年先になりそうだ。金を貯めなくては。

今日の朝日新聞社説を読もう。

【ギョーザ事件―捜査を長期化させるな】

結論に異論があろうはずはない。野次馬的な興味も含めて、一日も早く真犯人が捕まって欲しいと思う。

でも、これって「説」か? 新しい事実もなく、新しい視点もない。常識を常識のまま書く。さて、読んだ私はどんなメッセージを受け取ればいいんだろう?

ああ、そうか。そういえば、新聞とは確認のメディアである、という説を読んだ記憶があるな。読者というのは、自分でも様々なことを考えている。新聞に、自分が考えていることと同じことが書いてあると、やっぱりそうだよな、と安心する……。

そうかあ? 私は、私の蒙を啓いてくれることを新聞には期待しているんだけどなあ……。

ギョーザ事件で言えば、いま一番知りたいのは、どうして捜査が行き詰まっているのかを白日の下にさらす報道である。

中国側の捜査は、どうして中途半端(と私には思える)で止まっているのか。あの程度の材料で、中国国内での混入はないと言い切るのは何故か? 我々が知らない材料があるのか? それとも、そういわざるを得ない政治状況があるのか? あの国では、捜査も政治の僕にならざるを得ないだろうからなあ……。あ、日本にもそんなところはあるが。

社説も書いているが、日本の捜査当局は、メタミドホスが包装袋を浸透するするかどうかの再実験をしないのか? しない方がいい理由でもあるのか?

そんな記事を読んでみたい。あ、そんな記事は社説ではないか。

にしても、だ。報道機関だって、メタミドホスと包装袋を手に入れれば、中国捜査当局の主張が信用できるかできないかの再実験はできる。国内の研究所では政治的色が付きすぎるというのなら、海外の研究期間にテストを依頼すればいい。

捜査当局に頼らなくてもできることは自分でやる。それもメディアの役割だと思うが。

【徳山ダム―何のための半世紀だった】

グルメらかす 第8回 山里の味」、「らかす日誌 2006年6月25日 おばあちゃんと元上司のこと」で書いたように、徳山ダムに沈んだ徳山村とは浅からぬ因縁がある。興味深く読んだ。

ダム受け入れ派と反対派で揺れていた徳山村。図式にすれば、郷土への愛を前面に押し出して反対を唱えた人たちの方が美しく見える。だが受け入れ派だって、郷土愛で劣っていたかどうか。国のすることだから、国民としては受け入れるしかない。こんな山奥の村に将来はない。この際、子どものためにも山を下りて暮らした方がいい。いろんなことを考えた結果の受け入れ派であったに違いない。

いずれにしても、徳山村建設計画が、徳山村で肩を寄せ合って生きていた1000数百人を引き裂いたことだけは確かである。その結果が、

「多目的ダムというのに、発電の施設もなければ、水道水や工業用水を取り込む設備もないままだ。『洪水対策に役立つ』というが、それだけならもっと小さなダムでよかった」

とは。

増山たづ子さんを始めたとした徳山村の人々は、何のために村内で対立し、何のために村を捨てたのか……。まったく、社説子の書く通りである。

だが、社説子には1つだけ申しておきたい。

「こんなお役所仕事が半世紀もの間、なぜ許されてきたのか。そのことも突きつめて考えたい」

って、あなた、50年もたってまだ見えないんですか、「なぜ」が。本当に見えてないんだとすると、なんか心許ないですなあ。

どうしたらいいかいろいろ考えていた、リンク切れした社説。ちょいとしたサービスを考えました。

リンク切れした社説を読みたい方は、いつの社説が読みたいのかメールでお知らせください。ワードのファイルにした社説を添付したメールを送り返します。

これなら、私が保存した切り抜きをお見せするようなもので、あまり問題も起きないのではないかと考えました。手数はかかりますが。

まあ、たった1人でやっておりますので、できることには限度があります。数百、数千のリクエストが殺到したらサービスをやめます。

杞憂でしょうが……。

あわせて。

いただくメールは、自宅のパソコンで読みます。自宅のパソコンを毎日立ち上げる時間はないので、メールをいただいても返信するまでに時間がかかることがあり得ます。いくらかのタイムラグはお許しください。

メールをいただける場合は、感想(日誌に限らず)などを書き加えて頂ければ嬉しく思います。

以上、よろしくお願いします。

(注)
手元にとって老いたはずの社説、すでにどこかに行ってしまいました。もっとも、当時も、「ほしい」というメールは1通も来ませんでしたが。