2007
02.15

2007年2月15日 変化

らかす日誌

目覚めたのは6時24分だった。朝一番の仕事は、愛犬「リン」の散歩である。いつものように服を身につけ、頭髪の寝癖を隠すためにハンチングをかぶって身だしなみを整えた。腰にはウエストバッグを巻く。中には500mlの水が入ったペットボトル、ポケットティッシュ、それに犬用のむだ毛取り器具。散歩の必需品である。

今日は生ゴミの日である。ベランダを見ると、生ゴミと紙ゴミのポリ袋が1つずつあった。二つの袋を下げ、引きヒモとフン取り器を持って玄関に出る。「リン」にヒモを付け、組袋を抱えて戸外に出る。散歩の開始である。

前日の雨で路面がしっとり濡れている。こんな日は鶴見川の堤防道路は避ける。室内で飼っているリンの足が汚れるのはいやだ。それに、いつもよりやや遅い時間のスタートだから、ショートコースを選ばねばならない。

まず、ゴミ捨て場に出向き、ポリ袋2つを捨てた。平安小学校沿いの道を抜けてゴム通りに出る。左折して産業道路方面に向かう。

「リン」が便意を催したのは、平安公園の信号を渡ってからだった。いつものように体を丸め、極めて不自然な姿勢を取りながら排便する。1個、2個、3個……。たっぷりたっぷり。今日は多めである。

終わった。すっきりした顔をしている。さて、出たものを回収しなければならない。路上に放置するのはマナー違反である。私はマナーを遵守する善良な飼い主である。

(反省)
1度だけ、私は性悪な飼い主になった。
「リン」の前に飼っていた「ラリー」(同じくシェットランド・シープドッグ)は、外では絶対に排便、排尿をしない犬だった。すべて、我が屋敷内にしつらえたトイレコーナーですませる。大量のトイレシートが必要で金がかかる。飼い主としてはあまりありがたくないが、言い聞かせても聞く耳を持たないから仕方がない。
楽なのは散歩である。フン取り器などを持参する必要がまったくない。ただただ、一緒に歩けばいい。
その日も、何持たずに歩いていた。足を伸ばして、旧東海道に出た。時間は午前6時過ぎ。初夏の爽やかな日であった。
「ん?!」
「ラリー」が立ち止まった。ある家の玄関先である。立ち止まると、あの独特な態勢を取った。体をこれ以上はないほど丸める、そう、排便スタイルである。
「!!!」
すぐに出た。ドパッと出た。下痢便である。肛門から吹き出された下痢便は地上に落ちても固まる能力を持たず、シミのように路上に広がった。
「!!!!!
これまで一度も、戸外では排便、排尿をしたことがない犬である。私には何の用意もない。どうする?
どうするもこうするもない。まだ6時過ぎである。起きている人はいない。いれば謝罪をして水で流してもらうこともできるが、そのためにわざわざ起こすのも気の毒である。となると、選択肢は1つしかない。
逃げる。
私は念のために周囲を見回した。誰もいない。旧東海道の路上にたつのは、私と「ラリー」のみである。
「行くぞ!」
引きヒモをグイッと引いた。駆けだした。できるだけ早く駆けた。息の続く限り駆けた。鶴見川まで駆けると、左折して堤防道路に入った。もう現場は見えない……。
そうです。あの日、貴方の家の玄関先に下痢便を放置したのは、私が飼っていた「ラリー」なのです。ごめんなさい!
何事にも、万が一に備えた準備が必要であることを思い知った日である。

 善良な飼い主は、飼い犬の糞を回収しなければならない。さてと。????

ない。必要なものがない。フン取り器がない!

仕方なく、ウエストバッグに入れてあるポケットティッシュを出し、1枚抜いてフンを覆い、散らばったフンを寄せ集めた。さらに1枚を抜き出して、上からかぶせた。

「これで持てるか?」

不安だった。3枚目を路上に置き、先の2枚で包んだフンをその上に置いた。そう、私の今朝の散歩は、ティッシュに包まれた犬の糞を手に持ちながらの散歩であった。

それにしても、最も必要な器具を置き忘れて犬の散歩に出るとは……。私のこれまでの歴史ではあり得なかった大ポカである。

そういえば。

昨日の朝だった。いつものようにバスで川崎駅まで出て、JR京浜東北線に乗るべく改札口に急いだ。階段を上り、改札口のあるフロアに出る直前、

「あれっ?」

と不思議な思いにとらわれた。

「俺、どうやってここまで来たのだろう?」

川崎駅でバスを降りて階段で地下街に下り、階段かエスカレーターを使って地上に出て、さらに階段かエスカレーターで改札口のあるフロアまで上がるのが唯一のルートである。私はいつもこのルートをたどる。

バスを降りた記憶はある。地下街に下った覚えもある。ところが、そこから先の記憶がない!

私は、エスカレーターで地上に出たのか? それとも、階段を上ってきたのか?

どう考えても、地下街から、いまいる階段の最上部までの自分の行動が思い起こせない。記憶が部分的に飛んでしまった。

私は、大量の酒を飲んだ翌朝でも、前夜のことはかなり正確に記憶している。自らの言動を正確に記憶しているために自己嫌悪に陥ることもある。それが、昨日に続いての今朝。

私はいま、大きな変化の時期を迎えているのかなぁ?