04.01
2019年4月1日 勢い
ここまで来たら勢いである。
自宅前の桜並木の写真を3連続で掲載した。ここまで来たら、ちょうど1年前の桜の写真と同じものを掲載しなければ格好がつかない、と何故か思って写真を撮った。冒頭の写真である。
つぼみがどんどん大きくなり、満開間近を思わせたここ数日だが、このところの冷え込みでスピードが削がれたらしく、開いている花は増えつつあるものの、満開まではまだ遠い。ちょうど1年前、2018年4月1日の写真と見比べていただければ一目瞭然である。今年の季節の歩みは少しのろい。満開の桜をご紹介できるのはいつになるだろう?
新しい元号が決まったそうだ。
令和
だそうだ。
手元の「角川漢和中辞典」(これ、大学受験の時に使っていた昭和41年1月発行の64版である。私は物持ちがいい?)によると、
「令」は①のり、おきて、法律②おおせ、おしえ、いましめ③いいつけ④おさ(長)⑤よい(善)⑥人の親族を呼ぶ敬語、などとある。
「和」は、①やわらぐ②やわらか③ととのう④たいらか⑤おだやか⑥なかなおりする⑦したがう⑧かなう、あう⑨のどか⑩あたたか⑪調子を合わせる、といったところが主な字義だ。
この2つを合わせた「令和」。法による平和、と理解すればよいのか。それとも、善い平和、か。まさか、命令による仲直り、つまり世界の警察国家を目指すということ?
ところで、である。
あなたは、元号が変われば新しい時代が来るとお考えになるだろうか?
景気が低迷し、政権交代の可能性がほぼ失われ、おまけに私が定年を迎えて会社から放り出されてしまった、つまりあまりいい想い出のない「平成」から一転して、素晴らしい世の中がやって来ると期待されるだろうか?
ひねくれ者の私の文章をお読みいただいている方々の中には、おそらくいらっしゃらないだろうと思う。昨日の次の日が今日であり、今日の次には明日が来るだけであって、たかが元号が変わったぐらいで世の中の基本的な構造が変わるはずもない、と考えるのが常識というものではないか。
ところが、である。メディアで働いていらっしゃる方々には、そのような常識は通じないらしい。
といっても、今日から桐生には朝日新聞の夕刊は配達されず、接したメディアはNHKの昼のニュースだけであるが、昼食を取りながらテレビを見やって愕然とした。
詳細はもちろん記憶にないが、司会のアナウンサー士が
「令和、どんな時代になるとお考えですか?」
などと、スタジオに招かれた有識者(多分)に問いかけており、問われた方々はなにやら訳の分からない予言めいたことを口にされていた。あまりにもばかばかしくて、何が語られたのか全く記憶に残っていない。
元号が変われば時代が変わる。ああ、日本人の知性は、というよりNHKの知性は、天変地異が起きるたびに元号を新しくした1000年以上の昔から、ちっとも進歩していない。世界のほとんどは西暦で生きており、日本国民も西暦で年を表現する人が、少なくとも私の周りでは大多数であるというのに、「元号」に何の意味がある?
「元号」とは、日本独特の文化遺産である。「元号」という習慣は、昔のことを書くときに面倒くさい(元号だけでは、いつ頃のことかを直感的に把握してくれる読者は少なかろうと、必ず括弧内に西暦を書かねばならない)が、それを除けば違和感はない。
しかし、「元号」を変えれば世の中も変わるというのは言霊信仰である。知ってか知らずか、ばかばかしい習俗をいまだに振り回してはしゃぎ回るメディアには神経を逆なでされる。お前ら、まともに物事を考えたことがあるのか? と罵ってやりたくなる。
朝日新聞、明日の朝刊でどう書いてくるのだろう? まさか、天下のNHKのような醜態をさらしたりはしないだろうな?