02.20
2011年2月20日 世界、って
昨日予告したとおり、今日は朝から電動アシスト自転車にまたがり、上毛電鉄の電車に自転車を積み込んで前橋まで赴いて映画を見てきた。
大森一樹脚本・監督 「世界のどこにでもある、場所」
の試写会であった。
桐生市にある桐生が岡遊園地・動物園でロケをした映画ということで、桐生市から駆けつけた我々も見せていただけるという趣向であったらしい。
26日から一般公開されるとのことだから、関心を持たれた向きは、地元の映画館でやっているかどうかお確かめの上、明日を向けられたらよろしい。
ただし、私はお奨めしない。
群像劇、と言う触れ込みである。
確かに、様々な人たちが出てくる。
・年間数千間円円の所得がある投資アドバイザーだったのに、最終的に失敗し、故郷(前橋市?)に戻って、架空の投資話を駆使しする詐欺師に身を落とし、ついには警察とヤクザに追われる身になったお兄ちゃん
・息子が人を殺し、だけど息子を助けたくて、人間を踏み殺したこの動物園のゾウはに罪を問われないのに、息子はどうして罪に問われねばならないのかと地団駄踏むおばちゃん
・患者遺族の願いで延命装置を外したのに、後にその遺族に訴えられて人間不信に陥った医者
・養子も歌唱力も自分の方が上なのに、面接官と寝た女がオーディションに通ったと、世の理不尽さに恨みを持つ女
・映画監督に、君には才能があると甘い言葉をかけられて身を任せ、日本までやってきた挙げ句に捨てられたタイ(だったと思う)の3流女優
・14億の資産を持ち、妻ではない女に子供を産ませた挙げ句に痴呆症に陥ったじっちゃん
・動物の言葉を理解できるというお兄ちゃん
・ニューヨーク、9.11のテロで職場の仲間を全員失い、動物園に行っていた自分だけが助かったことに強い罪悪感を持ち続ける元銀行員
・企業、官僚、政治家が絡んだ汚職を暴いたのはいいけれど、世の中は何も変わらず、逆に脅迫を受けるようになって家族が崩壊した新聞記者
ついには、
・モンスターペアレンツならぬモンスターチルドレンに悩まされ、口で言っても生徒は変わらない、殴りつけたら暴力教師になってしまうと悩んだ挙げ句、仕事が出来なくなった教師
まで出てくる。桐生市の小学校で起きた自殺事件、その後の親の対応を大森監督が事前に知っていたわけでもなかろうが。
で、この人たち全員の頭のねじが、それぞれ数本ずつなくなっている。そんな人たちが、桐生が岡遊園地・動物園に集結してドタバタ動き回るのである。
だから、テーマは多彩だ。現代社会が抱える問題の展覧会といってもいい。
でもね、並べりゃいいってもんでもないでしょ? 並べられているのはテーマの写真だけで、広がりも奥行きもない。解説の文書も添えられていないんだから。
そりゃあそうである。どのテーマも突き詰めようとしてもなかなか回答にたどり着かない難しいものばかりで、それぞれで1本ずつの映画になる。そんなものが、わずか97分の映画に散りばめられるのだから、観客は振り回されて目が回る。めまいから覚めると、全く変わることなくもといた場所にいる自分を発見するだけである。
おいおい、これって
「俺って、こんなに多面的に、いまの世界の問題と、現代に生きる人間の課題を考え続けているんだぜ。凄いだろう! 俺って、世界中の課題を引き受けるインテリなんだぜ!!」
って自慢したい映画なのか?
考えたって、解決策を示せなきゃ、社会的には何の意味もないんだけどね。
私の評価はこうだ。
「こんな映画を公開されたら、桐生って町には。こんな変なヤツらしかいないのか? って、見た人がビビるんじゃない?」
困ったものである。
昼食は、リゾットの上に豚肉が乗せてあった。
リゾットなるもの、ほとんど食べたことがないので、これが美味いものかどうかの判断はしないことにする。が、上に乗せてあった豚肉は、湯がいたのだろうか、それとも蒸したのであろうか、ほとんど豚の味がしないまでの処理がしてあった。柔らかくて口当たりはいいが、味わいがないのはノーサンキューである。
という1日だった。
午後3時頃自宅に戻り、ギターの練習を始めたら、再選を目指す市会議員がやってきた。招じあげて1時間半ほど話し込んだ。
なるほど、統一地方選は目前である。
そうそう、ギター。
Layla
のアコースティックバージョンがほぼ弾けるようになった。次は、ギター伴奏に合わせて歌わねばならないが、これ、ヴォーカルの最初の音が極めて取りにくい。前奏のキーから半音下がって始まるのである。
クラプトン、ただ者ではない。
自分でギターを持って、弾いて、歌おうとして、初めて分かるクラプトン音楽の秘密である。