11.07
2012年11月7日 天の邪鬼
田中おばさまの大学新設不認可を
「よくやった」
と私は評価した。でも、、メディアはどこもここも、やっぱり田中おばさんは変だと書き続けている。ということは、私は天下に希有な天の邪鬼に違いない。
今朝までそう思い込んでいた。広い天下に俺一人、と自負してもいた。
ところがである。今朝の東京新聞を見て、天の邪鬼は私だけではないことを思い知った。
「大学 少子化なのに増加 『最高学府 権威消えた』 新設問題 文科相にも一理?」
特報面にそんな見出しが躍っていた。あ、もうひとつ見出しが。
「委員の大半学校関係者『審査、事実上ザル』」
何だ、俺のいいたかったことがすべて書いてある。しかも、俺みたいに雑な論理ではなく、150行から200行はあるだろう長い原稿で解き明かしてあり、有識者と覚しき人の談話も丁寧に拾ってある。
いくつか印象に残った。
「大学は地方社会にとって一つのステータスであり、地域の有力者は、自身の権威のために開校したがる傾向がある」
大学ジャーナリスト、石渡嶺司氏のコメントだ。なるほど。そんなわけで雨後の竹の子のごとく大学が増えたのか。ちなみに、「審査、事実上ザル」というショッキングな分析も、この人から出たものだ。
入試が簡単になっているというのも、この人の話。それによると
「日本史と世界史の二科目だけで受験できる大学がある。ある中堅の理科大では、微積分の知識も問われない」
大学の講義では
「上場企業って何ですか」
「パーセントの意味が分かりません」
という学生もいるとか。そんなアホウは、上場をウワバと読んだりするんだろうな、きっと。
ま、こうみると、石渡氏の話に依拠しすぎた感がないでもないが、それでもちゃんとしたメディアが田中おばさまの行動を、
「一理ある」
と報じたことは意味がある。
おかげで、私が自慢できるのは
「俺の方が早かった」
ということぐらいになってしまったが……。
そして、我らが天下の朝日新聞。こちらは、田中おばさまが「新基準での再審査」を言い出したことの解説を1面トップに据えた。なんでも、沸き上がる批判に意気消沈した田中おばさまに、文科省の官僚が知恵を授けたのだという。
「認可、不認可が効果を発揮するのは、その決定内容が相手に到達したときです。今回はまだ不認可通知を発送していません。今回はとりあえず、認可も不認可も決めていない状態にリセットしましょう」
ということだったという。
官僚とは、悪知恵を沢山持つ人間という意味らしい。
ま、なるほど、と教えられる記事ではある。だが、今回の騒動の本質を捉えたとはとても言い難い。いってみれば、サイドストーリー、端っこにあればいい記事だ。
この記事の横には、
「『詭弁だ』■訴訟も視野」
という見出しの記事が並んだ。不認可とされた3大学の分満を集めたもので、田中おばさんをけちょんけちょんにしたいがために集めたのだろうと推測できる。これが朝日の基本的スタンスである。
そして社説は
「田中文科相 『案の定』の大失態だ」
ここでは批判の矛先は、田中おばさまを文科相に起用したドジョウ首相に向けられているのだが、前提として、田中おばさまのやったことは「失態である」との認識がある。田中のおばさまの理屈にも一あるのではないか、と考えてみた節はどこにもない。
そうか、朝日新聞の論説委員とは、究極の保守主義者の集まりであったか。いつもは前例踏襲の官僚主義を口を極めて批判しているくせに、いざとなるとこれだもんなあ。だから社説なんて読まれないんだよな。
今日は前橋で飲み会である。11月に入って群馬県に新しい仲間が一人増えた。その歓迎会だ。これからタクシーで前橋。帰りもタクシーで。
面倒だが、行かずばなるまい。
では。