07.01
2006年7月1日 朗報
タバコをこよなく愛する方々へ。
朗報があります。まず次の文章をじっくりお読みいただきたい。
タバコは「健康を損なうおそれがある」とされている。
ところが、そう指摘されながら、生命保険に関しては、「愛煙家」も「「非喫煙者」も掛け金は同額なのはどうしてなのか?
じつは、一部の保険会社では、すでに喫煙の有無と健康についての統計をとっているといわれる。しかし、現在のところ「タバコ」と「死」について、医学的見地からみた明確な因果関係が正式には認定されていない。そのため、ヘビースモーカーも生まれてから一度もタバコを吸ったことがない人も同額の保険料となっているのである。
酒についても同じ。酒豪も下戸も生命保険の掛け金は、やはり同額である。
(「裏ネタ全書」=エンサイクロネット/編、光文社)
いかがであろう? ま、文章はお世辞にも上等とはいえない。優れているのは、論の運び方である。
いまやすっかり有害物質扱いされるようになったタバコについて、
「そんなことはないんです!」
と、いくら声高に叫ぼうとも、世間は聞く耳を持たない。禁酒法という稀代の悪法を持った時代のアメリカで、酒の良さを叫ぶようなものである。
こうした現状認識に立って、筆者は説得力のある論の建て方を追求した。その結果として登場したのが生命保険である。
生命保険会社は利益を追求する。ために、特定の疾患を持つ人は、生命保険に加入できない。その疾患を持たない人々に比べて、死亡率が高いからである。ほんの少しばかりの掛け金を払った段階で死ぬ人が続出したら、生命保険会社はたちまちにして倒産する。非情なようだが、それが保険会社の論理だ。
であれば、喫煙者のグループと非喫煙者のグループとを比べて、死亡率に明確な差がある、つまり喫煙は健康に悪く、死期を早める、と証明できれば、保険会社は喜んで喫煙者を保険の対象からはずす。はずさないまでも、掛け金を上げる。
いや、喜ぶか喜ばないかは、この際どうでもよろしい。生命保険会社はその使命として、人の集団の死亡率を冷徹に分析する。保険金の支払いを適正に保つには、死亡率が高いグループに対してはそれなりの対応をせざるを得ない。それが経営の論理である。
その生命保険会社が、喫煙の有無に目をつけた。下心は充分に理解できる。喫煙者のグループの死亡率が高ければ、掛け金を引き上げるか、保険の対象外にするかの対応を取るためである。調査は、恐らく徹底的に行われたに違いない。
それでも、喫煙者を差別するデータが集まらない。簡単に言えば、タバコを吸おうと吸うまいと、死亡率にたいした違いはないのである。
思えば、喫煙者が自らのみでなく、他人の健康を害することも意に介さぬ不遜な連中として蛇蝎のごとく嫌われ始めてから、ずいぶんと時間がたつ。ために、タバコの小売価格が何の理由もなしに引き上げられても、値上げ反対のデモ1つ起きない。
が、生命保険会社の徹底的な調査でも、喫煙には生死を左右するような毒薬成分がないとしたら?
そう、われわれ喫煙者は、いまやいわれなき差別にさらされる、現代の難民なのである。
と、ここまで原稿を書きながら、ハイライトを2本煙にしてしまった……。
昨日の日誌の追加。
以下は、昨夜遅く知ったことである。
「蹴飛ばしても起きないなんて、幸せよね」
わが妻殿が申された。蹴飛ばしても起きない? 我が家の犬のことか? いや、シェルティという犬は神経質なことで知られる。我が家の「リン」も、神経質なことでは人後、いや犬後に落ちない。体にちょいとでも触ろうものなら、すぐに飛び起きる。だとすると、蹴飛ばしたのは誰で、蹴飛ばされたのは誰だ?
「朝の3時半頃に病院から連絡があったから起こしに来たのよ。声かけても起きないから、腹が立って2、3回蹴飛ばしたんだけどね。よく目が覚めないもんだわ」
ということは……。
夜中に、妻に蹴飛ばされる夫。それも知らずに眠り続ける夫。
私が夜中に妻に殺されたら、きっと目が覚めても気がつかないままでいるんだろうなあ。