07.29
2008年7月29日 続シリーズ夏・その7 吐き気
このところ、天気予報がはずれっぱなしだ。関東地方は大気の状態が不安定で突然の豪雨に見舞われる恐れがある、と毎日聞かされるのだが、降らない。
一昨日は、近くの市営プールの幼児用プールで、突然の注意報に出会った。次女の長男、瑛汰を連れて水浴びにいっていたときである。
恐らく、アルバイトの女の子なのだろう。緊張した、というより投げやりな声が場内スピーカーから流れた。この一帯に雷雨注意報(警報だったか?)が出た。状況によっては、プールの利用を中断するかも知れない。
空を見上げた。確かに黒い雲が広がっている。なんだか、ゴロゴロいう音も聞こえたような気がした。
いかん。ここで落雷などにあったら防ぎようがない。
「瑛汰ぁ、雨降りそうだから帰ろうか?」
2歳になったばかりの瑛汰はこの日、2度も1人で飛び込みを試み、そのたびにプールの底に尻をぶつけた。なのに泣き声1つ立てず、水と戯れ続けてもう40分になる。声をかけた時も1人で素潜りを繰り返していた。
最近の瑛汰は知能犯である。あえて大人に叱られることをし、想定通りに叱られて喜んでいる。全体が一種のゲームなのだ。
が、この時は素直だった。
「うん、帰る、おうち、ママ、ママ」
と分かったような分からないような言葉を発して 私の手を掴み、水から出た。更衣室で瑛汰の体を拭き、着替えはさせずにそのまま家に向かった。空は相変わらず暗い。
「これでザッとひと雨来てくれれば、少しは凌ぎやすくなるかも知れないなあ」
と期待した。
以来、今日まで雨は降らない。雷雨注意報はどこに行った? 凌ぎやすさはいつやってくる?
今朝の予報では、この先1週間晴天続きらしい。暑さに耐えるしかない日が続く。
私は飛行機が大好きだった。中でも美しいと思ったのは戦闘機、零戦である。戦争は嫌だ、第2次世界大戦で日本は大変な犯罪を犯した、という気持ちは人並み以上にあった。でも、零戦だけはかっこよかった。
グラマンよりも、スピットファイヤーよりも、ユンカースよりも優美である。しかも、当時としては世界一の性能を誇っていた。日本の美観とに技術力の結晶である。小さなプラモデルを作って飾り(大きいのは買えなかった)、雑誌の口絵の真似をして絵を描いた。憧れの乗り物だった。
どれほど零戦が好きでも、空に憧れても、その日まで、飛行機と名の付くものに乗ったのは、デパートの屋上にある遊具だけだった。ロープでつり下げられた飛行機様のものがぐるぐる回るあれである。操縦桿のない操縦席で飛行機気分を満喫した。
それで満足だった。いつか自分が本当の飛行機に乗る日が来るなど頭の片隅にもなかった。ましてや、飛行機で海外に行くなどあり得ないことだった。戦争に行った大人を除けば、私の周りに外国の土地を踏んだ者はいなかった。そんな時代だった。
羽田から一緒に飛行機に乗った仲間たち9人も、同じだったに違いない。
羽田を出発したのは午前10時頃だったという記憶がある。
飽きずに窓から外を眺め続けた。どこかに見送りの一行がいるはずだが、ここからでは見えない。
飛行機は離陸用の滑走路まで静かに進み、ピタリと止まった。そのままエンジン音が轟音となる。機体はピタリと止まったままだ。
体が突然シートに押しつけられた。飛行機が、くびきから解き放たれたピューマのように疾駆し始めた。窓外の景色がどんどん後ろに流れる。足の下から、ゴトゴトという音と振動が伝わってくる。脚の車輪が勢いよく回っているのだろう。
その音と振動が、フッと消えた。上行きのエレベータに乗っているような浮遊感が続いた。窓に目をやる。世界が傾いている。私は生まれて初めて重力に逆らい、宙に浮いた。
飛行機は急角度で上昇を続け、雲を突き破って上に出た。私は、文字通り「お上りさん」だった。生まれて初めて、雲の上まで上ったのである。浮き浮きしないはずがない。見るものがすべて珍しくないはずがない。
雲海の美しさに息をのんだ。見つめているうちに、沈みゆく太陽の光で一面の雲が茜色に染まり出した。ずっと向こう、雲の端から先は紺碧の空だ。それが、時を追って深みを増し、黒に近付いていく。えっ、もう夜? なんか、損したみたいな。でも、これは綺麗だな。夢中でカメラのシャッターを押した。もちろん、こんなシーンはカラーである。
意図した通りの写真が素人に撮れるのは偶然の産物でしかなく、多くは、なに、これ、という仕上がりにしかならない現実を思い知らされたのは、帰国したあとのことである。
制服に身を包んだスチュワーデスたちも、田舎出の少年の目には天使に見えた。そうか、世の中にはこんな美しい女性たちもいるのか。と思いながらも、我がガールフレンドと引き比べる知恵はまだついていない中学3年生であった。
あの美しかった女性たちはどこへ行った? 飛行機に乗るたびに裏切られた気分になるのは最近の私である。
時間になると機内食が出た。美しいスチュワーデスが私の席まで運び、天使の笑顔を振りまきながら小さなテーブルにセットしてくれる。それだけで、突然王侯貴族になった気になる。
セットされたテーブルを見る。洋食である。ナイフとフォークがついている。ふむふむ、任せなさい。いまや私は、テーブルマナーをキッチリ身につけたlittle gentlemanなのだ。 これしきのことで驚くものではない。よし、まずこの肉を……。美味い!
という食事が出てくることは、飛行機内では絶対にありえないことを知るのは、もっと後のことである。何故あの時は、あれほど美味に感じたのか? 大人になるとは夢と感動をなくすことなのか?
前の座席の背もたれに用意されたパンフレットを眺める。へーっ、俺たち、こんな飛行機に乗ってるんだ。ほう、このコースを飛んでんのか。だとすると今頃このあたりかな?
席を立ってトイレに行く。あー、すっきりした。でも、いま流れていったヤツ、どこに行ったのかな? そのまま機外に捨てて、やがて太平洋に飲み込まれるんだろうか?
何をやっても生まれて初めてである。刺激的なこと、この上ない。
にしても、である。人体のメカニズムとは実に巧妙なものだ。刺激には、まずキチンと反応する。体内ではアドレナリンが分泌され、精神は興奮する。例外はない。
だが、2回、3回と続く同じ刺激は新奇性を徐々に失う。4回、5回、6回となると、だんだん当たり前になり、やがてアドレナリンの分泌も止まる。
そりゃあそうだろう。アドレナリンは
* 運動器官への血液供給増大を引き起こす反応
o 心筋収縮力の上昇
o 心、肝、骨格筋の血管拡張
o 皮膚、粘膜の血管収縮
o 消化管運動低下
* 呼吸におけるガス交換効率の上昇を引き起こす反応
o 気管支平滑筋弛緩
* 感覚器官の感度を上げる反応
o 瞳孔散大
* 痛覚の麻痺
を引き起こすのだ(すべてウィキペディアより)。出っ放しでは体がおかしくなる。刺激に反応しなくなるのは人体の自己防衛だ。
初体験で興奮した空の旅も、1時間、3時間とたつに連れて当たり前になった。こうして初めて空の旅人になるのだが、そうなると、それまで感じなかったものを感じ始める。
(余談)
時折会うからドキドキする男と女になる。毎日会ってれば男と女を超えた同志になる。そんな男女関係も同じである。毎日ドキドキしていたのでは体が持たないところ、仲間になってしまうとそれまで見えなかったものが見えてくるところまでそっくりだ。
空気が臭い。外の空気が吸いたい。最初の興奮が収まると、機内で吸い込む空気が何とも我慢ならなくなってきた。微かに油臭さがある。
といっても、ここは地上数千mの空中である。だったら窓を開けようか、というわけにはいかない。だからといって呼吸を止めるのも不可能だ。臭かろうとどうしようと、一定のリズムで空気を吸い込み、吐き出すしかない。で、吸い込むたびに臭いのだ。
これも生まれて初めてだった。私は酔った。もちろん中学3年生である。酒に酔ったわけではない。スチュワーデスの色香に酔ったわけでもない。バスにも電車にも自転車にも、時折乗る乗用車にも平気だった私が乗り物に酔ったのである。
えっ、俺が乗り物酔い? 嘘だろ、と思いたい。だが、吐き気がする。頭が重い。気分が悪い。普通の空気が吸えればすぐに治るはず。そう思うが、普通の空気が吸えない旅がまだまだ続く。
私を色香で酔わせることに失敗したスチュワーデスを呼んだ。症状を話すと、嘔吐物を受ける袋をくれた。いざとなったら、この中に戻しちゃいなさい。そうすりゃスッキリするわよ。
シートの背もたれを倒し、目をつむった。むかつきは続く。こうなると人間は目先のことしか考えられない。
早く到着しろ。早く地上に降りろ。早く、早く……。
我々の乗った飛行機は、一路ハワイを目指していた。給油のためである。この時ばかりは、一挙にサンフランシスコへ飛んでいけない飛行機の航続距離の短かさが神の恵みに思えた。
飛行機は闇を突いて跳び続けた。