02.22
桝谷英哉さんをもう一度、みんなで読んでみませんか?
物書きにとって、自分が書いた原稿は己の大便のようなものだ。出さないわけにはいかないが、出し終えたものは見たくもない。一刻も早く水洗の水を流して忘れ去りたい。
端くれとはいえ、私も物書きの1人である。頼まれて原稿を書くのは仕事だから仕方がないが、誰も頼まないのに、あるいは待っている人は1人もいないのに、なぜか「らかす」を書き続けている。せっせと大便を出し続けている。ひょっとしたら、私の頭はどこかが狂っているのかも知れない。
私の狂っている部分がどこにあるかは別として、だから私も、自分の書いた原稿は目にしたくない。原稿とはいったん公表すれば、所有権は筆者の手を離れ、読者のものとなる。どうお読み戴こうと、あるいはお読み戴くまいと、所有権者である読者の勝手である。
そう思い決めているのに、先週、「音らかす」を再読してしまった。公開してからもう15年以上になるのに、いまだに読者が絶えない。いったい、何がそんなに喜ばれているのか?
それを自分で確かめてみようと思ったのである。
ここからは、私の勝手な手前味噌である。
製作編は別として、私と桝谷英哉さんが共有した時間を再現した本編は、うむ、自分で言うのもなんだが、確かに面白い(でしょ?)。よくぞこれだけ記憶していたものだと感心するし、新たに付け足したくなることもない。私が筆者であるにもかかわらず、思わず感心しながら読みふけってしまった。
自画自賛しながら読みふけったのだが、表記の乱れが目についた。部分的に誤植もある。だから、表記の乱れは修正し、誤植には気が付く限り手を入れた。これから新たにおいでになる読者の方々には、より見やすい「音らかす」になったはずである。
と言うわけで、久しぶりに桝谷ワールドに浸った私に、1つのアイデアが生まれた。
「桝谷という人は、死後20年以上たったいまでもこれだけの人を惹きつける魅力の持ち主である。であれば、桝谷さんの遺産に触れたいと思っている人はたくさんいるんじゃないか?」
桝谷さんの遺産とは、私がお預かりしたままになっている、桝谷さんの原稿である。電波科学などの雑誌に書かれたもので、自分が設計、製作した真空管アンプ、トランジスタアンプ、レコードプレーヤなどクリスキットの製作記事がほとんどだが、中にはエッセイ風のものもある。ほとんどが1970年代の雑誌に掲載されたものだから、
「読んでみたい!」
と思う方がいらっしゃっても、いまでは恐らく手に入らないだろう。
だから、私の手元にあるものを、「らかす」に掲載したらどうだろう?
と思って、とりあえず1本だけ、パソコンでWordに打ち込んでみた。「ラジオ技術」という雑誌の1971年5月号に掲載された「私のリスニング・ルーム」である。打ち込んだ文字数、なんと7713文字。正直、疲れた。こんなつらい入力作業をこれから続けるのか? だが、桝谷さんを私だけの思い出から外に出してあげなければならないのでは?
雑誌の記事だから、写真も使われていて、写真がなければ解らない記述もある。製作記になると、回路図なども沢山登場する。これらはスキャナで取り込んで掲載しようと思う。そうそう、このリスニング・ルームには、若き日の桝谷さんの写真もる。雑誌の写真なので不鮮明だが、これも近いうちにスキャンしなきゃ!
という作業を始めました。リスニング・ルームにしても、これから画像をスキャンしなければ「らかす」に掲載できません。製作記事は、数回にわたって書き継がれているため、もう一度目を通して性格に並べなければなりません。というわけで、連載は近日開始とします。また、作業が追い付かずに間が空くこともあるかもしれません。
「読みたい!」
と思われる方は、しばらくお待ちください。
とりあえず本日は、予告だになります。
乞うご期待!