01.08
2009年1月8日 私と暮らした車たち・その22 ベンツC200の4
真新しいベンツC200が我が家の駐車場に鎮座する。カーナビさえつかない、オプションゼロのスッピンのベンツでも、悪い気分がするはずはない。40万円引きで買ったなんて誰も知らないのだ。
「そうか、俺もベンツオーナーか……」
よくよく考えれば、これより高い国産車だってたくさんある。ホンダのNSXなんて800万円以上したし、スカイラインGTRだってはるかに高い。そんな特殊な車は除外しても、ちょいとハイグレードなクラウンも、このベンツC200より高いのだ。
では、高額な国産車を買ってこの気分が味わえるか? 味わえる人がいるから売れるのだろうが、私はその仲間ではない。
なんてったって、ベンツなのだ!
その気分は、家族の全員が共有したらしい。変化率が最も大きかったのは妻である。
それまでの妻にとって車とは、4つのタイヤに支えられた鉄の箱にすぎなかった。この鉄の箱はなかなか便利で、ドアを開けてシートに座って目的地を告げると、運転席に座った男が間違いなく運んでくれる。彼女にとって重要なのは、A点からB点まで座ったまま楽に移動することで、その箱にどんな名前が付いているかにはまったく関心がなかった。
恐らく、
「男って変。車の機能ってみんな同じなのに、あれがいいとかこれがいいとか騒ぐのかしら」
とでも考えていたのに違いない。
その妻が、車の名前を覚えた。ベンツC200で外出すると、
「あ、ベンツが来たわよ。うちのと一緒ね」
「あのベンツ、ライトが4つもある」
「京町商店街に買い物に行ったら、凄いベンツが止まってた。高いんでしょうね」
と、車を話題にし始めた。そして話題は、
「あのうち、BMWを買ったみたいよ」
「BMWの赤って可愛い!」
という具合に広がった。これまではどれを見ても似たり寄ったりの鉄の箱にしか見えなかったものに、それぞれ名前と個性があることに初めて気がついたらしいのである。
もっとも彼女のメモリーは、ベンツとBMWを記憶したところで容量を使い切ったらしく、いまだにその他の車は単なる鉄の箱にしか見えていないようだが。
ベンツを敬遠していた長女も変わった。
「お父さん、今日車借りていい? 大学の友達と出かけたいところがあるんだけど」
ん? 20歳前後の小娘がベンツのハンドルを握る?
「お前、ベンツに乗るのは嫌だったんじゃないのか?」
「だってしょうがないでしょう。うちにはこれしか車はないんだから」
だったら、友達のうちの車を使えばいいじゃないか、とまでは追求しなかった。長女もベンツを運転してみたくなってのに違いないのである。
そのうち、大胆な意見を履くようになった。
「せっかくだったら、4つ目のベンツの方が良かったな。格好いいし」
おいおい、あれはEクラスといってな、ベンツC200に比べると安い物でも値段は2倍するんだぞ。買えるわけないだろう。お前たち全員が国立大学に入っていれば、ひょっとしたら買えたかも知れないが。
と言い返したいのをグッと我慢をした。
いずれにしても、瞬く間にベンツC200は我が家にとけ込んだ。全員が満足した。家族の幸せとは、その程度のお金で買える物なのかも知れない。
その幸せに最初に傷を付けたのは長男である。
「お父さん、今日バスケの練習なんだけど、ベンツ借りていいかな」
すでにゴルフワゴンの単独オーナーになっていた長男が声を掛けてきたのは、我が家にベンツC200が到着して間もないころだった。高校でバスケット部に所属した長男は、卒業して5年もたつのに昔の仲間と定期的に練習し、他校のOBたちとの試合を楽しんでいた。練習は夜、高校の体育館でする。
「いいけど、俺はこの車に15年乗るつもりだから大事に運転しろよ」
「分かってるって」
無論、その時点では分かっていたのだろう。傷つけようと思って車のハンドルを握るヤツはいない。問題は、分かっていることが、時として実行できないことである。人間、一寸先は闇の世界で生きているのだ。
11時頃玄関のドアが開く音がした。2階の茶の間に上がってきた長男が口を開いた。
「あのさあ……」
私はこの時点で、すでに23年以上もこの男の親父を続けていた。継続とは恐ろしいものである。ほんの一言聞いただけで、その後の話の展開が読める。
「ぶつけたのか?」
そして嫌なことに、この読みが的中するのである。
「いや、校庭が暗くてさ、大丈夫たと思ってバックしてたら、そこに何か置いてあったみたいで……」
「酷く、か?」
「いや、後ろのバンパーをほんの少し……」
駐車場まで降りて傷を見た。暗くてよく分からなかった。
「お前、あれほどいったのに。明日の朝見てみるわ」
「ごめん」
ごめんで済めば警察はいらない。だが、警察に電話をするのも、この段階では大げさである。
翌朝、明るい光のもとで傷を見た。リアバンパーに数カ所、白くなったところがあった。ここらしい。凹みはない。バンパーは樹脂製だから錆びる心配もない。修理に出すまでもないと判断した。
でもなあ、買ったばかりの、これから5年間もローンを払い続けるベンツC200に、もう傷ができたのかよ。とほほ……。
次の傷は、右後輪のタイヤハウスの前部だった。何かにこすったらしく、大小の白い傷がついていた。少し凹みもある。犯人は私ではなかったと思う。とすると、長女か? 定かな記憶はない。ここは金属だ。放っておけば錆びる危険がある。塗料を買ってきて傷を隠した。
まあ、車とは所詮道具である。道具は使えば必ず傷ができる。仕方ない事とも言えるが……。
さて、肝心のベンツC200の乗り心地である。
決して速い車ではない。出足がいいわけでもなく、追い越し時の加速が素晴らしいわけでもない。
静かな車でもない。エンジンをかけると、停車していてもエンジンの振動が微かにハンドルを揺らす。ん? これで高級車か? と思ったこともある。高速で時速100 km を超えると、結構な風切り音もする。 少しボリュームを上げないと音楽が聞こえなくなる。
内装はあくまで質素だ。どこにも豪華さを感じさせるものはない。ハンドルにベンツのシンボルマーク、スリーポインテッドスターが輝くのが、唯一の例外である。
では、何がいいのか?
とにかく楽なのだ。これ以上ないほどリラックスして運転できる。この楽さは、あのゴルフに比べても別世界のものだ。
やや大きめの、実にできのいいシートは体をしっかり支えててくれる。決して力があるとはいえないエンジンだが、アクセルでの制御は楽である。踏んだ分だけモリモリと力を出す。高速での安定性も素晴らしい。ハンドルは、切った分だけ正確に方向を変えてくれる。運転していて、ヒヤッとすることがほとんどない。
実にいい車なのだ。
先輩に誘われて、山形県舟形町まで蜜蝋作りに出かけた。片道500kmほどのドライブである。1泊2日の旅だが、これがまったく苦痛ではない。
仕事で岐阜まで出かけた。デジキャス時代のことである。同行は、あの H氏。 これも1泊2日で、当然私がずっと運転した。助手席から聞こえてくる騒音(話し声)を除けば、まったく苦痛ではない。
必要にして充分。これ以下は嫌だけど、これ以上は必要ないね。
それが40万円引きのベンツC200だった。
だが、トラブルはあった。それは車からではなく、人間系、いや正確にいうとビジネス系からやってきた。
次回はベンツC200を巡るトラブルの話である。
と、ここまで書いて終えるつもりだったが、もう1つだけ書きたくなった。ベンツC200とはほとんど関係ないが、ベンツC200に乗っていた時のエピソードである。ほかの場所では書けそうにないのである。
どうしても書きたい、私の心を温かくしてくれた出来事である。
その日、私は長女を伴ってDUOに向かった。フォルクスワーゲンゴルフの新車を見てみようというのである。当時、私はベンツC200に完全に満足していた。なのに、何故そんなことを思いついたのか? いまとなっては謎だが、とにかく川崎の国道15線沿いにあるDUOにベンツC200を滑り込ませた。
店内にはゴルフとアウディの新車が展示してあった。運転席のドアを開けて中を覗く。どちらの車両も銀色にメッキされたパーツの使用が目立った。はっきり言って、下品である。
「質実剛健が売りだったワーゲンも、こんな車を作るようになったか」
そんな評価を下しかけた時だった。
「お車をお探しですか?」
どこから現れたのか、販売員が後ろに立っていた。30前後のお兄ちゃんだった。
「いや、新車が出たというんで見に来ただけなんだけど。まだ車を買い換える予定はないし、今日はとりあえず見るだけだよ」
ここで、我々を「買う気がない客」と認定して解放しておけば、このお兄ちゃんが失敗することはなかった。ところが、今年ではなくても1年後、2年後の客と見込んだのか、お兄ちゃんは執拗だった。
「そうですか。ゴルフは世界中の車の標準ですからね。今度のゴルフも、間違いなくよくできてますよ。ご試乗されませんか?」
繰り返す。ここでよしておけば、お兄ちゃんがドギマギすることはなかった。だがこのお兄ちゃん、自分が崖っぷちにいるという自覚がなかった。営業第一で視野凶作に陥っていたのか、崖っぷちから1歩を踏み出してしまったのである。
「奥様、いかがですか?」
その瞬間、空気が凍った。長女が膨れた。
思い出して頂きたい。我々は2人連れである。私の横に立って奥様といわれたのは、まだ大学生の長女なのである。
ついでながら、長女は私が27歳の時に生まれた。
その長女がムッとした顔をした。俺、知ーらない、っと。この娘、怒ると怖いぞ!
まったくドジなお兄ちゃんである。だが、如何にドジでも、やばいことを言ってしまった、ということだけは理解できたらしい。
お兄ちゃんは、健気にもリカバリーショットを繰り出した。
「あ、あ、これは失礼しました。申し訳ありません。奥様ではなく、妹さんですよね。ご試乗いかがですか?」
私はそれからずいぶん長い間、気分がよかった。20歳を出たばかりの長女が私の妻に見えた。私の妹に見えた。ということは?
知人、友人にこのエピソードを吹聴した。私のルンルン気分は相当長い間続いた。
その期間、長女は苦々しい気分で居続けたであろうことは容易に想像できるが、まあ、いい。私は気分がよかったのである。
というわけで、ベンツC200の話は次回に続く。