01.01
明けましておめでとうございます。
今日のタイトルにした新年の挨拶は、果たして2021年の幕開けに相応しいのか?
と考えないこともなかったが、まあ、新年の挨拶はどれをとっても同じようなものである。ここは我慢することにした。
2021年。今日のタイトル写真は私の賀状である。20枚少々しか出さなかったので、読者の方々のほとんどには届いていないだろうと思って掲載した。
なお、本文は次の通りである。
「もう幾つ寝るとお正月」と指折り数える年頃は遙か昔に過ぎ去ったものの、幾つになっても「ちう位」の目出度さは感じます。ところが、21世紀、21回目の正月は、目に見えぬウイルスが「ちう位」の目出度さもどこかに追いやってしまいました。人の行き来、来訪がまばらになった新年をいかがお迎えでしょうか。
私は昨秋、埼玉県川口市に本社を置く新興企業の顧問に請われて就きました。木材資源のリサイクルを目指しています。いまだ無給ながら、会社を興した2人のテイクオフをお手伝いできればと願っています。会社が形になれば改めてお知らせするかも知れません。
百合子は相変わらず、6週に1回の前橋日赤通いで闘病を続けています。その割には風邪をひくこともなく、ネットでプリザーブドフラワーの材料を探してポッチンしています。
今年は私が年男。来年は百合子が年女。老々家庭はまだまだ健在です。
最後になりましたが、皆様、新型コロナにめげず、健やかな日々をお迎え下さい。
写真と合わせて私からの年頭のご挨拶としたい。
さて2021年の最初の日。といっても、私にとっては1年の365分の1日に過ぎない。朝は恒例通り朝食に雑煮をいただき、ぐい飲みに5分の1ほど(わが妻女殿は7分の1ほど)の御神酒をいただいて1日を始めた。
朝食後は例によってパイプの時間である。外の駐車場に出てパイプに煙草の葉を詰め、火を着ける。
しかし、である、おのおの方。今年の正月は冷える。それに風が強い。空はすっきり晴れ上がっていたが、多分そのために放射冷却が起き、まあ、寒いこと、寒いこと。齢を重ねてすっかり寒さに弱くなった私(何しろ、この冬は足の指にしもやけが出来ております!)は、半ば震えながらパイプ煙草を楽しんだのであります。
風が強いといえば、我が家が松飾りを門扉に取り付けたのは30日で、その日から強い北風が吹き始めた。
「大変よ。松飾りの一部が飛んでっちゃった!」
と妻女殿が宣われたのはすでにとっぷりと夕闇に包まれたころ。外に出てみてみると、スッと伸びた松の枝にくぐらせていた、藁で出来た尻尾がついた輪っかがない。強風に煽られて飛んでいってしまったのはこいつである。懐中電灯を取り出して家の周りを探してみたが見当たらない。翌31日朝、明るい日の光の下で捜索範囲を広げたがやっぱり出てこない。
「見当たらないわ。ということは、あの風が2020年の厄をどっかに持って行ってくれたんじゃないか?」
何事も前向きに考える。精神衛生上の原則である。
ということで今日に戻ろう。
妻女殿が
「ちょっと」
と声をかけてこられたのは11時頃だった。
「これ、 買っておいたんだけど、お風呂の水垢を落としてよ」
見ると研磨剤である。
「プロが使うんだって」
ということはあれか。新年の初日、元旦から、私に風呂掃除をしろってか?
「水垢で湯船に線が入ってるのよね」
なぜ昨日のうちにいわない、というのは、1月1日を1年の365分の1と見なすのではなく、特別な日として崇める人々が口にすることである。しかし、365分の1に過ぎないと信じ切っている私が口にすべきではない。しかし、1月1日から風呂掃除ね……。
チューブから研磨剤を絞り出して磨いた。せっせと磨いた。
「あら、見違えるようにきれいになったわ」
このように、我が家では指揮命令系統も業務内容も、1月1日だからといって特別なことは何もないのである。
昼食は
「ごめん。今日はインスタントラーメンにした」
あ、そうですか。
午後のパイプ煙草を震えながら楽しんで、ウーン、まだ時間がたっぷりある。どうする? と考えて、蛭間から映画を見た私であった。「迷探偵シャーロック・ホームズ/最後の冒険」(1988年、トム・エバーハード監督)。シャーロック・ホームズは演技者に過ぎず、難事件を解決する鋭い頭脳を持っていたのはワトソンだった、というシャーロック・ホームズのパロディ版。西洋の方々の笑いのセンスは私には理解しにくく、途中でうたた寝も。よって、このディスクは保存用から外され、スピンドルに収まった。
というのが私の2021年1月1日であった。
そうそう、年末に書いた、「選択」1月号のポスト・ガースーの候補問題。読みました。とにかく、「選択」は複数のライターが書いているはず(多くは新聞記者にアルバイトと思われる)だが、政局を採り上げた記事はどれも、すでにガースー政権を死に体と見ている。私と同じ見方である。
そして、石破、野田を後継候補として名指ししている記事もガースー政権は長持ちしないとみているのは同じである。しかし、何かの兆候があってこの2人を有力候補として挙げたのではなく、ほかにいないから残るのはこの2人ではないかという観測記事であった。政治力学からいっても、十分ありうると書いている。この見通し、当たるのかな?
というわけで、今年もとりあえず「らかす日誌」は続けていこうと思う。厚いご支援と励ましをお願い致します。