2014
10.07

2014年10月7日 台風

らかす日誌

いやはや、意気揚々と横浜経由で四日市に行ったはいいが、台風にたたられてさんざんな週末であった。

3日、午前11時半頃桐生を車で出発、横浜に向かった。平日で首都高は混雑、横浜の家に着いたのは午後2時を回ったころである。そこから璃子の

「ボス、遊ぼ!」

攻撃にさらされ、ギッタンバッコン、飛行機(私が仰向けになり、両足で璃子を持ち上げる)、グルン(私が璃子の両手を持ち、璃子は私の身体に足をかけて上り、一回転する)、ついには

「肩車して」

と私の肩にまたがるので、せっかくならと、璃子の足を支えて我が肩に立たせたら、璃子の手が天上に届いてたいそうお気に入りであった。
で、さんざん使われて疲れたところへ、

「ボス!」

午後3時前、瑛汰が学校から戻ってきた。瑛汰とは、本を買いに行く約束である。璃子と瑛汰、璃子のママを伴い、ラゾーナへ。瑛汰4冊、璃子1冊の本をお買い上げになった。

しかし、である。この程度の年齢で、とにかく沢山本を読みたいという瑛汰にいつも感心する。私が瑛汰の年代のころ、本は嫌いであった。我が家は貧しく、本など買ってもらえなかったが、そのためか、自称インテリの母は

「借りにいきなさい」

と、私を叔父の家に向かわせた。我が家より多少豊かであった叔父の家には、子供用に少年少女文学全集が備えてあった。それを借りてくるのである。
借りたものは返さねばならぬ。返すためには読まねばならぬ。私は読んだ。時間に追われて読んだ。イヤイヤ読んだ。しかし、名作と呼ばれる文学は、どうしてこんなに退屈なのだろうと嘆息しながら読んだ。そして、返却のために叔父の家を訪れた。そして次の本……。

あのころ、いったい何を読んだのか。トンと記憶にない。記憶にないだけならまだ救われる。まずいことに、おかげですっかり読書がきらいになった。
無論、漫画雑誌や、子供用の雑誌、興味があった科学関係の雑誌には目を通していた。

「そんな難しい言葉を知ってるとは、大道、お前本をよく読んでるな」

とクラス担任の先生に褒められたこともある。が、実はあの頃、読書なんて大嫌いだったのだ。私が本を読みたくなって、闇雲に読み始めたのは大学浪人時代、本格的に読み出したのは大学生になってからである。

それに比べて瑛汰は、小学2年にして読書を楽しんでいる。ストーリーの面白さに魅せられることもあろう。まだ知らぬ世界に触れる楽しみもあろう。瑛汰は、かつての私に比べれば遥かに豊富な知識を身につけているに違いない。
ある意味、瑛汰は理想的な成長をしているのではなかろうか。集中力に欠ける、すぐに気が散る欠点はおいおい修正すればよかろう。
瑛汰、本は欲しいだけ買ってやるからな!

ま、そのような事があって、翌4日、瑛汰は朝からフットサル教室であった。その練習にしばらく付き合って川崎駅から品川へ。品川から名古屋。四日市に着いたのは正午過ぎである。

「それがさあ」

と啓樹の母である長女が話し始めた。

「台風でさ、明日のお祭りは中止になっちゃったのよね。今日はやるんだけど」

それはまた、ずいぶん早い中止決定ではないか。明日の空模様を見て決めてもいいだろうに。

「ずいぶん古い衣装なんかもあるらしいのよね。150年ぐらいたってるのかなあ。だから、それが雨に濡れると困るらしくて」

ふむ、祭りが必ず晴天に恵まれるとは限らない。150年の間には雨の中で活躍したこともあったろうに。それが予報に怯えて中止とは。が、まあ、私はそのあたりの権限を持つものではない。中止は

「ああ、そうなの」

と受け入れるしかない。では、祭り1日目に付き合うか。

「啓樹は2時頃に駅前(近鉄四日市駅)に来るから」

スパゲティで昼食を済ませ、啓樹が現れるのを待った。
やがて啓樹は、大太鼓を乗せた車を引きながら現れた。祭りの衣装なのであろう、和様の衣装を身に纏い、鉢巻きを締めている。これで、いったい何をしようってか?

やがて駅近くにたどり着いた一行はやおらゴザを敷き始めた。台風が近づいているのか、強い風がゴザを巻き上げる。

「ほら、みんなゴザの隅に座って!」

祭りを取り仕切るのであろう、年配の大人たちが矢継ぎ早に指示を出す。
やがて、太鼓が打ち鳴らされ、あわせて横笛の音色が流れ始めた。獅子舞が始まった。ははあ、祭りの1日目はこれか。

最初の獅子舞が終わり、その間、ゴザの隅っこに座っていた啓樹が立ち上がって衣装を身につけ始めた。おう、啓樹、やっと出番かよ。

啓樹の役回りは、獅子を操る操縦士(?)であった。扇を持ち、和風のリズム楽器を持ち、太鼓と笛に合わせて獅子とともに踊りつつ、獅子を操る。

「おい、啓樹、うまいな」

思わず、我が長女に語りかけた。実にリズム感がいい。体の動きがしなやかで、決めの形も実に様になっている。

「そうなのよ、役員の人たちも、啓樹君はリズム感がいいっていうの」

ピアノに親しむ効果であろうか? 次の演技場では、啓樹とは別の子が獅子の操縦士になった。が、どう見ても啓樹の方が上である。
最後は諏訪神社の境内での奉納である。考えてみればこれが本番で、町中でやったのはその準備か。

ここでは操縦士は天狗の面をつける。啓樹が天狗の面をつけて舞い始めた。巧みに舞っていると、途中で交代した。啓樹はキョトンとしている。そして、操縦士はもう一度交代し、結局3人で務めた。

「途中で交代しちゃったね。事前にはいわれていなかったんだけど」

と娘。ということは、当初は、一番巧みな啓樹の舞を奉納しようと思っていたが、その場になって急に、

「やっぱり、子どもは平等に」

と役員さんの考えが変わったか?


翌日は、嵩悟の誕生日プレゼントを買いにいった。嵩悟の誕生日は、ママと同じ10月6日である。

「嵩悟、何が欲しいんだ?」

「あのね、トミカのホンダ屋さんとセブンイレブンとエネオス」

ミニチュアカーのトミカには、ホンダのディーラー店舗、セブンイレブン、ガソリンスタンドであるエネオスが存在するのである。

朝からトイザらスへ。が、だ。ホンダ屋さんがない。セブンイレブンもない。嵩悟、どうする?

「だったら、エネオスでいいよ」

とりあえず、エネオスに決め、歩いていると

「ボス、BMWのリモコンがある!」

そういえば、これも欲しいもののひとつだったな。ついでにお買い上げ。嵩悟は体操ご満悦であった。

「せっかく来たんだ、啓樹。お前、欲しいものはないのか?」

「僕、いいよ」

「ホンとか? 遠慮してると、次に逢うのは正月だぞ」

「んー、スターウォーズのレゴが30%引きって書いてあった」

「だったら、啓樹、行け!」

何故か啓樹は遠慮を覚え、しかも倹約家に育っている。まだ甘えん坊でもいいぞ、啓樹。
結局、啓樹の欲しいレゴはなく、そばの本屋で本を2冊。啓樹、嵩悟の家に戻ってエネオス、ラジコンでひと遊びした後、全員で蕎麦を食べに行く。

「俺、近鉄で帰るから、四日市駅で降ろしてくれれば大丈夫だ」

と話していたが、啓樹が

「あのさ、僕、名古屋の本屋に行きたいの」

といいだして、結局名古屋駅まで送ってくれた。
で、啓樹が欲しかったのは「大人の科学」。工作の付録がついた大人用の本だが、これまでも啓樹は蓄音機、ルンバ並みの自走式掃除機などを作っており、もっと作りたいらしい。
2気筒の蒸気エンジン付きの「大人の科学」を抱きかかえると、

「あのさ、ボス、僕さ、電子回路の本が欲しいの」

ん? 小学4年生で電子回路? そんな本、子どもに読める本、あるか?
だがこれも、

「うん、この本が欲しい!」

というのが2冊見つかり、あわせて「タイムマシンの作り方」を特集した「子どもの科学」も購入。私は名古屋に別れを告げた。嵩悟の、泣くこと、泣くこと……。

「のぞみ」の切符を買ったのに、何故か乗ったのは「ひかり」。

「次の停車駅は浜松」

という車内放送で

「えっ、のぞみがどうして浜松に止まる?」

と驚いたが、時すでに遅し。指定席から追い出されて自由席へ。

「差額は返してくれるのか?」

と車掌に挑みかかったが、なにしろ、間違えたのは私だし、まるで迫力なく、スゴスゴと自由席に移った私であった。

で、雨の中、品川駅から鶴見駅、そこに瑛汰と璃子のパパが迎えに来てくれて、あまり濡れることもなく横浜の家へ。一晩瑛汰と添い寝し(璃子はまだ添い寝してくれない)、昨日は瑛汰、璃子ともに小学校、幼稚園が台風でお休みなったため、午前中は遊び相手として使い倒された。ギッタンバッコン、飛行機、グルンのせいで腹筋が痛い私である。

関東に向かった台風は午前11時には横浜を抜けた模様で、青空に。それでも、

「いま出発すると、途中で台風に追いつく恐れがある」

ため、昼食を済ませ、午後1時過ぎに桐生に向かった。ここでは、璃子が大泣きしてくれた。


という旅であった。
その総括を。 

そうか、65歳になると、この程度の旅でも結構疲れるんだ。四日市で半日歩いたためか、璃子にギッタンバッコン、飛行機、鉄棒、肩車を強いられたためか、腰は痛いし、何となく眠いし……。

ま、一晩寝て、腰の痛みと肩の痺れ以外はなくなったようではあるが……。

暇な仕事で助かっている私である。