09.14
私と朝日新聞 東京経済部の14 キーボードにミスタッチをしても地球は爆発しない!
建設省には省内誌があった。誌名は忘れたが、そこから声がかかった。
「大道さん、何か原稿を書いて下さい」
建設省は取材先である。むげに断るわけにはいかない。だからとりあえずは引き受けたものの、問題は何を書くかである。
「なんでもいいですから」
とはいわれたが、さて何を書いたらよかろう? 思案しているうちに、ふと
「これなら!」
と思いついたことがあった。パソコンである。その頃私は、初めてパソコンを買い、はまっていたのである。
私をパソコンの道に引き入れたのは朝日新聞の先輩記者Maさんだった。彼はすでにパソコンオタクになっており、富士通だったかNECだったかのパソコンを使いこなしていた。
といっても、1980年代の初めのことだ。ワープロソフトも表計算ソフトも存在しなかった(これはうろ覚えである。どこかにあったかも知れない)。Maさんがはまり込んでいたのはプログラミングであった。
「大道君、できたんだよ。見てくれる?」
彼が常駐する記者クラブに呼び出され、パソコンの前に座らされた。
「ほら、これが僕が作ったソフトでね。この輪っかが捕虫網と思ってくれ。これを上下左右キーで動かして、ほら、こっちに動き回っているのがあるだろ? これが虫だ。捕虫網で虫を捕るゲームなんだ」
捕虫網の動きは決してスムーズではない。カクカク、という感じで少しずつ位置を変える。それでも難なく虫を捕まえた。
「どうだい?」
Maさんは東大卒である。パソコンにはまり込んだ東大卒が、こんなゲームを自作して喜んでいる。ひょっとしたら、いまなら中学生にもできるのではないか?
1980年代の初めとはそんな時代だった。
1984年、アップル社が「Macintosh」(マッキントッシュ)を発売した。ちっちゃなディスプレー一体型で、ほとんどの操作がマウスでできる。コマンドと呼ばれた「呪文」でしか操作できなかったそれまでのパソコンに比べ、遙かに使いやすくなった。
「大道君、マッキントッシュ見に行こうよ」
とMaさんに誘われて向かったのは、確か赤坂のビルの一画である。そこにマッキントッシュがあった。マウスという器具で画面上のアイコンをクリックするだけで様々な操作ができる。いまなら当たり前だが、当時は革命的だった。またアイコンは限りなく可愛らしく、すっかり魅せられた。が、手の届く価格ではなかった。
そんなMaさんと仲が良かったからだろう。私もパソコンなるものを買ってみようか、という気になったのは1983年か4年のことである。別の先輩の紹介でNECの広報マンとも親しくしていた。そこで、広報マンの1人に相談を持ちかけた。
「そろそろパソコンを買ってみようかと思うんだけど、9801、8801,6001のどれにしたらいいかな。やっぱり、少なくとも8801ぐらいを買っておいた方がいいのかな?」
当時、NECのパソコンの最高峰は9801で、中堅機種が8801、最も安かったのが6001だった。
私に相談を持ちかけられた広報マンはいった。
「大道さん、パソコンをプロとして操作している人でも、パソコンの能力の10%から、多くて20%しか能力を引き出してはいません。あなたは初心者でしょう。8801なんてもったいない。6001で十分です」
いま考えればおかしな論理である。パソコンの能力はほぼCPUで決まる。金にゆとりがあれば最も高速なCPUを登載したパソコンを購入するにこしたことはない。
しかし、当時の私にそんな知識はない。そういうものか、とと素直に6001を買った。ブラウン管式のディスプレー、カセットテープを使う記録媒体をあわせて確か14万円程度だった。
ディスプレーとパソコンを置ける台を自作し、私はNEC6001と遊び始めた。最初は「ポートピア連続殺人事件」というロールプレイングゲームを買って楽しんだ。これもMaさんの影響である。それに飽きる(いや、最後まで行き着くことができず、諦めたと言った方が正確だ)と、パソコン雑誌を買うようになった。当時のパソコン雑誌は、Basicと機械語で書いたプログラムを掲載していた。6001用のプログラムが載っている雑誌を買い求め、そのプログラムを入力するのである。こうしていれば、少しはプログラムを覚えるのではないか?
行番号があり、もし〇〇であれば△△行に行け、(if 〇〇, then go to △△)といった文が並んでいる。その論理構造は何となく理解できた。しかし、グラフィック部分になると機械語である。
0048 0065 006C 006C
006F 0020 0077 006F
0072 006C 0064 0021
こんなもの、いったい何のことやらちんぷんかんぷんだ。しかし、この不可思議な数字と文字を正確に入力しなければソフトは動かない。
新聞記者の夜は遅い。その日のうちに自宅にたどり着けば早い方である。そして、パソコンにのめり込みかかっていた私は
「パソコンで遊ぶのは休みの日までまとう」
とは思わなかった。平日も自宅に戻れば、すぐにパソコンの電源を入れ、キーボードを叩き続ける。我を忘れているうちに時計の針は1時を回り、2時になる。
建設省に原稿を頼まれたのはそんなころである。まだ建設省内でもパソコンは見かけなかった(どこかにあったかも知れないが、私は目にしなかった)。
「よし、パソコンを書こう」
と私は決め、原稿を書いた。
これからはパソコンの時代になる。できるだけ早いうちにパソコンに馴染んだ方がいい。だが現状を見ると、パソコンに触ったことがあるという人は極めて少ない。そして、そんな人は、キーボードで間違った入力をすると地球が爆発してしまうのではないかとの恐れを抱き、なかなかキーボードに触ろうとしない。間違ったキーを押しても地球は爆発しないということを知るためだけでいいから、あなたもパソコンを買ったらどうだろう?
そんな趣旨の原稿だった。
しばらくして、私の原稿が掲載された省内誌が出た。
しばらくして、私に声をかける人がいた。
「あの原稿を読ませてもらって、私もパソコンを買いました」
1人だけではない。3人までもが異口同音にそういった。ひょっとしたら、買っても私に告げなかった人もいるかも知れない。
そのころ、私はパソコンに飽き始めていた。雑誌に載ったプログラムを入力する。入力が終わればカセットテープに保存する。保存したソフトをカセットテープからパソコンにロードし、
「おお、動いた、動いた」
ニンマリする。
おいおい、いったい俺は、寝る時間を削って何をしてるんだ?
ワープロソフトや表計算ソフトがあれば、違ったかも知れない。しかし、そんなものは存在しなかった。間もなく私は、使い道がないパソコンセットを仕舞い込み、触らなくなった。以来、1994、5年頃、安くなったマッキントッシュを買うまで、私はパソコンには見向きもしなくなった。
しかしなあ、そんな私が書いたパソコンの勧めを読んでパソコンを買っちゃった人が建設省に複数いたとはなあ。彼らは私と違って、パソコンの活用の仕方を編み出しただろうか? それとも私同様、
「これ、使えないわ!」
放り出しただろうか。
何とも罪な原稿を書いたものだと、いまは反省している私である。