09.11
1日に2件の忘れ物。ちと多すぎやしませんか? と己に問いかける。
いやはや、一言で言えば、
「俺もそんな歳になったのかなあ……」
1件目の忘れ物は午前中のことであった。
昨日、妻女殿の運転手で前橋日赤まで行ったが、妻女殿は処方薬を取りに行くのを取りやめられ、
「まだ必要な薬は手元にあるし、近いうちに行けばいいわ」
と自宅に直行するように私に命じられた。
近いうち、とはいつか? それは恐らく今日11日のことである。
取りに行く? 誰が? それは恐らく私である。
私はそう解釈し、心の準備を昨日のうちから整えておいた。突然のご下命より、心の準備が出来ている命令の方が受け入れやすいものである。
案の定、朝食のテーブルにメモが置いてあった。いずれも処方薬の薬局としても使っているウエルシアで買える品物である。
「やっぱり来たか」
私はご下命を耳にするのもそこそこに、家を出た。
薬局における処方薬の処方には、
「何でこんなに?」
といいたくなるほど時間がかかる。きっと、慎重に薬を選び出し、何度も確認し、数えるのも1度ではなく2度、3度と繰り返し、慎重の上にも慎重を期しているのであろう、とはたやすく想像出来る。作業処理能力が極端に低い従業員ばかりが揃っている、とも解釈出来る。どちらを取るかは処方薬を受け取りに行く者の勝手である。私は……。
というわけで、処方薬が窓口に出て来るまで結構時間がある。本を持参するしかない。本日は「祈りの海」(グレッグ・イーガン著、早川書房)であった。毛色の変わったSFである。
珍しいことに、さほど読み進まないうちに呼び出しがかかった。妻女殿が服用される薬であり、私に確認を求められてもよく分からない。私は読みかけの本をカウンターの前にある腰の高さの棚に置き、出てくる薬を持参のバッグに詰めると、支払窓口に移動した。Tポイントカードにポイントをため、クレジットカードで支払いを済ます。領収書を受け取ると、もうここに用事はない。そそくさと車に戻り、帰宅した。
異変に気がついたのは午後のことだった。
昼食後は駐車場に出てパイプをくゆらせる。ここ数年、日課になっている行事である。歩く時計ともいわれたカントほどのタイムキーパーではないが、今日も昼食を終えた私は、昼用のパイプを持ち、外に出ようとした。
朝、昼は、パイプに半分ほどタバコを詰める。これで20分から30分、紫煙を楽しめる。ただ座って煙を出すだけでは能がない。本は必需品である。
「さて、薬局で読んでいた本の続きを読もう」
と探した。机の周りにない。おかしいなと居間のサイドボードの上に目をやったが見当たらない。
「そうか、車に置き忘れか」
と車に足を向けたが、ここにも存在しない。あれ?
ふと、薬局に置き忘れたか、と思いついた。妻女殿に電話を掛けていただくと、確かに置き忘れていた。保管しておいてくれるという。
「あれまあ。やっぱりあそこに置きっぱなしにしたんだ。歳のせいか? まあ、置き忘れたこと、置き忘れた場所を正確に当てたんだから良しとするか」
パイプタバコを楽しみ終えた私は、刺繍作家の大澤紀代美さんのアトリエに出かけた。先週お願い事をし、準備が出来たという知らせを受けていたので情報をいただきに行ったのである。いつものようにお弟子さん、お客さんと雑談を交わし、大澤さんからは情報を丁寧に書き記した便せんをいただき、1時間ほどで退席した。これからウエルシアに本を回収しに行き、ついでに妻女殿に依頼された野菜を買うため、農協の直売所に車を回す。
ウエルシアを出て農協に向かう途中だった。出るとき、ホウレンソウとキャベツ、レタスと命じられた買い物だが、出るとすぐに電話があり、その他にも買わねばならないものがあると伝えられた。運転中のため、具体的な品目は農協に着いて私が電話をすることになっていた。
「そうだった。電話しなきゃ」
iPhoneを収納していることが多いズボンの左後ろポケットに手をやった。ない。ズボンを通じて我がお尻の柔らかさが手先に伝わってくるだけである。
あれ、じゃあ1週間ほど前から使い始めたウエストポーチに入れたか? 金属クリップのついた財布を右後ろのポケットに入れていた私のズボンは、かなりの数が金属クリップのために穴が空いた。これはいかん、とほかに財布の保管場所を探したが、上着を着ないこの季節、ほかに入れる場所がない。やむなくウエストポーチを引張りだして使い始めた。まだ使い慣れたとは言えない。ま、それはどうでもいいとして、ウエストポーチを上から探ってみたが、iPhoneらしい固形物には行き当たらない。
じゃあ、車の中のどこかに置いたか? 信号待ちを利用して車の中を点検したが、やっぱりない。ないと妻女殿に連絡が出来ないし、家を出てから電話がかかってきたのだから家の行き忘れた可能性はゼロである。
「ん? 何処にやった?」
ここまで来ると、考えられる可能性は一つだけである。大澤さんのアトリエに置き忘れた!
農協を目前にしながら、車を戻した。大澤さんのアトリエに飛び込み
「電話、置いてなかったですか?」
先ほど雑談を交わした方々がテーブルを囲んでいた。きっと、これから作って売り出そうというスカジャンの打ち合わせである。元々桐生で作りながら、横須賀の米兵が主な客だった、つまり横須賀で売られることが多かったから「スカジャン」と呼ばれるようになったのを、捲土重来、桐生産のスカジャンを今度は世界で売りまくろう、というプロジェクトであると私は思っているのだが、この際それは関係ない。
私の声に振り返った彼らは周りを点検してくれた。口々に
「ありませんよ」
「ないですねえ」
といいながらである。
ない! そんなはずはない。ここにないとしたら、我が愛するiPhoneは何処に行ったのだ?
念のため、もう一度ウエストポーチに手をやった。だけでなく、今度はジッパーを開けて目で確認する。前に財布、その横にタバコ、財布と接してタオルハンカチ。そのハンカチをそっと動かすと……。
あるではないか、iPhoneが。タオルハンカチにやさしく包まれ、人目を避けるように静かに鎮座しているではないか。
「あ、あった!」
はっは。農協前からわざわざここまで車を回して、いったい俺は何をやってるのか?
忘れ物は若くてもする。だから、若年者と高齢者のちがいは、忘れ物をする頻度の差に過ぎない。しかし、身につけているものをどこかに忘れたと探し廻ったことが、若いときにあったろうか? そういえば、食卓でも目の前にある醤油が目に入らずにキョロキョロしたり……。
72歳。情けない年齢なのか? それとも面白い年齢なのか。
その2つしか選択肢がないのであれば、面白い年齢と考えるた方が余生を楽しめるではないか、と心に決めた本日の私であった。