2011
07.20

2011年7月20日 またもや

らかす日誌

今日の日誌を書こうと思い立って、ふとデジャヴュに捕らわれた。

「ん、去年も同じことを書かなかったか?」

見てみた。あった。これである。
去年の今ごろ、私は庭の雑草取りに血道を上げていた。さんさんと降り注ぐ真夏の太陽の直下で、小さなキャンプチェアに座り、片手に鎌を持って、

「人様の庭先に、主の許しもなく入り込んではびこるお前たちは許し難い!」

と、したたり落ちる汗を苦にしながら、悲鳴をあげる腰をだましながら、とにかく雑草取りに邁進していた。これを読んで、1年前をありありと思い出した。

なのに、である。今日書こうと思ったのも、やっぱり雑草取りなのである。私って、進歩がないんだろうか? まあ、年齢的には、もう進歩する段階を通り過ぎたとの自覚はある。あとは、退かないことを心するしかない。

 

だが、あえて書こう。去年と今年では状況が違うのだから。

一雨ごとにはびこる庭の雑草が気になるのは、去年も今年も変わりはない。だが、今年は私に変化があった。1歳だけ歳をとった、というだけではない。腰にヘルニアが見つかり、現在治療中なのである。

とにかく、腰に負担をかけてはいけない。だから、今年はすくすくと伸びる雑草を目にしながらも、苛々しながらも

「今年は仕方ないか」

と半ばあきらめていたのである。

ところで、雑草取りに最適の状況をご存じか? 雨上がりである。地中にしみ込んだ雨が土を軟らかくし、鎌など使わなくても、気持ちよくスッポンスッポンと抜くことがでできる。

悪いことに、その最適の状況が今日現れた。台風の余波でこのところ雨が続いた。四国、紀伊半島をかすめて大きく方向転換した台風6号は、なぜかマーゴンなどという訳のわからない名前がついたが、名前の善し悪しは関係なく、桐生にもたっぷりの雨をもたらした。その雨が、今日の昼過ぎには上がっていたのである。

どうでもいい話だが、昨夜の飲み会では、マーゴンの進路が話題に上った。

「凄い急カーブをきるんだねえ。不思議な進路だ」

「いや、まだわからんぞ。ほら、鋭いカーブを投げようと思ったいたら、ボールの縫い目に指がかからずにすっぽ抜けの直球になることがあるだろ。マーゴンもすっぽ抜けて一直線にこっちに来るかもな」

ま、飲み助の創造力とはその程度のものである。ちなみに、直球説を唱えたのは私である。

とにかく、私は午後3時半頃自宅に戻った。庭は相変わらず雑草に占拠されている。その庭が、雨水を含んでしっとりしていた。
だから、ついつい、思ってしまったのだ。

「これなら、簡単に抜ける!」

そう思うと矢も立てもたまらなかった。玄関に荷物を置くと、私は庭に出た。雑草と面と向かう。

「いまから抜いてやるからな」

まあ、去年のような獅子奮迅の働きはできない。何しろ今年は、腰に爆弾を抱えているのだ。何事も腰と相談せねばならない。

「まだ大丈夫か?」

何度腰に問いかけただろう?

5分しゃがみ込んだら立ち上がって腰を伸ばす。おおむねそんなリズムだったと思う。そのリズムに乗りながら次々と憎い雑草を抜いた。エリック・クラプトンがギターで紡ぎ出すリズムは実に複雑でコピーが難しいが、このリズムは簡単である。私は、満面に喜色を表していたはずである。

が、まあ、何しろ病体なのだ。無理はしない。作業は小1時間で切り上げた。それでも、庭は見違えるように綺麗になった。いや、私がそう思いたいだけかも知れないが。

幸い、腰にはそれほど響いていない。
明日以降も、状況を見ながら雑草と対面することにしよう。

 

えっ、午後3時半って、仕事時間中なんじゃないの? あんた、そんな時間に雑草取りなんかしていいのかい?

と疑問に思われた方は、まだまだ人生に暗い、と申し上げておく。
いま住んでいるのは、会社が借り上げて事務所兼住宅にしている家である。私はここを拠点にして仕事をすると同時に、この事務所兼住宅を維持・管理する仕事も会社から託されているのである。
庭の雑草を抜くのも、だから仕事のうちなのだ。執務時間中に正当な労働をして何が悪い?

 

ふと記憶が蘇った。
今日会った社長さんも、腰のヘルニアを患ったことがあるそうだ。

「大道さん、私しゃねえ、ヘルニアになったのを自分で直したのよ」

ふーん、自分で直すこともできるんだ。マッサージにでも通った?

「1日500回の腹筋運動。それを毎日続けてね。いつの間にかなおっちゃった」

1日、腹筋運動を500回……。それを毎日続ける……。

だからこの人は社長なのかも知れない。
だから私はいまだに社員なのかも知れない。

そう思ってしまった私である。