2023
09.15

私と朝日新聞 東京経済部の15 入社試験用作文の指導をした

らかす日誌

私を柔道に引きずり込んだ I さんは面倒見のいい先輩だった。恐らく人脈も広く、早稲田大学の後輩たちとの付き合いもあったのではないか。
ある日、1人の早大生が建設省の記者クラブに I さんを尋ねてきた。

「ああ、よく来たね。こっちにおいで」

とその学生を呼び寄せた I さんは、私に向き直ると

「大ちゃん、彼ね、とっても優秀な子なんだ。朝日新聞に入りたいから、作文の面倒を見てくれって頼まれてね。どうだろう、君も手伝ってくれないか?」

ん? いや、だってその大学生はあなたを頼ってきたんでしょ? そもそも私はまったく知らない学生だし、後輩というわけでもない。縁もゆかりもない学生の面倒を見る? それに、私なんて、人様の作文を見てああだ、こうだと言えるような文章が書けた記憶がないんですが。

いや、待て。私だって西部本社の社会部長に作文を見てもらったしなあ。受験生とは藁にもすがりたいと思っているものだ。藁くず1本をつかんだところで水難から逃れられるはずはないが、気分的には楽になるものだ。まあ、この学生の精神安定剤になるのなら、手伝ってもいいか。

こうして I さんと私は、その早大生、H君の作文を見ることになった。

なかなか端正な文章を書く学生だった。こりゃあ、私の学生時代より上じゃないか?
うろ覚えだが、彼の作文に、東南アジアを自転車で回ったというような一節があった。そうか、最近の大学生は、そんなに気楽に海外に出て、現地の人たちと交流しているのか。何だか時代がコマを1つ進めたような気がした。

I さんと私がどんなアドバイスをしたかは記憶にない。I さんは専ら褒める役で、私がダメ出しをする役回りだったような覚えがある。それでも1作ごとに作文の質は上がった。

「大丈夫だよ。君、朝日に入ったらどんな仕事がしたいの?」

そんな会話も交わすようになった。

ところが。
その年の朝日新聞の社試験。彼はみごとに落第してしまった。私たちの作文指導に問題があったか? しかしH君は、朝日には落ちたが、日本経済新聞には通った。

「済みません。こういう結果になりました」

いかにも残念そうな顔で報告に来たH君を、2人で

「でも、新聞記者にはなれたじゃないか。おめでとう」

と励まし、私は

「僕は経済部だから、これからライバルになるね。日経にはいい記者がたくさんいる。君もそうなるんじゃないか? お手柔らかに頼むぜ」

などと慰めたのではなかったか。

朝日と日経の入社試験の難易度にどれほどの違いがあったのか? 恐らく、彼が朝日に落ちたのはほんの紙一重のことだったのだと思う。神様の手違いだ。

同じ記者ではあったが、所属する会社が違った。H君との縁はそれで切れるはずだった。ところが世の中とは不思議なものである。それから数年たったら、H君が朝日新聞社にいた。

「お久しぶりです」

とあいさつする彼に、

「なんでここにいるの?」

と聞くのは当然だろう。

「いや、どうしても朝日新聞の記者になりたいという思いが捨てきれなくて、中途入社の試験を受けたんです。そしたら通ってしまいまして」

新卒の試験で落とし、中途入社の試験で通す。入社試験とはいったい何なのか?

日本経済新聞で取材を重ねてきたH君は、当然のごとく東京経済部員となった。一躍、私の同僚となったわけだ。そして、である。H君はその後、編集委員となる。特定の分野に専門知識を持つ記者である。彼の専門は財政・金融で、いまでも健筆を振るっていている。新卒で朝日に入った記者で、彼に並ぶ金融記者はいない。朝日新聞を購読して頂いている方は、彼の鋭い原稿をお読み頂いたはずである。
入社試験とはいったい何なのか?

入社試験の話を書いていたら、もうひとつ思い出したことがある。いつのことだったか不明だが、ここで書いておこう。

その大学生と何故知り合ったのかは覚えていない。だがある日、彼は私に相談を持ちかけてきた。

「実は、朝日新聞とNHKを受けたら、どちらも通りました」

ん? 自慢話?

「それで、どっちを選んだらいいのか考えているんですが、大道さんならどうします?」

贅沢な悩みである。当時、メディアに籍を置きたいという学生は山のようにいた。みんなが喉から手が出るほど欲しい席を1人で2つも確保したと?!
だが、現実には彼はそのうちの1つを選択しなければならない。しばし考えて、こんな話をした。

「新聞とは理性のメデイアだと思う。それに対してテレビは感性のメディアだ。東西の壁が雪崩を打って壊れたのは、東側の人たちが西側のテレビを見て政府の嘘に気が付き、行動を起こしたからだともいう。テレビの影響力の大きさだろう。新聞ではあんなことは引き起こせない。しかし、新聞には新聞の役割がある。読者に深く考えてもらうことだと思う。君は理性派か? それとも感性派か? いずれにしても、自分に合ったメディアを選んだらどうだろう」

頼りないことに、彼がどちらを選んだのかも記憶にない。

いま、私が定義した理性のメディアは読者の急減に苦しんでおり、感性のメディアは視聴者離れに悩んでいる。さて、これからマスメディアはどうなるのだろう?
玉石混淆の情報が飛び交うインターネットでは、マスメディアの代わりにはならないと思う。確かなメディアが存在しない世界はどう変わってしまうのか?

もっとも、最近の朝日新聞は、紙面を開いても読まねばと思う記事がない。すでに新聞は読者から見放されるだけでなく、自壊を始めているようである。NHKをはじめとするテレビも、杜撰な日本語を多用し、取材不足のニュースを垂れ流し、つまらないワイドショー、お笑い番組、ドラマで時間を埋めている。
日本の将来が不安である。