09.15
2008年9月15日 入院初日
予告通り、本日妻が入院した。前回の日誌から今日まで、様々なことがあった。が、日々の報告はできなかった。その事情は後に記す。とりあえず、今日を振り返る。
「午後1時までに行かなきゃいけないのよ」
と妻は言っていた。これが本日のスケジュールの大前提だった。
「だから、自宅でお昼をしている暇はないから、『火の国』でいいよね」
火の国とは、近くにある九州ラーメンの店である。かつては極上の豚骨ラーメンを出していた。オヤジの加齢とともに味は低下傾向にある。だがそれでも、グルメガイドに惹かれて食べ歩いたラーメンで、ここを上回る味を体験したことがない。火の国、腐っても鯛である。
私に異論はない。1時までに、であれば、火の国には11時半に行くのが適当だと判断した。なにしろ、妻の入院には私だけでなく、次女、そして瑛汰が同行する。瑛汰の食べる速度を考えれば、それより遅れてはならない。
次女と瑛汰は11時15分頃やってきた。瑛汰がはまっている「I am a singer」 をブルーレイで1回だけ再生し、瑛汰の歌と振り付けを鑑賞して我々は火の国に向かった。
ここで特筆すべきことは別にない。午前11時半の昼食に私はチャンポンを頼み、次女と瑛汰もチャンポンを食べた。妻はラーメンにした。それだけのことである。
その足で済生会横浜市東部病院に向かった。着いたのは正午を20分ほど回っていた。ここで、最初の齟齬が顔を出す。
午後1時までにはいる。日本語をそのままに理解すれば、入院の受付は、朝のとある時間から午後1時まで、ということである。午後1時に遅れても入院を拒否されることはなかろうが、一部入院患者が遅れては病院事務に迷惑をかける。これから2週間お世話になる病院に、最初から迷惑をかけるのは患者としては避けなければならない。何しろ相手は生殺与奪の権を握っている病院のだ。
という意味である。私はこのように解釈してスケジュールを決めた。病院に到着して、妻の言葉をそのまま受け止めた愚を知った。
「はい、1時になったらお呼びしますので、それまでお待ち下さい。どこかにお出かけになるのでしたら午後1時少し前までにお戻り下さい」
何のことはない。午後1時までに行かねばならないのではなかった。午後1時に行かねばならないのだった。まで、があるのとないのとでは大違いである。
おかげで、40分も待ち時間ができた。ま、長年付き合った妻である。この程度のことで動揺する私ではない。
病院のロビーで待った、午後1時を。妻と次女と瑛汰は、病院の探検に出かけた。私は荷物の張り番である。ソファに寝転がって待った。こんなことなら、本の1冊でも持ってくればよかった。が、直ちに病室に入れると思っていたから準備はない。荷物の張り番をしながら、できることは妄想だけである。思いはいつか……。いや、この話は別の機会にする。
妻と次女と瑛汰が戻った。やがて午後1時になった。何も起きない。今日入院すると思しき人々とその家族が、所在なげにロビーで待っている。瑛汰を含めた子供たちが、ロビーを所狭しと走り回る。そうか、みんな狭い家に住んでいるんだなあ。このロビー、広いもんな。走れ、走れ!
1時5分になった。何も起きない。
「おい、どうなってんだって聞いて来いよ」
と私がいっても、妻も次女も動かない。私に亭主の権威はない。それに、私が問い合わせに行くと喧嘩腰になりそうなので私も動かない。
1時7分、ころころ太った事務の女性がロビーに姿を現した。
「7階にご入院の方、ご案内します」
妻が動いた。
「あのう、8階に入院するんですけど」
8階担当が来るまで待てといわれて引き上げてきた。
待った。待ちながら、私の神経は時計の秒針とともに苛立った。
1時に来いといわれたから来たのである。1時に来いといったヤツが、どうして1時に待っていない? 病院って、サービス業だろ? 約束の時間、いや、テメエが約束させた時間ぐらい守れよ!
8階担当のおばさんが姿を現したのは1時15分であった。これならば、自宅で食事をしても十分に間に合う時間である。自分で言った時間に15分も遅れてきて、わびの1つもあるかと思ったが、何もない。どうせ昼飯を食いながら同僚とくだらないうわさ話でもしてたんじゃないの? で、時計を見たら1時15分。
「いいのよ、これくらい遅れても。どうせ相手は患者だもの」
いいか、よく聴け。そんな心がけだと、この病院、遅かれ早かれ医療事故を起こすぞ。経営がどうしようもなくなるぞ!
8階の入院患者は3人いた。8階まで案内したおばさんが言った。
「どなたが早く来たのか分からないので、名簿に書いてある順に病室までご案内します」
おいおい、敬語の使い方が違ってるっての! それに、早く来た順に案内しようと思えば、やってできないことではないだろ? 病院に着いた時に受け付けで書類に書き込ませればすむ話じゃないか。単に、あんたたちが何もやってないっていうだけのことだろ? 多分、俺たちが一番早く来たと思うんだが。
なのに、我々は最後まで遺された。
こうしてイライラが募った。
イライラが募ると判断も正常ではなくなる。このおばさん、よく言えば説明が丁寧、悪く言えばくどい。
「こちらに飲料の自動販売機がございまして、テレビカードはこちらでお買いあげになっていただけます」
そんなことは、さっきから待たされ続けている間に、すべて分かってんだよ。さっさと病室に案内しろよ! そもそもこんなこと、紙1枚にプリントして患者に渡せば済むことだろ? 俺たち、日本語はちゃんと読めるんだぜ!
という次第で、妻を病室に送り込んだ。瑛汰は
「バーバ、行こ!」
と何度も叫んでいたが、それは無理である。これからバーバは 点滴で血流を改善し、様子を見ながら、必要なら手術をするのである。
で、自宅に戻ったのは午後2時を過ぎていた。
私がイライラした原因は2つある。
1つは、同行した瑛汰の昼寝時間である。幼いころは寝なくて困った瑛汰だが、最近は寝付きが極めていい。我が家で昼飯を食べていて、食べ終わると
「ねんねしたい」
という。おおむね午後1時前である。午後1時は瑛汰の昼寝タイムなのだ。それを、この病院の事務が引っかき回した。
おい、瑛汰の昼寝タイムをどうしてくれるんだ?
2つ目は私の問題である。腰が痛いのだ。これが、日々の報告ができなかった原因である。
腰の不調は、7日の「朝風呂」でご報告した。たいしたことはないと思っていたが、先週金曜日12日からにわかに悪化した。椅子に座っているのが辛い。歩くにも、腰に気を遣わねば痛みが走る。ここまで来たら安静にするにしくはない。
が、悪いことに、この日は夜の飲み会が入っていた。こちらからお願いし、これからの仕事の展開になくてはならない飲み会である。やむなく、「小菊」に出かけた。
飲んでいるうちは、腰の不快感など忘れてしまうものだ。だが、その付けは翌朝出る。
連休初日の13日、朝風呂に入った。昼前に、近くの整体に行った。戻って昼食の後、瑛汰と昼寝をした。立っているより、座っているより、横になっていた方が楽なのだ。
夕刻、愛犬の散歩には次女が行った。私は再び風呂を沸かし、40分腰を浸した。瑛汰も一緒に入ったが、私はもっぱら腰を温めた。
14日、朝風呂に入った。車に妻を乗せ、次女と瑛汰を拾って川崎に買い物に行った。腰の具合は相変わらずだが、それをいっては暮らしが成り立たない。できるだけ腰に負担がかからないように車に乗り降りする。こういう時は、オープンカーが欲しくなる。
さいか屋で買い物を済まし、その足でヤマダ電機に向かった。電気炊飯器を買わなければならない。すべて買いそろえ、自宅に戻ってカタ焼きそばで昼食。腰の不快感は抜けず、昼食後整体。夕方、再び腰湯。
で、不快感はだいぶ取れた。ああ、よかったと思って寝た。
そして今日である。朝目覚めると、不快感が戻っていた。とにかく、階段を下りても腰に響く。愛犬が糞をすると、完全に足を折りたたまないと糞を回収できない。愛犬が急に向きを変えると腰に響く。
一番腰に楽なのは、横になることである。立っているのは辛い。椅子に座っていると腰に疲労がたまるのが自覚できる。
このような状態で、日誌を書けるはずもない……。
このような状態で妻を病院に送った。時間の遅れに対する苛立ちの一端がご理解いただけたであろうか。私は病院で、ソファに寝っ転がって腰を休めていたのである。休めながら、一刻も早く整体に行きたいと願い続けていたのである。
で、本日、独身生活1日目。
次女と瑛汰がずっといた。瑛汰は相変わらず「I am your singer」 に一点集中し、テレビを見ながらマイクを握りしめ、フリをつけて踊る。
次女の旦那がやってきて、夕食を一緒に取った。妻が作る夕食に比べ、食卓に並ぶ料理は半分。これでは、飲みたいだけのビールが飲めない。
ま、いいか。次女は私のメタボを気にしていてくれるのである。だから、作れる料理も作らず、極めて限られて料理しか出さなかった。実に親思いの娘だ。
旦那が、もう少し食べたいといったら、チキンラーメンを出していたが……。
というわけで、独身1日目は、あまり独身を意識しできない日であった。
我が楽しき独身生活は明日から始まるはずである。ルンルン!
と腰を振ったら電気が走った。あ、そうか。楽しくするには、腰を治さなくてはなあ。