2023
08.23

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の20 分かれているメリットがもうなくなった。

らかす日誌

東京での宿は、今回も横浜の妻女殿の実家である。ここに泊まれば出張費が浮くのだから、これはやめられない。
だが、東京に着いてすぐに私が向かったのは朝日新聞東京本社だった。妻女殿の実家には

「今日は遅く帰るので、玄関の鍵を開けて置いて下さい」

と頼んだ。
東京本社でハイヤーを頼んだ。名古屋では取材の足はタクシーだが、東京はハイヤーを使う。ちょっとばかり偉くなった感じがする。

ハイヤーで向かったのは、東京在住のトヨタ自動車販売の幹部宅である。この方は日頃東京勤務だから、あまり会ったことはない。名古屋での記者会見にお見えになった際に、少しばかり言葉を交わしたことがあるだけだ。禿頭、穏やかな顔をした紳士で、眼鏡の奥の目がいつも笑みをたたえているように見えた。

「この人なら、何かいってくれるかも知れない」

あまり親しくなったとは思えないこの方を最後の頼みの綱だと思ったのは、どうしてだろう? あの温顔のせいか? これも記者としてのとしか言えない。

ご自宅に着いたのは午後9時半ごろだったと思う。門柱のインターホンを押す。家の中で確かに音がした。しかし、人が動く気配はない。もう一度押す。やっぱり同じである。もう遅い時間だ。声を張り上げて呼びかければご近所迷惑だろう。

「どうしたのだろう? かなりのお歳だから、早寝早起きなのだろうか? それとも旅行中?」

夜回りに来たのに会えない。向こうが会ってくれなければ取材は成り立たない。

「頼みの綱なんだがなぁ。やっぱり元旦の紙面で抜かれるのか?」

気落ちはするが、出来ることはない。

「仕方ない。旅行でないことを願いながら明日の朝、もう一度来てみよう」

私は横浜に引き上げた。そして翌日午前6時にハイヤーを横浜の家に回してくれるよう、東京経済部に依頼した。

朝、取材先を訪れることを「朝駆け」という。夜取材先を遅う「夜討ち」と合わせて「夜討ち朝駆け」は記者の日常だ。私は前日の夜討ちに続いて朝駆けを実行した。
取材先に着いたのは6時半ごろだった。早朝だから、まだ就寝中かも知れない。インターホンを押しては迷惑だろう。門前で待つ。屋内に動きはない。

7時前だった。玄関のドアが開いた。取材先がテニスラケットを持って姿を現した、思わず、声をかける。

「会長、お早うございます!」

取材先が私を見た。

「おお、君か。どうした、こんなに朝早くから」

「お話しを伺いたいことがありまして」

「そうか、だったら入りなさい。ちょっと待ってろ」

そういうと、私の最後の頼みの綱は庭に置いたゴルフゲージに歩み寄った。何をするんだろう? と見ていると、ゲージに向かってテニスのスマッシュの練習を始めた。このころ、取材先は70代半ばである。年末の早朝、短パンにニットシャツ姿で、30球もスマッシュを放っただろうか。打ち終えると汗を吹きながら私に歩み寄り、

「ところで、何の話だね?」

「年が押し詰まって、早朝に取材に伺うのだから、目的はおわかりだと思いますが」

「そうか。ところで君、朝飯は食ったのか?」

「いや、こんな時間ですから、まだ」

「そうか。だったら私の朝飯に付き合いなさい」

私はガラス張りのサンテラスに誘われた。出て来た朝食はトースト、サラダ、牛乳程度の軽いものだった。失礼ながら、

「ほう、これが老人食というものか」

と思ったことを覚えている。

「ところで、合併なんですが」

「ああ、分かれているメリットはなくなったな

ん? トヨタの首脳は

「メリットがあるから分かれている」

と言い続けた。そのメリットがなくなった?
私は、いま聞いたことがスンナリとは頭に入らなかった。

「いま、何とおっしゃいました?」

「分かれているメリットがもうなくなった、といったんだよ」

今度は、自分の聞いたことが信じられなかった。いまの言葉を素直に解釈すれば、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売が近く合併するということである。裏が取れた! 特ダネだ!

頭に血が上ったようだった。私は矢継ぎ早に質問を繰り出した。

——合併はいつですか?

「まだ決めていない」

——新社名は?

「決まっていない」

——本社はどこに?

「これからの課題だ」

——新しい会社の社長は?

「決めなきゃならんだろうな」

恥ずかしい話だが、当時の私にはその程度の質問しか出来なかった。いまなら、合併比率、メリットがなくなったと判断した根拠、メーカーと販売会社で体質が全く違うといわれる両社が合併することによる混乱は起きないのか、単に分かれているメリットがなくなったから一緒になるでは合併で必要になるコストに見合うのか、合併する積極的な理由は何か……。
折角開いた口である。聞かねばならないことは沢山あったはずなのだが……。

聞き出せたのは

「分かれているメリットがもうなくなった」

という一言だけである。十分とは言えないが、必要なことは聞けた。
私はすぐに、横浜の妻の実家に戻った。デスクの自宅に電話を掛ける。

「おお、大道か。どうだった?」

「大変です。合併するという言質が取れました。『分かれているメリットがもうなくなった』といわれたんです」

「ホントかよ、おい。そりゃあ大変だ。すぐに名古屋に戻ってこい。俺も会社に行くから」

妻女殿の両親へのあいさつもそこそこに、私は新幹線に飛び乗った。