01.30
グルメに行くばい! 第25回 :蒸しもやし
突然だが。
親は、生まれたばかりの我が子を、ほかの子供から見分けることができるか?
新生児なんて、どれもこれも猿のような、似たり寄ったりの顔をしている。どれが自分の子であるなんて、本当に分かるのか?
自宅で、助産婦の助けで産んだ時代なら、間違うはずがなかった。
いまは、ほとんどの子供が産院で産まれる。新生児は、ほかの子と一緒に新生児室に入れられる。
新生児室の窓から覗き込む母親は、我が子を見分けることができるか?
父親は、どうか?
腹を痛めた母親でも、おそらく分からない。
ましてや、瞬時の快楽に身をゆだねただけの父親には判断できるはずがない。と思う。
(思い出話)
我が長男は難産で、なかなか母胎からでてこようとしなかった。痛みに耐え続ける母親のことも、病室前でおろおろする父親のことも完全に無視である。思うがままにゆっくり時間をかけて、自分の生まれる過程を楽しんだ。母胎の居心地がよほど気に入っていたらしい。
が、お産に時間を掛けすぎては経営効率に響く。業をにやした医者は、吸引機で引き出しにかかった。電気掃除機のお化けのような機械である。それでも長男は、しばらく抗った。
そこは、たかが新生児である。抵抗にも限度があった。やがて、いやいやながらこの世に引きずり出された長男には、だが、激しかった戦いの跡がくっきり残った。男の勲章である。
頭が、まるで布袋さんのように伸びてとんがり頭になっていたのである。引き伸ばされた頭の分だけで、身長が3cmから5cmは伸びていた。あまり見た目のよくない勲章である。
私は、頭のとんがった猿を、
「ほら、あなたのお子さんですよ」
と見せられた。
思わず、神を呪った。
伸びた頭は徐々に普通になり、しわだらけの顔はやがてふっくら、すべすべした愛らしいものに変わったから事なきを得たが……。
人間は間違う。間違いをなくす工夫をいくら重ねても、考えも思いつきもしなかった原因でミスが生じる。
産院で、不幸な間違いが積み重なって、赤ん坊が入れ替わったとする。双方の両親は、血のつながらない子供を自分たちの子と思いこんで、慈しみ育てるはずである。
10年後、何かの弾みで、10年前の「新生児取り違え」が発覚した。
「いやあ、当院のミスでございまして、こちらがあなた方の本当のお子さんです」
とひたすら平身低頭する医者を前に、親は、他人が10年間育てた子を、自分の子と思えるのだろうか?
親は、産んだ子を選択するのだろうか? 育てた子を選ぶのだろうか?
子は、生まれてこの方見たこともない男女二人連れを、自分の親として受け入れるのだろうか?
子は、産んでくれた親を選択するのだろうか? 育ててくれた親を選択するのだろうか?
親子には血のつながりがある。生き物は、そのようにして種族を絶やさずにきた。
が、生物学的に親子であることと親子関係にあるということは、ひょっとしたら違うものなのではないか?
血は水より濃い、のか。
生みの親より育ての親、なのか。
親子の絆って、いったいどんなものなんだ?
かつて、そんなことを考えたことがある。
横浜の自宅から、電話がかかってきた。取り乱した様子の妻が、受話器の向こうにいた。テレビ電話ではないので、姿形は見えないが、声を聞けばあわてぶりが、あわてる様子が、手に取るように分かる。
「大変よ。停学よ、停学。停学になっちゃったのよ。ホントに大変なんだから」
取り乱した際の話は、なかなかわかりにくい。話している本人が、自分が取り乱していると自覚せず、勢いに乗じて話すだけだからなおさら理解しにくい。
ゆっくりと、時間をかけて、事実を聞き出し、事件の概要を再構築すると、こんな話だった。
停学になったのは、高校に通い始めたばかりの長男である。停学期間は1週間。
停学の理由は、飲酒と喫煙。仲間で集まって酒を飲み、たばこをふかしていたのがばれたのだという。
「親が出て来いっていうので、学校まで行ったのよ。校長先生がいろいろ話されて、うちのことを聞かれたから、『主人は名古屋に単身赴任中です』っていったの。そしたら、『じゃあ、仕方ないか』っていわれて……」
つまらぬ人間が、校長という要職につくものである。
飲酒と喫煙で停学処分?
ま、これは仕方がない。世の中には立て前というものがある。立て前をなくした世の中には、混乱しか残らない。
高校生は、飲酒、喫煙をしてはならない。この社会の立て前である。だから、ばれないところで立て前を崩すのは仕方がないが、ばれるようにやってしまう間抜けがいるから、停学処分なんてことに踏み出さざるを得なくなる。処分なんて、面倒くさい。できるだけ発動したくないというのが教師の本音であろう。
立て前を立て前として維持できなくなった社会は、渋谷や新宿、原宿で、いつでも目にすることができる。同じような光景は、全国各地にあるはずだ。平日の午前中、学校の制服を着たまま歩き回る中高校生、制服を着たままたばこをふかす中高生。
こんな社会に誰がしたと言いたくなる現実が、いつでも目にできる。
立て前を立て前として維持する努力を放棄した大人が増えたためである。
だから、停学処分をつまらないとは思わない。
(思い出話)
私も、高校時代から酒を飲んでいた。飲ませたのは高校の体育教師である。本田先生という。何事もひっくり返したがる年頃の私たちは、この教師を「デンポンさん」と呼んでいた。
「デンポンさん」は柔道部の顧問であった。怖い顔をした先生だった。私と柔道との関係は「とことん合理主義 – 桝谷英哉さんと私 第5回 :たこ焼き先生 II」「グルメに行くばい! 第3回 :お好み焼き」などを参照していただきたい。
私が1年生のころ、「デンポンさん」はちっとも練習に出てこない顧問であった。部員が5、6人では、出てくる元気もわかなかったのかも知れない。
私が2年生になって部員が急増すると、しばしば柔道場に顔を出すようになった。なかなか現金な先生である。
そして、その年の12月。
「おい、大道。柔道部員にすき焼きば食わしてやるけんくさ、今度ん日曜日、みんなば連れて俺んうちに来い」
(邦訳=おい、大道。柔道部員にすき焼きを食べさせてあげるから、今度の日曜日に全員を連れて私の自宅に来なさい)
指定された日、全員を引き連れて行った。「デンポンさん」はやはり怖い顔をして、でも庭に出て自分で七輪に火をおこし、自分でまな板でネギを刻み、自分で白菜をざく切りしていた。
「おお、来たや。もうすぐ用意んできるけん、上がっとけ」
(邦訳=おお、来たか。もうすぐ用意ができるから、上がっておきなさい)
まもなく、すき焼きパーティーが始まった。久しぶりのごちそうを食べる部員の顔はもちろん、普段は怖い「デンポンさん」の顔も、この日だけはひどく嬉しそうだった。
「おい、お前たちもこれば飲め。ばってん、間違ごちゃいかんぞ。こりゃ、お酒じゃなかとばい。こりゃ『お茶け』ぞ。お前どんが『さ』と『ちゃ』ば間違ゆっと、俺の首の飛ぶけんね。ちゃんと覚えとけよ!」
(邦訳=おい、君たちもこれを飲みなさい。じかし、間違ってはいけないよ。これは、お酒じゃないんだよ。これは『お茶け』なんだよ。君たちが間違えると私の首が飛ぶからね。ちゃんと覚えておいてくれよ)
こうして、湯飲みになみなみとついだ日本酒が回された。飲んだ。当然、酔った。
最も大量に飲んだのは、当然のことだが、酒の修練を積み重ねた「デンポンさん」である。だから、酔ったのだろう。「デンポンさん」は、突然人生の師になった。
「おい、大道。こりから大事かこつば教えちゃる。よかか、よー聞いとけよ。女っちゅうもんはな、ありゃあ、見るもんじゃなかぞ。するもんぞ。ちゃーんと覚えとけ!」
(邦訳=おい、礼人。これから大事なことを教えてやる。いいか、よく聞いておけよ。女というのはね、あれは、見るものではないのだよ。するものなのだよ。ちゃんと覚えておきなさい)
酔った勢いでしか大事な教育ができない「デンポンさん」を、このときだけは好きになった。
思い出話に、思わぬスペースをとられた。
繰り返す。
つまらぬ人間が、校長という要職につくものである。
つまらないのは、我が妻に言った言葉である。
父親が単身赴任中だと、子供が酒を飲みたばこをふかしても「仕方がない」のか?
よりわかりやすくいおう。父親が単身生活をしている家庭の子供が非行の道に進んでも「仕方がない」のか?
単身赴任をしなければならないような転勤とは、ほとんど無縁の生活しか送らない教職なんぞを長く続けるから、こんな発想が生まれる。ごく普通の社会から隔離されたところで価値判断基準を身につけるからこんな人間になる。
父親が単身赴任を強いられている家庭が、全国にどれくらいあるか知っているのか?
父親が単身赴任している家庭の子供は、全員が停学処分になるような事件を起こすのか?
父母と同居している子供は、停学処分になるような事件は起こさないのか?
父親の単身赴任―母子家庭―子供の非行化
こういう、パターン化した発想しか持たない人間は、人を教え導く職業などについてはいけない。
が、つまらぬ校長の下で学校生活を送っているのは、我が息子である。
息子とは、産院で初対面をした後、1~2ヶ月して同居を始めた。
風呂に入れた。
おしめを替えた。
鼻水をすすった。
ミルクを飲ませた。
午前様で帰宅したら、育児疲れの妻は熟睡し、息子がピーチク泣いていた。息子を抱き上げ、外に出てあやし、寝かしつけた。午前2時半だった。
休日は、近くの公園に連れて行った。肩車をした。
奈良公園で、手に持った煎餅を取りに近づいてきた鹿に驚いて逃げ腰になった姿を写真に撮った。我が傑作の1枚である。
おそらく、親と子は、こんな暮らしを共有することで、親と子になる。絆ができあがる。
素敵な子供が授かったという思いがわき上がってくる。
いま、その我が子が、ちょっとばかり蹴躓いている。
(そういえば)
休日の夜、息子と、磁石にパチンコ玉をくっつけてぶら下げるゲームで遊んでいた。1個ずつ交代でくっつけ、自分がくっつけたときに重みに絶えきれなくなったパチンコ玉が落ちたら負けである。生後、1年半ぐらいのころだ。
遊び終わって、パチンコ玉の数を数えた。1個足りない。部屋中探した。見つからなかった。
「大変だ、パチンコ玉を飲み込んだらしい!」
「どうする?」
「救急病院を探せ! これから車で連れて行く」
妻と3人で医者に駆けつけた。
「どうされました?」
「子供がパチンコ玉を飲み込んだようなのです」
「飲み込むところを見たのですか?」
「いえ、見たわけではないのですが、遊び終えたら玉が1個足りないので、この子が飲み込んだのだと思うのです」
「で、私にどうしろと?」
「どうしろって、あなた医者でしょ? まず、この子が本当にパチンコ玉を飲み込んだかどうか調べたらどうですか!」
「調べてどうします? もし、本当に飲み込んでいたら、手術でもして取り出すんですか?」
「えっ、手術? いや、そこまでは……」
「じゃあ、どうしろっていうんです? 調べて、胃の中にパチンコ玉が確認できて、すぐに取り出すとなると、それしか手段はありませんが」
「………」
「大丈夫です。もし飲み込んでいても、ウンチと一緒に出てきますから、心配することはありません」
「でも、おなかの中で錆びたりしたら……」
「大丈夫です」
息子がまだ満足に口もきけないころの話である。
親というものは、そんな心配の仕方をしてしまう。
我が子の停学事件である。放ってはおけない。
「わかった。学校に行かないんじゃあ、毎日暇だろう。いつでもいいから、名古屋によこせ」
妻にそう命じて電話を切った。
ある計画が頭の中にできあがっていた。
息子が来た。夕方だった。すぐに夕食を食べに行った。名古屋・錦の中華の店だ。
何を食べたのか、いまとなっては覚えていない。が、はっきりと覚えていることがある。
ビールを頼んだ。コップは2つ頼んだ。2つのコップになみなみとビールを注いだ。
「飲め」
高校1年生が、街の飲食店で、親父にビールをついでもらい、飲んだ。
ビールは3、4本飲んだだろうか。私が3分の2、息子が3分の1という感じだったろうか。
ポツリポツリと事情を聞いた。ま、こんなもの、聞いたところでたいしたことではない。どうせ仲間内で盛り上がって、酒になりたばこになっただけの話である。背伸びがしてみたい年頃なのである。
大人を馬鹿にしながら、でも大人にあこがれる。一足飛びに大人になってしまいたい。そんなとき、大人になったと誤解できる超特急チケットが、酒とたばこである。
酒を飲み、たばこをふかすと成長したと考えてしまう。馬鹿め。
酒とたばこをたしなめば大人になるのなら、世の中は単純でわかりやすい。そうではないから世の中は複雑で難しく、わかりにくいのである。
そんな単純な真理も分からずに酒とたばこに浸かるのは、単なる馬鹿である。だが、この年頃で、馬鹿でいないことは難しい。馬鹿でいたことがない人間はつまらない。どんどん馬鹿になればよい。
ま、それがばれたのはドジだが。
「紹興酒をちょうだい。グラスは2つね」
ビールを飲み終えると、紹興酒を飲んだ。2人で飲んだ。
事件の話が一段落すると、もうあまり話題がない。父親と息子なんて、そんなものだ。父親と息子で、世間話や馬鹿話で盛り上がるなんて、ちょっと気持ちが悪い。
話題が尽きたころ、食事も終わった。
「もう1軒行こうか」
なじみのショットバーに入った。予定の行動である。
息子が来ることになって、直ちにできあがった計画とは、酒を飲ませることだった。徹底的に飲ませようと思った。親父の目の前でたばこを吸うのなら、それでもいい、とも考えた。
思いっきり、背伸びをさせてみる。大人の世界の一片に触れさせてやる。酒で事件を起こしたのなら、酒を浴びるほど飲ませてやる。
1軒目は飯を食いに行く。飯を食いながら酒を飲ませる。それはすぐに決めた。さて、2軒目をどうするか。しばらく考えた。
クラブに連れて行こうか。ソファに座って、ま、美しいことになっている女性が隣に座ってお話ししたり、ウイスキーの水割りを作ってくれたり、時にはちょっとばかりさわらせてくれたりと、至れり尽くせりの世話をしてくれることになっている、あのクラブである。かなりディープな、大人の男の世界である。
ディープな世界には金がかかる。財布に、かなり響く。響くというより、痛い。が、ことは息子の問題なのである。私が思っている効果があるのなら、金額の多寡を問題にしてはならない。
でもなあ、まだ高校生だもんなあ。なにも、高校生の時から、そこまで背伸びする必要もなかろう。
(追記)
「そこまで金を使うことはなかろう」
が本音だったかも知れない。
というわけで、ショットバーにした。
「おい、好きなものを好きなだけ飲め」
「こんなとこ、来たことないから、何を頼んでいいのか分からない」
それはそうであろう。私だって、それほど知っているわけではない。高校生の息子が詳しかったら、我が人生を再考しなければならない。あ、違った。教育方針を再考しなければならない。
「ダイキリでも飲むか」
「うん、それでいいよ」
息子は、ダイキリを2杯飲んだ。まだ、酔った気配はない。時間はまだ11時前だ。
「おい、次は何にする?」
「あ、うん、もういいよ」
「遠慮しなくていいんだぞ」
「うん、もういい」
私が待っていたのは、この瞬間である。この瞬間のために、名古屋に呼び、飯を食わせ、ビールと紹興酒とダイキリを飲ませたのである。
「そうか、もう酒はいいか。ではいうが、酒もたばこも、受験勉強にはマイナスだ。これを最後に、大学に入るまで酒は飲むな。たばこもやめておけ。どうだ、約束できるか?」
いやあ、決まったね、やまちゃん!
この一連の流れの中で、
「No」
とは、なかなか言いにくいものである。
そして、予定通り、息子は
「分かった」
といった。
我が部屋に帰って親子2人で眠り、翌朝、息子を送り出した。ヤツは新幹線に乗って横浜に帰っていった。
さて、それから大学入学まで、息子が禁酒禁煙を貫いたか? 恐らく、貫いていない。
ま、その程度のことである。
子育てとは、とかく悩みばかり多いものだ。
というわけで、今回はちっとも食べ物の話が出てこなかった。さて、今回のレシピは何にしよう?
と考えていて、思いついた。今回は、これで行く。
【蒸しもやしの作り方】
材料
もやし :食べたいだけ
セロリ :適当に
豚肉 :バラ肉を、食べたいだけ
そのほか :ポン酢、好みによって胡椒
作り方
1,鍋と、鍋の大きさにあったざるを用意する。鍋で湯を沸かし、その湯気でざるに入れた食材を蒸すという料理だから、そういう用法にあった鍋とざるを選ぶこと。
2,ざるをかぶせた鍋に水、あるいはお湯を、ざるに届かない程度に入れる。
3,手でちぎったセロリを混ぜたもやしをざるに大量に乗せる。その上から、バラ肉を乗せる。バラ肉で全体に蓋をする要領で、といえばご理解いただけるだろうか。
4,その上から本物の蓋をし、火にかける。7~8分でできると思うが、豚肉が固くなりすぎると美味しくないので、その辺は適当に。
5,できたら、ポン酢につけて食べる。
以上である。
妻が入院したとき(なんと、3回もある)、我が家の惨状に同情した畏友「カルロス」が我が家を訪れ、教えてくれた料理である。その点、単身赴任生活のメニューと、根底で通じるところがある。その後、我が家の定番メニューの仲間入りをした。
この暖かみがなければ、ヤツは単なる、嫌みな親父にすぎない。いずれにしても、Thanks!
非常に簡単な、単純な料理だが、理にかなった料理でもある。
基本はもやしと豚肉の組み合わせで、豚肉を一番上に乗せて蒸すことで、肉から出た豚の旨みが下に下がり、もやしにからみつくことになる。セロリは、香りと歯触りを楽しむためで、手でちぎるのは香りを充分に出すためだ。だから、セロリの分量は、もやしの5分の1以下で充分である。あとは好みによって増やしたり減らしたりすればいい。
豚肉の旨みを引き出す料理なので、合わせる酒は、できれば日本酒を避けたい。私はいつもビールである。焼酎でもいけるだろう。
今夜にでもお試しあれ!