2005
09.26

とことん合理主義 – 桝谷英哉さんと私 第9回 :君子の下

音らかす

「大新聞が、どうしてこんなバカな記事を書くんでっか」

桝谷さんからの電話をとると、突然、怒声が飛び出した。1994年3月のことだ。

といわれても、何の話かわからない。怒り狂う(といった表現がぴったりだった)桝谷さんをなだめすかして話を聞くと、逆鱗に触れたのはその日の朝日新聞に掲載された投稿原稿だった。
探し出して読んでみた。見出しに、

「CDに隠されていた欠陥」

とある。
読み進むにつれて、私も驚いた。

CDの音には

・一定のピッチ(音の高さ)がなく
・長調・短調の区別が不明確で
・協和音が得られない
・ピッチ異常があるCD音楽に批判が出ないのは、幅のあるCDの音の中から、(聞き手が)先入観として持っている正常なピッチだけを抽出して聞いているからだ。

など、まあ、言ってみれば、CDに対する悪口雑言の類が書き連ねてある。しかも、このような内容を日本音楽教育学会で発表したそうだ。

挙げ句、

「こうした問題が明らかなになった以上、少なくともLPレコードの生産を続けるなどの措置が必要なのではないか」

と結んであった。

桝谷さんはこの記事を見て、怒り心頭に発したのだった。

「あんた、CD聞いてて、そんな変な音を聞いてると思てはりますか?」

― いや、短調、長調もわかるし、和音も美しいですわな。

「もしCDにこんな欠陥があったら、採譜(音楽を楽譜に書き取ること)なんか、でけしまへんやないか。私はね、CDを使って採譜している人をぎょうさん知ってまんねん」

― なるほどね。

「こんな記事読んで、ほなCDよりLPの方が音がいいのかと思い始めるアホが出たら困りますのや」

― 何で困るの?

「私んとこに、こんな記事読んだいうて、おかしなマニアから変な電話がいっぱいかかってきよりまんねん」

― なるほど、それはお困りになるでしょうな。

「こんなアホな記事が出んようにする方法はありまへんやろか」

―まあ、そんな方法は思いつきませんねえ。でも、おかしな主張はいつか必ず否定され、正しい主張が生き残るはずだから心配することはないでしょう。

「そんなことありますかいな。新聞はようけおかしなこと書いてますやないか。それもちっとも修正されてはおりまへんがな」

― うっ、…………。

速射砲である。

「私に憤りをぶつけられてもですね……」

などという暇はない。

(注)
朝日新聞の名誉のために書いておくと、2週間ほどあとに、このおかしな主張を徹底的にやりこめる反論が掲載された。作曲家であり、音響デザイナー(どういう仕事なのか、よくわからないが)という人の投稿で、
「見過ごせない『CD音欠陥論』」
という見出しが付いていた。
この方の仕事のひとつに「採譜」があり、客の依頼でジャズ・ピアノの即興演奏や、スコア(総譜)が失われた合奏曲、声楽曲を譜面に直す仕事をしていらっしゃる。プロフェッショナルである。
こうしたベースの上で、
「(採譜を)依頼されるソースはLPありCDありテープありとさまざまだが、近ごろ圧倒的にCDの比率が高くなってきた。しかし、氏の言われる『先入観』など持ちようもない、何が出てくるか分からない仕事だ。そしてCDはLPやテープ以上に作業が順調に運ぶ。CD以外はアナログ特有の速度偏差や細かい音ゆれがあり、その補正や調整がやっかいだが、CDはピッチが正確で操作も簡単である。採譜作業のための頻繁な反復再生でも、無接触式なので摩滅しないのもありがたい。楽譜として出版された採譜集は四冊を超え、版も重ねている。従って、CDに氏が指摘されるような欠陥がもしあるならば、筆者は楽譜購入者に大変な裏切り行為をしていることになるが、幸い現在までクレームは皆無である」
その後再反論は出なかったようだから、これで論争はけりがついた、と私は思っている。

CDへのいわれのない(私もそう思う)批判に憤った桝谷さんではあるが、CDの方が音が良いと当初から主張していたのでは、もちろんない。

CDの第1号が発売されたのは、1982年のことである。1988年には、CDの売上がLPを上回った。

桝谷さんが自作オーディオの世界にのめり込んだのは、CDが世に出るずっと前、LPの全盛期だった。桝谷さんにとって、音楽はLPか、FM放送をエアチェック(録音することですが、オーディオの世界に足を突っ込んだ人は、ちょっと気取って横文字を使うのです)したテープで聞くものだった。

だから、ということでもないだろうが、あとで登場してきたCDに対して、当初は強烈な嫌悪感を示した。

オーディオマニアが頼りにする本2は1987年に書かれた本だ。この本で桝谷さんは、のっけからCDに喧嘩を売った。

オーディオ屋の店頭に、レコードプレーヤーの数が少なくなった。
世の中、コンパクトディスクの時代。
レコードの方がコンパクトディスクより音が良いことに気付かずに、新しいものはすべてが良いと考えるのをワンパターンと呼ぶ。

なかなか強烈なメッセージである。

さらにページを追うと、

ひとつ、公平な目でCDとLPとを比較してみよう。

ときた。

比較の内容をまとめると、次のようになる。

 CDの良い点

  ・ サイズが小さいので持ち運びが楽
  ・ レコード店では、同じ売り場面積でたくさん陳列できる
  ・ ほこりに強い
  ・ 取り扱いが楽
  ・ 何度かけても、傷むことがない
  ・ レコード店で、(LPに比べて)目的のディスクが取り出しやすい

 CDの問題点

  ・ 家庭での保管に必要な場所はレコードと大差ない
  ・ レコードの方が音が良い
  ・ レコードの方が 2~4割安い

(余談)
確かに、当初はCDの価格は高かった。The Beatles の Abbey Road が、確か3800円もしていた。CDは音が劣化しないので欲しいとは思いながら、この値段ではねえ、と何度も断念したものである。

 LPの弱点とされていることについて

・針がレコードの溝を辿る摩擦音が邪魔
  = カッティング技術の向上、レコードの材料の進化で、ほとんど聞き取れないほど小さくなった
・レコードは傷つきやすい
  = 演奏の時にクリーニングブラシで丁寧に拭き取っている限り、ノイズは出ない

 CDとLPの音の比較

コンパクトディスクは音が確かに良いが、音楽に張りがない。特に弦楽四重奏などは、何度聴いても、レコードの方が生き生きとした音楽を聴かせてくれる
シャルル・デュトア指揮の「シェエラザート」をCDとLPで聴いて。

→ CDの方が、パーカッシブな部分の迫力が欠けている
→ 最初の楽章でのフォルテの部分で、CDの音に張りがない
→ 続いて出る重低音が、LPの方が身体で感じる度合いが大きい
→ ソロのバイオリンでシェエラザートのテーマが最弱音で何度か出るが、 CDの方が若干だが線が細い

(注)
CDとLPの音の比較では、両者の条件を同じにするため、
「時間をかけて両者の出力音圧信号電圧を揃えることにした。誰にでもできる方法に、カセットデッキのディジタルインジケーターがある。四つの楽章の頭の部分の再生音をデッキに入れて、インジケーターの振れを監視する。ついでにピークメモリーをそれぞれノートしておく。その後念のため、リスナーの位置にサウンドレベルメーターを置いて、スピーカーからの再生音の比較チェックをしておくと、より公平なテストができる」
と、まあ、これだけの手間をかけている。
これが桝谷流なのである。
私には真似ができそうもない。

私が初めてCDプレーヤーを買ったのは、1986年か7年のことだった。
職場で、ぼちぼちCDプレーヤーを買ったという話が耳に入り始め、最初は

「LPの方が音がいい」

と頑強に拒んでいたが、The Beatles のレコードがCD化され始め、

「年貢の納めどきか」

と購入を決めた。オーディオ雑誌で評価の高かったM社の製品だった。定価は確か59,800円。

「脅威のコストパフォーマンス」

とかなんとかうたい文句があって、それにコロリといかれてしまった。

だが、それでも新しく買う音楽は、圧倒的にLPの方が多かった。LPの方が安かったし、第一、CDから出てくる音に満足できなかった。おまけに、あれだけ高い評価を受けていたプレーヤーなのに、CDを入れて演奏しようとすると、しばしばプレーヤーが CD を認識せず、何度も入れ直すなど、実に使い勝手が悪かった。
私が桝谷さんと知り合う前、桝谷さんが、

「LPの方が音がいい」

と書いていた頃のことである。

1988年、前にも書いたが、私はクリスキットユーザーになった。
まず買ったのは、プリアンプ。型番はMark8だった。いま販売されているクリスキットのプリアンプ、「MARK8-D」から「-D」を省いた型番である。

(余談)
桝谷さんは、Mark VI まではローマ数字を使い、次の型番からアラビア数字にした。なぜなのだろう?
2本以上の縦棒が付く(7 = 「 VII 」、8 = 「 VIII 」)のがデザインの上からいやだったのかな?

Mark8には、レコードを聴くためのイコライザー基板が入っていた。当然のことながら、入力切り替えスイッチは、一番上が「PHONO」だ。音楽はレコードで聴くもの。それが当時の常識だったともいえる。

だが、時代の流れは速い。それ以上に、技術の進歩は急速である。桝谷さんはこの技術進歩に対しても君子だった。
ある時期から、CD党に鞍替えしたのである。

Mark8には、レコードを聴くためのイコライザー基板が入っていた。当然のことながら、入力切り替えスイッチは、一番上が「PHONO」だ。音楽はレコードで聴くもの。それが当時の常識だったともいえる。

だが、時代の流れは速い。それ以上に、技術の進歩は急速である。桝谷さんはこの技術進歩に対しても君子だった。
ある時期から、CD党に鞍替えしたのである。

(余談)
政党と政治家の離合集散はめまぐるしいですね。野党にいた人がある日、違った政党に入って与党の立場に立つ。一度は離れた与党に、なぜか分からないが戻ってしまう。私なんぞは、何がどうなったか良く理解できなくて頭が混乱しています。みんなはどうなのかなあ……。
ああいうのは、君子とは呼ばないんだよなあ、きっと。「変○漢」と言うのでしょうねえ……。

「オーディオマニアが頼りにする本3」は、1993年に出た。第1章「LPレコードとカートリッジ」は、こんな文章から始まっている。

ここ四年ばかりの間(1993年春)に、コンパクト・ディスクが、ソフト、ハードの両面で、画期的な進歩を遂げたのは、まぎれもない事実で、あらゆる面からみて、もうLPレコードの時代は終わってしまった。

あれほど突き詰めて、テストまでして、LPに軍配をあげていた人が、ソフト、ハードの進歩を素直に認め、突然評価を一転させた。君子でなければ、自分の過去の遺産に引きずられて、これほど劇的に変身できるものではない。真空管からトランジスタに鞍替えしたときと同じである。

前例にならって、この本からLPの短所を拾ってみよう。

 LPの問題点

・ジャケットからレコードを引き出すのに、傷をつけないように神経を使う。いちいちブラシでレコードを拭くのだが、静電気が災いしてなかなか綺麗にほこりが取りきれない。(中略)こんなに神経を使っても、ほんの少しだが、やはり傷がつく。
・レコード店でレコードを選ぶときに、1枚ずつつまみ上げてはストンストンと落とす。大勢の人が繰り返せば、傷がつく。
・レコードに硬い材料を使うと針との摩擦音が出るので、可塑剤を入れて柔らかくしてある。そこに掘られた溝をダイアモンドの針でこするのだから、ちょっとでもほこりがあると傷がつくし、ほこりがないと仮定しても、溝は針で削り取られていく。
・音の波形を全然変えないで、LPレコードの元になるラッカー盤を削っていく刃物の運動に変えることは、理論上不可能だ。
・LPレコードの溝を辿っていくカートリッジの針はボブスレーの橇のようなもので、左右で違った凹凸のある溝の中心を完全に辿っていけるはずがない。
・1本の針でステレオ用に左右2つの壁の信号を辿るのだから、左右お互いに干渉し合わないはずがない。1本の針で、2つの違った信号を拾うこと自体、できない相談だ。
・レコードはイコライザー回路を通らないと再生されないから、ひずみを起こす機会が多い。

オーディオマニアが頼りにする本2と比べると、

「ん?!」

というところもあるが、それはこの間の技術進歩が急速だったからであろう。いずれにしても、桝谷さんは、こうして新しい世界に駒を進めた。

クリスキットの新製品として「Mark8-D」が出たのは、1990年前後だったように記憶している。「-D」とは、DigitalのDだろう。デジタル時代に対応したアンプなのである。
といっても、外観はMark8とほとんど変わらない。変わったのは、入力切り替えスイッチの一番上が、PHONOからCDに変わり、一番下がCDからAUX.になった程度だ。中身も、Mark8からイコライザー基板を取り外し、アッテネータ基板の形と設置場所が少し変わっただけである。

しかも、新製品なのに、価格が4000円ほど下がった

「そりゃあ、部品点数が少のうなったんやから、安うなるのは当たり前やおまへんか」

その「当たり前」が、なかなか通用しないのがいまの世の中なのだが、桝谷さんは、当たり前を当たり前として実行した。

だが、私は「新製品」には関心がなかった。
我が家には、いまでもレコードが500~600枚ほどある。イコライザー基板がなくてレコードが聴けないプリアンプに取り替えたらレコードが聴けなくなる。私の大切な文化資産がゴミと化すではないか。

第一、Mark8は、レコードだけでなく、CDも聴けるのだ。Mark8-Dは、私にとっては無用の長物なのである。

認識が甘かった

「もうレコードは聴かない。CDだけでいい」

という友人にアンプ選択で相談を持ちかけられ、

「だったら、クリスキットにしろよ。レコードは聴かないのならプリはMark8-Dでいい。こちらの方が安いし。俺が作ってやるよ」

という流れで、Mark8-Dを組み立てることになった。

イコライザー基板がなくなった分、ずいぶん作りやすくなっていた。アッテネータ基板と入力切り替えスイッチの間の配線が、何ともリズミカルで、作っていても、出来た物を眺めていても、気分がいい。
本当に驚いたのは、組み立て終わって、テストに音を出してみたときだった。

「あれ?!」

音が、私のMark8よりすっきりしているのである。あれほど綺麗だと思っていたMark8の音なのに、比べてみると、本当の音のまわりに、薄い膜が張り付いているように聞こえてしまう。

「桝谷のオヤジ、作って音が出れば、ちゃんと正常に動くように設計してある、なんて言ってたけど、でたらめじゃあないか。俺のMark8の作り方が、どこか悪かったのに違いない。だから、組み立て終わったばかりのMark8-Dの方が綺麗な音が出てくるんだ」

そう考えた私は、翌日、不信感の固まりになって桝谷さんに電話した。

「あのー、Mark8-Dの方が音がいいんですけど、私、Mark8を作り間違えてませんか?」

「いや、そうですねん。私もびっくりしてるんですわ。イコライザー基板をはずしただけやのに、Mark8-Dの音が信じられんくらいに綺麗になって。イコライザー基板が悪さしてましたんやな。やっぱ、回路はシンプルにせないけまへんな」

Mark III から始まった桝谷さんのプリアンプづくりは、Mark8-Dに至って完成した。従って、LPとCD が混在している家庭では、一番いい音を聴こうとすれば、Mark8と Mark8-Dを揃え、LPを聴くときはMark8を、CDなどを聴くときはMark8-Dを使うようにするしかない。

(余談)
私は、そこまでの根性はなかった。
残念ながら、いまだにない。

「もっと音が良くなるってあり得るんですかね?」

と質問したことがある。

「もう限界ですやろ。これ以上音を良くするには、増幅理論そのもの革命が必要でっしゃろな。光増幅とかね」

Mark8とMark8-Dはしばらくの間併売されていたが、90年代の後半になってMark8は姿を消した。Mark8の注文が激減したためだ。

CDの時代になった、という桝谷さんの主張が、ここでも裏付けられた。

その後、クリスキットのプリアンプは、信号基板についていた半固定抵抗が固定抵抗に変わるなど、ほんの少しの改良はあった。だが、基本的な構造は全く変わっていない。

「いやあ、新しい増幅理論を思いつきましてな。それがあんた、びっくりするほど音が良うなりまして……」

いつか、そんな電話をもらいたいと思っていた。君子ぶりをもう一度見せてもらいたいと思っていた。

それが、叶わぬ夢となってしまった。