11.04
2012年11月4日 さぼった
わけではない。11月に入り、何となく仕事に追われたり、私事で動き回る日々が続き、
「さて、これから書こう」
と思い立った昨夜、桐生市の元有力者O氏から電話が来た。
「ねえ、これから飲みに出るんだけど、来ない?」
実はO氏とは、昼間も顔を合わせていた。桐生・いとや通りのお祭りで、我が家の隣に住む高校3年生の女の子がギターを持って歌うというので、写真でも撮ってやろうと出かけた。そこで出会っていたのである。
余分な話をすれば、彼女に
「いとや通りで歌わない?」
と声をかけたのは私であった。自宅でギターをかき鳴らしながら歌う声が、よく聞こえてきていた。1週間ほど前、夕食の前にビールを飲んでいると、また聞こえてきた。
「おっ、やっとる、やっとる」
と思いながらビールをグッと飲んだとき、ふと思いついたのだ。
「祭りで歌わせてやろうか」
幸い、祭りの責任者は知り合いである。頼めばなんとでもしてくれるだろう。が、一度も話したことはないが、おとなしそうな娘である。人前で歌いたいというだろうか? ま、嫌なら嫌で構わない。と思って妻女殿を通じて打診すると、やがて
「出たい」
という返事が来た。あとはトントン拍子で話が進み、彼女は見事に路上デビューを飾ったというわけである。嬉しいことに、足を止めて彼女の歌に聴き入る客もおり、同じ場所で演奏していたブルース・バンドのおじちゃんたちに、
「女は得だよな」
と言わしめた落ちがついた。確かに、力量はバンドの方が遥かに上。でも、彼らの演奏に、足を止めてまで耳を貸す人はほとんどいなかったのである。
話がそれた。元に戻す。
とにかくO氏は、昼間会ったときも
「ねえ、今日は建築設計の先生と夜飲むんだけど、来ない?」
と誘ってきた。その先生はO氏の自宅は設計したが、私の自宅は設計していない。何故私がそんな席に? と、丁重にお断りした。
それから9時間あまり。またまた打診してきたのである。
「祭りの後始末が長引いて、いまやっと飯を食い終わったのよ。どう、来ない?」
時計をみると、午後9時を回っている。すでに風呂に入り、晩酌をし、夕食を済ませた。パジャマ姿である。
「ま、遠慮するわ。かってに腹一杯飲んできて」
とつれなく拒否した。それで終わると思っていたが、O氏、さるものである。
「あ、先生が話したいって。ちょっと代わるから」
先生とも全く知らぬ仲というわけではない。
「あ、大道さん、来ないんですか?」
弱い。私はこのような誘いには本当に弱い。それほど付き合いが深くない人にこういわれて、なんといって断ったらいい?
「分かりました。はい、いまから行きます」
こうして私は、わざわざ服を着替え、夜の街に足を踏み出したのであった。
という次第で、昨日、日誌を書けなくなった。決してサボったわけではない。ご了解いただけたであろうか?
で、昨日、実は書こうとしたことがあった。田中真紀子文科相による、大学の新設はダメよ、と3件の設置認可を認めなかった、という話である。
私、このお嬢様といおうか、おばさんといった方がいいか、トンチンカンなことばかりしている女性を、初めて見直した。
「あんた、筋の通ったことするジャン!」
新聞などを見る限り、批判の方が圧倒的に多いようだ。
4年生大学になるというから短大に入り、4年制の方に鞍替えしようと思っていたのに、どうしてくれる、という学生。
裁量権の逸脱だ、という国会議員。
認可の是非を決める審議会で認可が決まっていたのに、乱暴すぎる、という新聞。
ま、確かにいろいろと問題を含んでいることはよく分かる。
でも、である。
4年制大学はこの20年で1.5倍に増え、多すぎるといわれてきた。定員割れの私立大学が年々増え、大学生の学力低下は、もう当たり前すぎて珍しくもなくなった。答案用紙に名前を書くだけの学力(?)さえあれば入れるといわれる大学の話も聞く。それも、大学の数が多すぎることと無関係ではあるまい。
大学生なんて、もうインテリでもエリートでもない。
問題点は明らかだったのに、大学の数が多すぎるとはみんな認識していたはずなのに。どうしてまた3校も認可されるのか?
と考えを進めれば、大学設置・学校法人審議会が正常に機能を果たしていない、という結論になると、私は考える。
問題点は分かる。だが、これは乱暴すぎる。大学のあり方、大学設置・学校法人審議会のあり方を変えるという手続きを踏まねばならない。ともいう。
だが、そんなわかりきったことがこれまでできなかったのが、永田町であり、霞ヶ関であった。今回の、田中おばさんの粗雑きわまる決定を導き出したのは、そうした何もしなかった政と官である。
政治主導といい、決められる政治という。ドジョウがいうと嘘っぽく聞こえるが、実は政治主導、決められる政治というのは、このようなことをいうのではないか?
まあ、田中のおばさんだから、あちこちに配慮する能力に欠けたお嬢様だからやちゃったことであろう。
が、それが、永田町と霞ヶ関の、変化を好まない旧態然たる実像を浮かび上がらせたのも確かである。
あ、私、田中のおばさまは全く評価するものではない。この女性を閣僚に登用したドジョウの不見識ぶりに怒っている1人であることを書き添えておく。