03.17
#4 事故その後
私の交通事故レポートへの反響である。
読んだという友人からメールが来た。
安堂礼人様 ご無沙汰をしております。お元気ですか?(じゃない、大丈夫ですか?) デジキャスブラザーズ日本日記(注=「らかす」の前身)の追っかけ、N(原文は実名)です。
いつもながらエッセイ面白く拝読しておりますが、 今回の『礼人、交通事故に遭遇』、本当に腹を抱えて笑わせていただいたもので、思わずお礼をと、メールした次第です。
それにしても、こうやって会社で黙々と仕事をしているフリをしている小生が 突然笑い出してしまうようなエッセイはいけません。みんながこっちを見てる!局長までこっちを見てる!
桝谷英哉さんものですら、どうにかこうにか笑いを押し殺して読んでいるのに 今回はいけません。面白すぎます。
あの伝説の侍魂(最近更新されていない) 以来の笑劇でした。
それにしても怪我もなく本当に良かったですね。彼女も無事だったようですし。これからも、どうか楽しいエッセイと驚くような体験をよろしくお願いいたします。
ささ、仕事しよー。
我が文章を誉めている部分は別として、実にとんでもないヤツである。
私は、早速返事を書いた。
人の不幸を見て笑う者は、豆腐に頭をぶつけて死ぬ運命にある。
でも、そんなに面白かったか?
ご無沙汰です。
ご愛読ありがとうございます。
侍魂は昨年の春頃見て、ショックを受けたサイトです。なるほど、Webというのは、このような表現の仕方があるのか、という驚きでした。もちろん、中身も面白いのだけれど、面白い文章は彼でなくても書けます。彼の偉大さは、htmlの性格を理解し尽くして、それを表現の世界に生かしたことだと考えています。もちろん、私の表現の仕方も、あのサイトからパクっています。
それと並べていただくとは、これにまさる評価はありません」
彼から再びメールが来た。
さっそくのご返事ありがとうございます。
そうですか、あの表現方法は侍魂のパクリでしたか。 納得、納得。
でも、だからといって面白さが減るものではありません。 礼人さんの文章には、やはりどこか知的な面白さがありますものね。 結局もって、社会に組み込まれた途端、更新がされなくなった侍魂よりも、こうやって社会の荒波にもまれながら、 借金も減らない礼人さんの方が数倍頑張っているなという気がします。
「なんや、単なる自慢話ではないか」
と思われたあなた、あなたの感覚は100%正しい。私は、誉められたことが嬉しくて、舞い上がって、この文章を書いている。
ふだん、誉められることの少ない人生を送っているとこのような性格が育つ。
このように好意的な反響は、心からありがたいと思う。
こんな反響がもっとたくさん来て欲しい!
心から、
「けしからん」
と憤りを感じる反響もあった。
「いやあ、希に見るいい事故だね」
とんでもない妄言を吐いたのは、同僚のH氏である。
事故後、整骨院に通い始めたことは、1月31日にアップした日記で報告した。ご記憶の方もいらっしゃると思う。
通い始めた整骨院は、保険会社に紹介させた。
保険会社は、私に対する保険金の支払いを1円でも少なくしたい。事業会社として当然のことである。
私としては、事故の後遺症と見られる不快感を1日でも早く取り除きたい。事故の被害者として当然のことである。
両者の利害は完全に一致するのだ。
腕のいい整骨院 = 保険金の支払いが少なくなる
= 症状の改善が早い
のである。
通い始めて数日たったころ、不心得者のH氏が椎間板ヘルニアの持ち主であることを思いだした。無意識のうちに患部をかばう姿勢をとるため、様々な症状が出る。
そのころは、
「同じ姿勢を続けていると、1時間ぐらいでしびれてくるんだよね。座ってると腰に来るし、立ってると足に来る」
という状態であった。
「H君、私が通っている整骨院を試してみないか」
人のいい私は、ついつい彼に声をかけてしまった。あれほど不快な反響が返ってくるとは考えもせずに。
この整骨院に通うことのメリットを説いた。
・保険会社の紹介であること = 腕がいいはずである。
・健康保険が使えること = 初診時約2000円、その後は1回約400円。1ヶ月まるまる通っても1万円内外しかかからない。
(2006年2月12日挿入の後日談)
その後、1回あたりの治療費は540円に上がった。
H氏はその気になった。私は天性のアジテーターである。
(余談)
私のアジテーションは、何故か、女性にはなかなか通じない。つまり、彼女たちはなかなかその気になってくれない。
「そうだね、安いね。それに、1週間通ってあまり良くならなかったらやめればいいからね」
(余談)
保険のきかないマッサージに通うと、最低でも1回3000円、高いと5000円、1万円とかかる。何処かが痛いといっても、おいそれと通うわけにはいかない。
こうして、H氏の整骨院通いが始まった。初日は私と同行した。
治療が始まる前に、問診がある。
「そうですか、確かに身体が曲がってますね。ヘルニアの痛みを避けようと、身体がそっちに逃げてるんですね。だから、こっちの筋肉が圧縮されて硬くなり、やがて痛み出すわけです。しびれも同じ原因でしょう」
「ヘルニアという病気があるのですから、マッサージで完治することは不可能です。でも、硬くなった筋肉を伸ばし、身体を真っ直ぐにすることで症状を緩和することは可能だと思います。治療の目的をそこに置きたいのですがいいでしょうか?」
なかなか親切、丁寧な整骨院だ。
やがて治療が始まった。
うめき声が聞こえた。
「痛いですか?」
「………」
「ここは、座骨神経が集まっているところです。多分、身体が曲がっていることで座骨神経が圧迫され、足にかけてのいろいろな症状が出ているので、ここを刺激して神経を活発化するのです」
「………」
横目でのぞき見ると、お尻の横のくぼみのあたりに施術者の肘があり、かなりの力で押しつけられていた。H氏の顔が歪んでいる。
「ザマー見ろ!」
とは、この時は思っていない。私はそれほど悪人ではない。
マッサージは30分ほど続いただろうか。終わって、整骨院の近くでH氏と酒を飲んだ。
「なんかいいみたいよ。なんか、下半身がぽかぽかしてきた」
2時間ほど酒を飲んで帰路についた。
「うん、やっぱりいい。ほら、正座して足がしびれたとき、足を伸ばすとジンジンするじゃない。いかにも、いま血液が流れ始めたよ、って感じで。あんな状態がいまでも続いているよ。おっ、血液が流れてる、流れてる、っていう状態だなあ。いいわあ」
その後、彼は足繁く通っている。
整骨院の近くで2度目に酒を飲んだとき、H氏はしたたかに酔ったそうだ。飲んだ量はいつもとそれほど変わらないのだが、自宅に着いたときはへべれけだったとか。
「やっぱり、血の巡りが良くなってるんだよ」
と、自分で自分を納得させていた。自分でインテリだと思っているヤツは、何にでも理屈をつけたがる。
私はマッサージ後に酒を飲んでも、ふだんより酔いが深くなることはない。
それから数回通っていると、
「なんか、ゴルフやっても球が飛ぶようになってさ。やっぱり、よくなってるんだよ」
と言うようになった。様々な体調の量り方があるが、ゴルフの飛距離で自分の体調を量るのは、中年も末期に入った証拠である、と私は思う。
その挙げ句に、あの言葉が飛び出した。
「いやあ、礼人君、今度のあなたの事故は希に見るいい事故だね」
事故に、いい事故と悪い事故があるのか? 君は何の権利があって、私が遭遇した事故をいい事故と判定し、あろうことか、喜びを全身で表現しているのだ?
私は、いまこそ、治療の痛みで顔を歪めるH氏に向かって、
「ザマー見ろ!」
と言いたい。
ところが、治療の効果が出たのだろう。治療を受けてもH氏の顔は歪まなくなった。
私は、H氏に向かって
「ザマー見ろ!」
という機会を永久に失ったのかもしれない。
私がその整骨院を紹介したのは、彼だけではない。
Ka = 我が職場の♂、肩こり、腰痛持ち
職場で顔を合わせるたびに
「痛てててて」
と顔を歪めていた。肩こりがひどく、並の痛さではないとのふれこみ。病院にも通っていた。
整骨院に通い始めたころは、マッサージをされるたびに
「痛てててて」
と、いっぱしの大人が喚いていた。耐えることをよしとした日本男子の矜持は失われたらしい。バカモン!(彼の口ぐせ)
2週間ほどすると、肩の痛みを訴えなくなった。
「どうしたの?」
と聞くと、
「そういえば痛くなくなった」
マッサージを受けながら喚くこともなくなった。
最近は、腰痛を訴えている。
どうやら、身体の何処かが傷むのが好きらしい。
T = 我が職場の♂、テニス・エルボー?
「鉛筆、ボールペンが持てないので字が書けない。その整骨院で何とななるだろうか?」
と問いかけられた。私は、マッサージに特別の知識を持つ者ではない。また整骨院の回し者でもない。私に聞かれてもわからない。
通い初めて1週間ほどで
「いやあ、よくなってる」
ご同慶の至りである。
Ko = 同じビルで編集作業をしている♀、右足のしびれ
喫煙所で一緒にたばこを吸う仲。雑談中に、
「右足がしびれて感覚がない」
と話していたのを思い出し、整骨院に誘った。
「すっごくいいですー」
というのだが、仕事が忙しくてなかなか通えないらしい。
他の機会に、然るべき他の場所で、同じ言葉を聞けたら、これぞ男子の本懐、と考えてしまうだろう私は、やや異常か?
我が愚妻 = 大腿骨骨折後のリハビリ
愛娘 = 肩こり
と、合計6人に上る。ほかにも1人、検討中の友がいる。
そのうち、整骨院から感謝状がもらえるのではないかと期待している。
整骨院によると、最も優等生なのは、H氏である。
最初に来院してきたときに比べ、症状の改善が著しいのだそうである。
ひょっとしたら、ヘルニアまで治ってしまうのかもしれない。
一番の劣等生は、どうも私らしい。
症状は確かに改善しているが、薄紙を一枚一枚剥がしていくような進展状況である。
どうでもいいことだが、全損になったかつての愛車の代わりに我が家にやってきた新車は、今のところすこぶる快調である。