06.13
私と朝日新聞 津支局の5 恐るべきライバル
ある日、津署内をぶらついていたら署長室のドアが開いた。顔を出した署長が私を見て
「大道君、ちょっと来ないかね」
と招いた。何だ? 何故俺が署長に呼ばれる?
署長とは酒を酌み交わしたこともないほどだから、親しく話した記憶はほとんどない。その私を署長室に呼び込む。何事だ? 最近は警察のご厄介になるうような悪いことをした記憶はないが。
恐る恐るソファに座った。相手は津市で警察権力をふるう集団の親玉である。私にいったい何の用がある?
「あ、これからね、私は調書をここで読む。うん、私が勝手に読み上げるのだから、君は何をしてもかまわない。分かったかね?」
ん? 私がここにいるのに、調書を音読する? それって、捜査の秘密を私だけに教えるということか? どうして私に?
戸惑ったが、教えてくれるというのなら、私はメモをとるしかない。
「ちょっと待って下さい」
と断り、慌てて鞄からノートとボールペンを取り出した。
「じゃあ、いいかね」
署長は私に明瞭に聞こえる声量で調書を読み上げ始めた。確か、汚職事件を捜査し、犯罪が確定できたという中身だった。えっ、そんな事件をやってたの? どこの社も気が付いてないぞ。これ、特ダネだ!
「で、いつパクるんですか?」
パクるとは逮捕するということである。
「うーん、明日かな。これ以上はいまは言えないから」
支局にとって返した私はすぐに原稿にした。翌日の朝刊社会面で大きな記事になった。特ダネである。
警察はなぜ捜査情報をマスメディアに流すのか。一言でいえば自慢したいのである。俺たちはこんな手柄をあげた、と世の中に宣伝したいのだ。それには流す相手のメディアを選ばねばならない。ちっぽけなメディアはダメだ。全国紙がいい。特ダネにしてやれば記事はその分大きくなる。
「私どもが摘発した事件が朝日新聞で社会面トップのニュースになりました」
というのは自分を、署を上にアピールする道具になる。朝日新聞がこれほど評価する立派な仕事をしているのである、というわけである。
特ダネを書かされた記者の方も、特ダネを書けば社内の評価は高まる。いわば、特ダネで記者と警察はWIN—WINの関係を築くのである。
無論、これは単純化しすぎた解説で、そういう面もあるというに過ぎない。
現実には、記者の側がよほど努力しなければ特ダネ情報なんていただけない。一緒に飲みに出かけ、昼間はできるだけ顔を合わせて雑談の花を咲かせ、時には媚を売り。そして夜は自宅を襲って、とあの手この手を駆使しなければ情報は取れない。こうしてお巡りさんの重い口が開き始めることを、
「取材先に食い込んだ」
という。しかし、食い込むことと馴れ合うことの間には薄紙1枚しか隔てがない。癒着といわれても仕方がないような「食い込み方」もあるのである。
後に聞いたことだが、九州のあるテレビ局は枢要なポジションにいるお巡りさんに洗濯機を贈ったり、テレビをプレゼントしたりしたりして食い込みを図ったという。人から聞いた話だから真偽のほどは分からないが、取材競争の最中にある記者からすれば、
「そんな懐の広い会社で記者をやったら楽だろうなあ」
と羨ましく思うのも、取材競争の渦中にいる記者なら、一度は思い描いたことだと思う。
とはいえ、朝日新聞にそんな贈賄まがいの手段はありえない。先に書いたように、この署長とは酒を飲んだこともなく、親しくした記憶もない。ましてや媚を売ったことなんて神仏に誓ってない。
それに、朝日社内である程度の力を持つベテラン記者ならいざ知らず、駆け出しのヒヨコ記者でしかない私とWIN—WINの関係を築きたいと署長が思ったというもの考えにくい。
とすれば、署長は私が属する全国紙、朝日新聞に大きな利用価値を見出したとしか思えないのだが、警察とは朝日新聞を好まない人々の集まりであるともいわれる。
「アカイ アカイ アサヒ」(赤瀬川源平)
は警察の敵だというのである。
それとも、あれか。あの署長は私に何らかのよこしまな思いを持っていたのか? おお、怖わ!
抜いた、抜かれたは記者の常、という。記者をしていれば抜くこともあれば抜かれることもある。
だが、何故抜かれたのか、何故抜けたのかを掘り下げると、表面面では分からない人間関係、社会関係、思惑、損得感情などが入り交じって姿を見せるのである。
いずれにしても、私はこの署長に特ダネを書かされたのだった。
警察は贈賄の被疑者などを逮捕すると、記者を集めて発表する。私が特ダネにした記事も、新聞に掲載された日に発表された。
発表の席には私ももちろん出た。署長が、先日私に読み聞かせた調書を持って現れ、やっぱり読み上げた。
他社の記者はみな「抜かれ組」である。抜かれた記事はできれば無視したいが、事件自体が大きければ嫌でも書かなければならない。それを「追っかけ」という。私にも何度も経験があるが、屈辱を感じながらの仕事となる。
今回は、私は単独でスクープした側である。なぜ私に署長が漏らしたのかについては様々な疑義があるが、それでも気分が悪かろうはずがない。うん、俺は特ダネ記者だ!
それから数日後だった。同じ署回り担当のNHKの記者が
「ちょっと話がある」
という。何事だろうとついていくと
「大道君、君がどこで特ダネを抜いたのかが分かったよ」
といった。
そんなはずはない。私が署長室で調書を読み聞かされたことを知っている人間などいるはずはない。あの時は2人きりだったのだ。
「津署の署長だろう」
図星だった。しかし、私は
「その通りだ」
と言うわけには行かない。言えたのは
「なんでそう思うんだ?」
程度である。
「あのね、あなたが書いた特ダネ記事、1箇所だけ間違っているところがあった。被疑者の住所さ。この間の発表で署長が全く同じように住所を間違った。それで見当がついたんだ」
グウの音も出なかった。恐ろしいヤツがいる。そんな細かなことで私のネタ元を探り当てるとは! 世の中には、私には想像もできない能力を持ったヤツがいる。こんな奴らと取材競争をしなければならないのか……。
その後、津署管内で事件が起きると、私は署長に会おうとした。あの事件を私だけに教えてくれたのである。今度も教えてくれるはずだ、と期待した。しかし、署長に会おうとすると、必ずあのNHK記者がいた。どうしても単独で署長に会うことができなかった。こうして私は、特ダネへの道を塞がれてしまったのであった。
「特ダネなんてつまらない」
と思い始めたのはずっと先のことである。
捜査機関である警察の捜査結果はいずれ発表される。それを1日前、半日前(新聞には朝刊、夕刊があるので、半日遅れと言うことがありうる)に書くことに、何の意味がある?
そもそもほとんどの家庭は新聞は1紙しかとっていない。であれば、他紙と比べて初めて分かる「特ダネ」を評価する読者がどれだけいるというのか。
以上2点から、特ダネ競争とは、記者間でだけ展開されているゲームに過ぎないといえる。
もし警察に本当の特ダネがあるとすれば、警察が知っていて公表しない事件、事実をすっぱ抜くことではないか?
駆け出し時代の私に、そんな考えなど浮かばなかった。警察を回っている以上、特ダネをとるのが使命だと思い込んでいた。だから、「ゲーム」として楽しむゆとりなんてあったはずがない。
そんな私だったから、特ダネへの道を塞がれたのは心底痛かったのである。