2023
12.02

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の51 日本経済の曲がり角

らかす日誌

バブルといわれた時代、日本の株価は天井知らずの上昇を続けていた。日経平均株価は1989年12月29日。38,915円87銭の史上最高値をつけた。

「まだまだ上を行く。目標は5万円だ」

「それは弱気すぎる。10万円も夢ではない」

株式市場関係者の間では、真面目にそんな会話が繰り広げられていた。
なるほど、市場には勢いがあった。日本経済に陰りは見えなかった。経済企画庁がまとめる「経済白書」は、日本の潜在成長率は4%とうたった。経済成長率が4%に達していないのは、労働力不足のせいだとした。4%成長を実現するには

①高齢者の雇用
②子育てを終えた主婦の再雇用
③外国人労働者の受け入れ

が必要だというのが当時の経済企画庁の見立てだった。そして私も、

「そんなものだろう」

と思っていた。だから、年が明けて日経平均がグズグズし始めても

「年末に史上最高値をつけたから、その調整局面だ。調整が終われば株価は再び急上昇を始める」

といわれていた。私もそんな見通しで取材を続けていた。日本経済はこれからも成長し続ける。もっと豊かな世の中がやって来る。

「えっ!」

という記事が日本経済新聞に掲載されたのは、記憶によると1990年の春先のことである。書名入りの原稿で、筆者はあのNa氏だった。朝日新聞の先輩Tsuさんの日比谷高校の後輩で、

「ずっとあの人とつるんででいるのがいやで、Tsuさんが朝日に入ったから、じゃあ朝日はやめだ。日経に入ろうと思った」

という人物である。

彼の記事は明瞭だった。バブルが終わった、というのである。年明けから株価がおかしな動きをしているのは単なる調整局面ではなく、バブルが終演した現れだといいうのである。

その記事がどれだけの影響を世の中に及ぼしたのかは知らない。しかし、私はショックだった。いや、バブルが崩壊したことではない。みごとな論理でバブル崩壊を明言した記事に度肝を抜かれたのである。世の中のほとんどが、まだまだいけると思っているとき、

「もう終わりだよ」

という記事はなかなか書けるものではない。外れれば世の嘲笑を受けるのである。
それだけではない。株式市場をウォッチしていれば、こんな見通しが持てるのか、と驚いた。余程自信がなければ書けない記事である。

「あ、俺にはこんな記事は書けない」

というショック。

「こんなにも深く株式市場の動きを読み取ることは、とても真似が出来ない」

というショック。

「Naには、経済記者としてはとても太刀打ちできないわ」

というショック。

そうなのである。私は新日鐵—三協精機の提携にからむインサイダー取引でスクープを連発したことで、証券担当記者としては有頂天になっていたのだろう。

「日経のNa? 周りの評価は高いけど、俺の取材に追いつけなかったじゃないか。その程度さ」

と思い上がっていたのに違いない。その高くなりすぎた鼻をみごとにへし折られたのである。

彼が書いた、バブルが崩壊した、という記事は、いわゆるスクープではないのかもしれない。しかし、私が書いたスクープより、日本経済が屈折点に達したことを見通した彼の記事は、遙かに中身が濃く、意味のある記事である。私が証券担当であり続けていても、絶対に書けなかった記事なのだ。

負けた、と思った。この記事が出る前に証券担当を外れていて助かったとも思った。改めて、Naとは、私が足元にも及ばない証券記者だと思い知った。私もこんな記事を書いてみたいと思ったが、書ける自信は全くなかった。
あの時の朝日新聞の証券担当記者は、私と同じショックを受けたのだろうか? それにしては、それを匂わせる記事は出なかったように思うが……。

いま振り返れば、あのバブルを潰したのは、大蔵省が土地関連融資を規制したことだといわれている。しかし大蔵省だって、あれほど急速にバブルが潰れると意識していたのかどうか。恐らく、行きすぎた土地投資にブレーキをかけ、日本経済を巡航速度に戻そうという程度のことだったのではないか。
だがNa氏は、日本経済が巡航速度に戻ると見るのは甘過ぎで、土地関連融資の規制は急ブレーキで、その結果が証券市場に現れ始めてていることを見抜いたのである。あの時点でそこまでの見通しを持った人物が、日本に何人いたのだろう?

恐らく、Na氏の記事を読んだからだと思う。経済企画庁の役人への私の質問の仕方が変わった。

「ねえ、経済企画庁の文書を読んでいると、日本経済は永遠に拡大し続けるとしか読み取れない。しかし、ですよ。いま日本のGDPは500兆円です。まあそれが600兆円になることはあるかもしれない。700兆円もありうるかもしれない。しかし、1000兆円とか2000兆円とかになると思いますか? 私にはそんな未来は想像できない。あらゆるものの成長はどこかで止まり、横ばいに映って、やがて下り坂になる。国の経済政策を取り仕切る経済企画庁がいまやるべきことは、成長が止まったとき、あるいは下り坂に差し掛かったとき、日本国民がどうしたら豊かな暮らしを続けることができるかを考えることじゃないの?」

何人ものお役人にこの質問をぶつけた。残念なことに、まともに取り合ってくれる人はいなかった。
失われた10年が20年に延び、もう30年を越した。国民1人あたりの所得が韓国にも抜かれてしまったのがいまの日本である。Na氏の実質的なスクープは、いまの経済停滞までも見通していたようにも思えるのである。