03.29
2006年3月29日 プジョー306
迷った。
訝った。
感心した。
唸った。
そして、既成概念にとらわれず、自由で合理的な発想を当たり前のこととして実行するフランス魂は偉大なものだと思い知らされた。
ことは、我が家の車である。
先日、とある事情で、我が家にフランス車がやってきた。1997年モデルのプジョー306。水色のボディーを持つ洒落た車である。これから3ヶ月ほど付き合う予定だ。
ま、9年目に入った車をポンコツと呼びたければ呼ぶがよい。何しろこちらは、文化の粋のような国、フランスで製造された車なのである。東洋の島国で作られた車とはひと味もふた味も違うのだ。物の価値が分からない連中は笑っておればよい。
欧州の車はシートのできがよいとは、すでに世の中の常識だ。中でもフランス車は、石畳の多い通りを走るため、柔らかな中に芯のあるシートで乗員の体をしっかり支えてくれる、とは何かの本で読んだ。
先週末、初めてその車のドライバーズシートに座り、妻の買い物に付き合った。有り体に言えば、いつもの週末のように、運転手兼ポーターの役を押しつけられた。
で、我が家のプジョーである。
狭い道を走っていた。前を子供が乗る自転車が2台、横に広がって走っていた。車道を、横に広がって走るとは、危ない。最近の親は、交通道徳、交通安全対策も教えないのか。子供は、勝手に車にはねられて死ね。慰謝料をガッポリ取ってやるから、というのが最近の親であるか。
が、ここは慰謝料を取られては叶わない。さあ、子供たち、車の前から待避して、安全なところを走りなさい。
という場合、普通クラクションを鳴らす。私も鳴らそうとした。
あなたは、クラクションを鳴らす場合、どのような行動をおとりになるだろうか? 通常は、目の前にあるハンドルの中央部分を押す。すると、プップー、とかブッブーとかいう音が車から発生する。それがクラクションである。それが常識だ。
私は常識にならった。ハンドルを掴んだ右手の親指で中央部分を押した。エアバッグが収納されているためか、押すとなんだかブヨブヨする。ソフトである。シートのみならず、ハンドル中央部分も柔らかくする。なるほど、フランス車とは、フランス的思考というのはこのようなものか。さすがフランスだねえ。
押した。音が何も出てこなかった。ん? 右手の親指で押すぐらいでは力が足りないのか? ムダなクラクションは控えて、静寂を保ちましょうというのがフランスの提案か。でも、この場面では音がいるんだよなあ。
右手をハンドルから放し、力いっぱいハンドルの中央部分を押した。フニュッという感触が返ってきた。
さあ、どうだ。前を行くガキども、音に驚いて道を空けろ!
何の音も出てこなかった。フンともスンともいわなかった。我がプジョーのクラクションはかたくなに沈黙を守った。
えっ、この車のクラクション、どうやったら鳴るんだ? 迷った。
ひょっとしたら、壊れてるのか? 訝った。9年目に入った車だもんなあ……。
そろそろと子供たちの自転車の後に付き、彼らが道を空けてくれるのを辛抱強く待った。この車は、クラクションが鳴らない。それを前提に安全運転しなければならないのである。
翌日。この車を我が家に持ち込んだ人物に電話をした。
「あの車だけどさあ、クラクション、壊れてる?」
「どうして?」
「だって、押しても鳴らないじゃないか」
「どこを押した?」
「どこをって、君、ハンドルの中央部分に決まってるじゃないか」
「大道さん、ひょっとしてフランス車初めて?」
「そう、フランス車は初めて。フランス女もまだ知らない」
「あのね、あの車のクラクションは、ウインカーレバーの先っぽにあるの」
「ウインカーレバーの先っぽ?」
「そう。クラクション、まだ壊れてないよ」
プジョーに乗り込み、ウインカーレバーの先っぽを押した。優雅なフランスの音がした。
何でこんな所にクラクションが。猛烈に腹が立った。非常識にもほどがある。フランスの奴らは、常識というものをわきまえないのか?!
だが、待てよ。クラクションはハンドルの中央部分になければならないとは誰が決めたんだ? クラシックカーのクラクションは、運転席の外側に取り付けられた手押し式のラッパだったよなあ。とすると、クラクションはどこにあってもいいわけだ。ハンドルにあろうと、ウインカーレバーにあろうと、ダッシュボードにあろうと、足下に設置されていようと、使うのに不便がなければいいのである。
ウインカーレバーにあって、何か支障があったか? ない。使いにくいか? 使いにくいことは全くない。
ここまで来て私は、プジョーの発想に感心した。唸った。
偉大なるかな、フランス魂! 私はクラクションの位置で、フランスの神髄に触れたのである。
ただ、この車に乗るのは、できれば3ヶ月を上限としたいという思いもヒシヒシと迫ってはきたが。
私は常識人なのである。