08.06
2007年8月6日 シリーズ夏・その9 とりあえず
突然だが。
過去の思い出で綴ってきたこのシリーズに「今日」を加えることをお許し願いたい。まあ、8月6日が夏であることは間違いないから、タイトルを裏切る訳ではないが、リズムが変わる違和感をもたれるかも知れない方々へのお断りである。
散々な日だった。
予定では、私は今日午前9時、四日市に向かって車で出発するはずだった。長女宅への妻とのロングドライブである。そして、明日7日は、長女の長男・啓樹を伴って三重県・志摩地方の民宿に向かう。啓樹初の海水浴につき合う、という予定だったのだ。
その予定に合わせて、今日から1週間、夏休みを取った。
躓きの始まりは、昨日午後の長女からの電話だった。啓樹が軽い小児喘息の発作を起こし、救急で治療を受けた。小児喘息は成長を待てば快癒するとはいうが、心が騒ぐ。いずれにしろ、四日市行きは中止である。啓樹を海水浴に連れ出すのは無謀である。私が啓樹のそばにいても役に立つことはない。
昨夕、隣に住む妻の父が救急車で運ばれた。40℃近い熱が出たのだ。87歳の高齢である。免疫力も衰えている。いつ何があってもおかしくない。特にここ数日、うだるような暑さが続いたから、それでなくても衰えている体力がさらなる損傷を受けたのかもしれない。そのまま入院した。
今朝、妻と二人で入院先を訪れた。すぐに担当の医師に呼ばれた。
「痴呆が進んでいますし、徘徊もあります。とりあえず熱は下がりました。入院には耐えられないようなので、退院していただきます」
ナースステーションの隣の部屋に収容された義父は、夜中に徘徊したらしい。いわれてみれば、パジャマのあちこちに血が付いていた。
とりあえずの検査はしたという。体内で炎症が起きているらしい。それも、肝臓から胆管あたりが疑わしいという。衰えた免疫力のせいであろう。
「かかりつけのお医者さんがいらっしゃるということなので、そちらにお願いした方がいいでしょう。ただ、専門病院で検査だけはしてください。どんな結果が出ても、患者さんは入院には耐えられないし、年齢を考えると手術も無理ですが、寿命があとどれくらいあるかはわかります。それで対処するしかないと思います」
ややドライすぎる言い方ではあるが、ここまではっきり言われると、かえってサバサバする。
「その後の治療は町医者に任せてもいいものですか?」
医師は黙って頷いた。それしかないということか。
義父は、私の車に乗って帰宅した。今日昼前のことである。
昼食を終え、パソコンを立ち上げた。たまっていたDVDーRを整理しようと思った。ところが、我が愛機、iMac G5が絶不調に陥った。作業をしていると、突然ディスプレイがブラックアウトする。キーを叩くともとに戻るのだが、10分もすると再びブラックアウトする。数ヶ月前から同じ症状が出ていたが、今日はブラックアウト間の時間が遥かに短くなっている。
「もう終わりか?」
症状からみて、ハードの故障である恐れが大きい。ということは、私ができることは何もないということだ。覚悟を固めてピックアップ&デリバリー修理サービスに電話した。修理費は税込みで4万9350円。それでも新品を買うより安い。
当たりがよかったのであろう。電話に出た担当者は、修理に出す前に、次の3つをやれとアドバイスしてくれた。
1、インストールディスクから起動して、ディスクユーティリティでディスクの検証と修復をする。
2、付属のディスクからアップル・ハードウエア・テストを立ち上げ(立ち上げるときにoptionキーを押し続けるのだそうだ)、テストする。
3、念のため、OSを上書きする。その際、アーカイブしてインストールを選ぶと、設定が引き継がれる。
すべて実行した。 ディスクは問題がなかった。ハードウエアのテストは1時間以上の時間がかかった。結果は「正常」である。念のため、OSを上書きした。
いくつかの不具合が出た。ATOKがどこかに行ってしまった。仕方なく、この原稿は「ことえり」で書いている。ATOKをインストールしなおす必要が生まれた。
フォントがたくさんなくなった。どうしてだろう? これも入れ直さなければならない。
で、パソコン自体は、今のところ問題なく動いている。だから、この原稿が書けている訳だが。
パソコンは、とりあえず目先は正常になった。
啓樹は、とりあえず元気になった。電話をしたら、啓樹の笑い声が聞こえた。
義父は、とりあえず 自宅に戻った。食事をし、いつものように眠っている。
ま、いろんなことがあったようでもあり、とりあえず、すべてが収まることろに収まったようでもあり。
という夏の1日だった。
とりあえず、すべてが復旧したことでよしとしよう。
明日は、次女の子供瑛汰と海水浴に行く予定である。