2004
01.09

#5  年賀のご挨拶

事件らかす

 年が改まっての最初の日記。ちょっと遅れ気味ではございますが、やはりこれから始めるしかありますまい。

 年賀状である。

 一部の読者の方は、私から直接受け取っていただいたはずである。

 「もう見たよ。また同じものを見せられるのかよ」

 などとおっしゃらずに、しばらくおつきあい願いたい。
なにしろ、年賀はがきというものは、文章を書ける面積が決まっている。縦14.8cm、横10cmである。この中で、すべてを書き尽くすのは難しい。私の駄文は、とにかく長いのだ。この日記をお読みいただいている方々は、すでにご存じのことである。

 字を小さくすれば、より多くのことが書ける。しまりのない私の文章でも、ひょっとしたら、書きたいことをすべて書いても収まるかもしれない。

 しかし、である、各々方。世は高齢化社会なのだ。年寄り社会なのだ。人生の晩秋から冬の時期を懸命に、あるいは悠々と生き抜いておられる方々が、きわめてたくさんいらっしゃる時代なのだ。
新聞が活字大型化競争に入ったのは、遙か昔の話である。目に優しいという触れ込みだった。ま、老眼鏡のお世話にならずとも、うちの新聞は読めますよ、ということを人聞きよく言うとこういう表現になる。
文庫本も、大型活字をうたったものが出ている。
それだけかと思っていたら、最近は週刊誌まで活字大型化競争に入ったらしい。年末の新聞広告で、ある週刊誌が新年から活字が大きくなりますとうたっていた。
 ジジババ社会なのだ。いまや、新聞も文庫本も週刊誌も、ジジババに気をつかう。ジジババであることは、社会の主流派に属することを意味する。馬鹿若者の前で、昂然と胸を張れ! ジジババ!!

 新聞の活字が大きくなったとき、

 それはよい。だが情報量が減るではないか

 と懸念する声もあった。が、いまのところ、情報量が減ったことに伴う弊害が出たとの苦情は聞いたことがない。

記者諸氏が文章に磨きをかけ、より短い文章で同じ内容を伝える業を修得されたのか?

―とすれば、それまでの記者諸氏は、無駄な長文を書いておられたということになる。

 活字を大きくした分、ページ数を増やしてつじつまを合わせたのか?

―その分、広告も増えたのかなあ?

 もともと、削られたら困るような情報はほとんどなかったのか?

―………

チェックしたことがないので、苦情がない原因は想像するしかない。

(余談)
教養豊かな、ご高齢の財界人と何度かお会いした。お会いすると、話の4分の3は本の話になった。この方、読書量がきわめて豊富なのである。執務室の机には、いつも数十冊の本が積み上げてあった。これから読む本だという。
「いや、最近は天眼鏡がないと本も読めなくなりましてね」
天眼鏡? いわゆる虫眼鏡である。そんなものを使って、そんなに本を読めるものか?
「なーに、本というのは、まず最初の15ページか20ページを読みます。終わったら、最後の15ページか20ページを読みます。おおむねの本は、これで理解できますから、読んだことにします。これだけ読んで、やっぱり全体を読みたいと思った本だけ全部読みます。そんな本はあまりありませんから、月に数十冊は読めます」
読みたい本は、活字が小さかろうと、天眼鏡が必要だろうと、読む。そんなものであるらしい。
この方、まさかこの日記はお読みでないと思うが……。
恐ろしい読者である。

 「ジジババ万歳」はいい。だが、万歳の裏側に透けて見えるのは、若い読者があまりいないことだ。
さて、高齢者は、一般的には若者より先に死滅する。そのとき、高齢者に媚びを売っている媒体はどうなるのかなあ。

 いやいや、また横道にそれてしまった。
私がいいたかったのは、面積が限られている年賀はがきでは、文章が少なすぎて意を尽くせなかった面があるということである。
それを、ここで補いたい。

 大多数の、初めてこの年賀はがきを目にされる方は、年賀はがきの文章と、その解説を同時に味わうことができる。年の初めから、なんか得した気になりません?

 で、年賀はがきの文章であるが、先にお見せした写真では、読みとりにくいであろう。ここにテキストとして再録する。
といっても、ここは私的な日記のコーナーである。公務に属する「仕事」は省こう。そう、はがきの左側に見えるところである。
ここでは、もっぱら「私事」に限る。

私事
2003年
1月はじめ 妻・百合子が左大腿部骨折で入院中、愛車が事故に巻き込まれて全損。ローン完済1ヶ月前。やむなく新車購入。再びローンを抱える。
1月末 長男の勤め先が倒産。家に帰って職探し。5月に今の会社へ。同居継続中。
5月 交通事故の補償金で洗面所をリフォーム。洗濯機も更新。
8月 台風で雨漏り。屋根、壁面、玄関をリフォーム。11月完成。
12月 猫の額の庭にウドデッキ製作。基礎から作り、完成までに12日。12月の休日は働きづめ。
2003年は変化の年だった。
2004年は?

 では、1項目ずつ、蛇足を加える。

 1月はじめ
まずお断りしておきたいことがある。私の筆足らずで、妻の骨折は、愛車の事故のせいだと理解されている方が、意外と多いのである。そうではないことは、以下をお読みいただければご了解いただけると思う。この場を借りて、文章の拙さをおわびしたい。
さて、事故である。これは、この日記を読み継いでいただいている方々には旧聞、いや、旧読であろう。「事件らかす3:安堂礼人、交通事故に遭う」「事件らかす4:事故その後」である。そのご案内は、賀状にも書いておいた。
初めての話は、妻の左大腿骨骨折か。
ことは、一昨年、つまり2002年12月6日の昼過ぎにさかのぼる。その日、犬の散歩をしていた妻は、急に引きずられて転倒、はずみで骨折した。犬は、我が愛犬「リン」ではない。隣家、つまり妻の実家が飼っている駄犬である。
直ちに入院、翌週手術。2003年2月15日の退院まで、我が家は不自由な暮らしを強いられた。
この左大腿骨骨折事故の1年半前の2001年8月、妻はキッチンのレンジフードを掃除しようとしていて、踏み台にしていたイスから滑り落ち、右大腿部を骨折して入院した。打ち所が悪かったらしい。
両方とも付け根のすぐ近くが折れていた。ほぼ左右対称である。器用な折り方をするものである。
両方とも骨の中に金属のパイプを入れて修理した。本人曰く、

 「これで私も、立派なサイボーグよ」

 このようなことが続くから、ついつい愚妻と書きたくなる。

 1月末
私も、勤め先の倒産を経験したことがある。といっても、大学生の時の話だ。
1年間休学してトラックに乗った。表向きの理由は、赤貧洗うがごとき暮らしの中で、学費を貯蓄するためであった。
本音を言えば、勉強に飽きた。いや、法学というものに、何とも興味がわかなくなった。しばらく時間をおいて、自らの将来を考えてみたかった。
で、休学して、近くの運送店に、1年間の契約で雇ってもらった。2t車でロッテのお菓子を配達した。
半年ほどで、その運送店が倒産した。突然だった。
こちとら、1年間の契約社員である。本業は学生だ。この運送店が倒産しても、ほかの運送会社を探せばいい。何のことはない、はずであった。
なのに。
何となく気分が塞ぐ。寄りかかっていた大きな木が、突然倒れたというか、羽を休めるためにとまった枝が突然折れたというか。
固くてしっかりしたものだと思っていた地面が揺れ動き、粉々に砕けて流れていくような気分を数日間味わった。

 我が息子も、同じ気分を味わったのか?
息子にとっては3つ目の会社である。1つ前の会社は、息子がいた事業部門を突然閉鎖し、その事業部門にいた従業員を解雇した。彼にとっては2度目の失業である。耐性ができていたか?
可愛い子には旅をさせろという。
百獣の王ライオンは、我が子を千尋の谷に突き落とし、自力ではい上がってくるのを待つという。
何のことはない。我が息子は、自分で勝手に旅に出て、自分で勝手に谷底に落ちはい上がってきた。
強くなったのだろうか?
親としては手がかからない子である。いや、心臓に悪い子という方が正確か。

 5月
工事発注先は、東京ガスの子会社。ヒビが入っていた洗面化粧台を取り替え、ついでに浴室のドア、収納棚も替えた。
洗濯機は日立製作所の洗濯乾燥機。収納棚を替えたら、乾燥機を置く場所がなくなり、仕方なしの更新。
発注先、メーカーの選定、ともにデジキャスの株主に気を使ったわけではない。

 8
「お父さん、壁から水がしみ出してる!」

 台風の日、3階からクレームが来た。3階は娘の住居である。押入というか、クローゼットというか、要はベランダの内側にある収納スペースの壁から、確かに水がしみ出し、シミを作っている。

 ありゃ、まあ。また雨漏りかいな。

 我が家は重量鉄骨でフレームを組み、外壁は軽量発泡コンクリートである。軽量発泡コンクリートは内部にたくさんの気泡を含み、断熱性に富む長所を持つ。
弱点は、気泡があるため表面を防水塗装しておかないと雨水が染みこむことだ。染みこんだ雨水は、複雑な経路をたどって思いもかけないところで室内に姿を見せる。室内に水がしみ出したところの裏側が雨漏り箇所だと断定するわけには行かない。

 「そうか、もう築19年だもんな」

 屋根の葺き替え、外壁の塗り直しを決心した。新車のローンに加えてリフォームのローン。貯蓄というものと縁のない暮らしをしてきた身にはしんどい。しかし、娘の服が収納されている押入に雨水が浸入するのはいただけない。
天井からしたたり落ちる雨水を金ダライで受けた時代ではないのである。雨露がちゃんとしのげなければ住居ではない時代に生きている。

 そこで思考停止していればまだ良かった。ふと思いついたのである。

 「ついでだ。玄関もいっしょにやるか」

 玄関の狭さは、この家を造ったときからの悩みだった。とにかく狭い。上がりかまちの幅が1mもない。靴脱ぎのスペースは1.5平方mというところか。
おまけに、鉄製ドアフレームの足下が錆び始めた。数年前、さびた部分を削り取り、コンクリートで下地を作って、自動車ボディーのへこみを修理するパテで表面を作って再塗装したが、再び錆が浮き始めていた。限界なのである。

 玄関を広くし、ドアを取り替える。これもリフォームローンである。お金を持ち馴れない人間は次のように考える。

 「借りるんだったら、多少増えても一緒じゃん!」

 気楽なものである。かくして、玄関は2倍ほどに広がった。下駄箱も2倍の収容能力を持った。ドアはアルミドアに変わった。しかも、軽く触れればドアキーが自動的に解除され、閉めれば自動的に施錠される電動ロック付きである。朝出勤するとき、外に出てドアを閉めると、ひとりでにジーッ、カシャッといって施錠するドアは、はっきり言って快感である。
時折、玄関ドアに施錠するのを忘れて寝てしまっていた我が家のセキュリティは、格段に向上した、はずである。

 12月
ひらめいた。「島忠」(DIYの店)のチラシを見て、ひらめいてしまった。

 ウッドデッキを作ろう!」

 チラシには、2×4材を1本195で売ると書いてあった。

 我が家の裏には、北側の隣家との間に、幅1.7m、長さ8mほどのスペースがある。とてもじゃないが、庭とは呼べない。文字通り、猫の額ほどのスペースである。
狭いから、使い勝手が悪い。というより、日も差さないスペースだから、使い勝手がない
ついでに書けば、1階の部屋と地面との間に20cmほどの段差がある。人間の心理とは不思議なもので、この段差があるために、部屋から外に出ようとしない。猫の額に行くには、我が敷地内の西側、家とフェンスの間にある幅55cmほどの通路を使う。狭くて通りにくいから、ますます猫の額に足は向かない。
しかも、サラサラの山土が入っているので、雨が降ると土がはねる。はねて家を汚す。アルミサッシの窓を汚す。

 こうした課題を一挙に解決するスーパーウルトラC(古いなあ)が、ウッドデッキの製作であることは、ずいぶん前から気付いていた。が、ウッドデッキとは、結構高価なものである。ちょっとしたもので10数万円、これぐらいはほしいなと思うものは30万円を超したりする。
おおよそ、何かを解決しようということと、解決するための費用には、納得できるバランスがなければいけない。10万円を遙かに超す費用は、明らかにこのバランスを欠いている。

 そこへ、「2×4材、1本195円」である。
100本使ったところで1万9500円ではないか。

 幅1.36m、長さ3.64m、2箇所に手すりがついたウッドデッキを作る。
設計図を書いた。
それによると、2×4材が29本、1×4材が45本必要だという計算になった。1×4材は1本178円である。

 195×29×1.05=5938
 178×45×1.05=8410円

 締めて1万4348円ですむ。消費税込みで、である。外壁の塗り直しで家の外観も一新する。この際、男ならやらずばなるまい。

 さらに設計図の詳細を詰めた。
この猫の額の一部には、コンクリートが打ってあった。いつかタイルでも貼ろうかと思って専門家にやってもらったものだ。それがコンクリートのまま残るのは、美観上はなはだよろしくない。

 ここには、厚さ3cmの煉瓦を敷き詰めることにした。
ここに煉瓦を敷き詰めるのなら、ウッドデッキを支える基礎も煉瓦で作ってやろうと決めた。ついでに、ウッドデッキの周りには、飾り煉瓦を敷き詰めて美観の向上を図る。

 必要な煉瓦は、
 21cm×10cm×6cmが46枚。1枚75円。
 21cm×10cm×3cmが80枚。1枚65円。
 (75×46+65×80)×1.05=9082円

 である。

 このほかに必要なものは、
 手すりに使う2×6材:2本で約1000円
 セメント:25kg×10袋で、約6000円
 材木に塗るペイント:2缶で約6000円
 木ねじ:長さ70mmと38mmそれぞれ1箱で約1000円

 これで全てである。
 14348+9082+1000+6000+6000+1000=37430円

 なんと、市価数十万円のウッドデッキを3万7430円で作る!
いや、市販品にはたぶん基礎の値段は入っていないから、正確には
市価数十万円のウッドデッキを2万2348円で作る!

 作業は、11月29日の土曜日から取りかかった。
まずはレンガを敷き詰め、デッキを乗せる基礎を作る作業である。
デッキの周りの飾りレンガは、まず地面を掘り下げてコンクリートを打ち、1日おいて乾かす。その上に、水につけたレンガにセメントを着けて並べ、上から押さえて並べていく。
凸凹になってはいけないので、端から端に、水平に糸を張ってこの糸の高さに合わせなければならない。
水平をどうやって出す?
再び、我に与えられた天才に感謝する局面が来た。
細いビニールパイプを使ったのである。連続したパイプの中に入った液体の表面は同じ高さを示す。そう、中学で習ったパスカルの原理である。
細くて透明なビールパイプを6m買ってきた。水に入浴剤で色を付け、パイプに吸い込む。吸い込んだら、一方の端を必要な高さに固定する。パイプの反対側を必要な場所に持っていき、水面が下がるのを待つ。余分な水は固定した方から流れ出るから、水面が下がりきったとき、パイプの両端の水面は、同じ高さになっているはずである。

(実録)
妻に、パイプの片方の端を持たせた。私が持っているパイプの水面がなかなか下がらない。おかしいな、パスカルさんも間違うことがあるのかな、と妻の手元を見ると、なんとしっかり押さえつけてパイプをつぶしているではないか!
「馬鹿野郎! おまえは中学を卒業したのか」
と怒鳴ってしまった。
だから、ついつい「愚妻」と書きたくなるわけです、はい。

 飾り煉瓦を並べ終えると、次はすでにあったコンクリートの面に厚さ3cmの煉瓦を張った。コンクリートを水で濡らし(こうすると、着きが良くなるのだそうです)、水につけたレンガにセメントをつけてコンクリート面に押しつけ、水準器を使って少しだけ北側に傾くように並べていく。つまり、雨水を地面に流すための勾配を作ろうというのである。

 次の日は、レンガとレンガの間にできた隙間を、セメントで埋めていく。入るだけセメントを詰め込み、30分ほど放っておいて、水を流しながらたわしで洗ってやると、適当に目地部分が引っ込み、レンガ部分にこぼれ落ちたセメントも洗い流されて美しくなる。

 ここまで来たら、次はデッキが乗る基礎の製作である。この基礎部分だけは、並べたレンガより少し上に出さなければならない。しかも、基礎同士は全て同じ高さになっていなければならない。これもパスカルの原理でクリアした。

(難しかった点)
いやあ、水で練ったセメントって、意外に柔らかいんですねえ。せっかくパスカルの原理で同じ高さにしたはずなのに、しばらくすると少し沈んでしまって、張り渡した糸との間に隙間ができているではありませんか!
煉瓦の重みに耐えかねて、接着用のセメントが横に広がってしまったんですねえ。
まず、基礎の基礎を正確に作っておき、できるだけ少量のセメントでその上にレンガをくっつけてやれば良かった、と気付いたときは、すでに煉瓦は動かなくなっていました。

 土日、土日の作業で、ここまでで6日間かかった。基礎が完成したのは、赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日、12月14日だった。

 いかん、このままでは年内完成がおぼつかない。焦った私は、1日だけ有給休暇を取った。前に書いた、妻が骨折で手術をした日以来の有給休暇である。
休暇を取って、自宅で朝から、材木と格闘し始めた。

 材木のカットは電動丸鋸で、
表面をきれいにするには、例のマルチセルラーホーン作りでも活躍した電動サンダーで、
木ねじを止めるための下穴は電動ドリルで、
水止めの塗料は刷毛で、
と必死に作業を進めたが、電動ドリルと木ねじを使っての組み立てにかかれたのは12月23日、踏み板のねじ止めにかかれたのが27日、全て張り終え、手すりまで完成したのが28日。
着手から完成まで、12日。この間、1日の実働時間は6時間から7時間。夕方になると腕と腰が痛み、ゆっくりと風呂に入ってこわばった筋肉をほぐす日々であった。疲れた

 完成したウッドデッキ。右端に使い残しのセメントの袋が見える。

 ご覧いただいているように、手すりの柱は2×4材を4枚使って作った。最初に3枚をねじ止めしてコの字型にし、基礎フレーム部分にねじで固定した。あいていたのは柱の向かい合う部分で、ここにはまる2枚の2×4材には目隠し板(というのかなあ)をねじ止めしておき、最後に組み合わせた。

 この方が、手すりの全貌が見えるでしょう。多少ぐらつくかと懸念していたが、全くぐらつきはなく、私が寄りかかっても大丈夫である。
付け根部分に見えるのは、飾り板。ここは踏み板がはれない場所、はっても構造上弱くなる場所なので、このような形でごまかした。

 煉瓦で作った基礎。ウッドデッキは合計10個の基礎の上に乗っている。
基礎フレームの上には飾り板が見える。

 デッキの周囲に敷き詰めた飾り煉瓦。

 まさかいらっしゃらないとは思いますが、これを見て自分でもウッドデッキを作ろうと思い立たれた方、いくつかのご注意を。

 2×4材も、1×4材も、がっています。ねじれています。それに気付かずに作業をした私は、最終局面で

 「まあ、この程度ならいいか」

 という妥協をいくつか強いられました。
次回、はもうないでしょうが、もしあったら、曲がっている材木は曲がっていてもいいところへ、ねじれている材木はねじれていてもいいところへ用いるようにしようと思っています。

 蛇足は以上ですが、ねえ、これだけの量を年賀はがきに押し込めるのは無理でしょ?!

 いずれにしても、みなさま、今年も良いお年を!