04.15
2011年4月15日 流言飛語
と昨日書いたら、それを妻殿に告げた娘から電話を受けた。
「ネットのニュースで見たんだって」
それを受けて、検索してみた。なるほど、あった。例えば、「YAHOO! 知恵袋」である。
「○○さん(原文には実名があるが、私は意図的にカットしている)の家族は逃げましたか?」
これが質問である。京都大学の入学試験問題ではない。
まあ、どこかにこんな話が出ているのであろう。だから質問してみた。ここまではいい。
だが、「ベストアンサー」なるものに選ばれた回答は、ひどいのひと言である。
「下記のような記事があります。
★○○の家族が震災後シンガポールにきて、地元大騒ぎ。
○○の嫁と子供が震災後、シンガポールにいるという。
日本人社会は『○○はあんなこと言っているけど、やっぱり危険なんだ!』と大騒ぎ。
『こっちではすごい話題になってますよ(シンガポール地元民)』という。
どっちにしろ、○○民主党は信用されてないって事だ。
・・・あとは週刊誌に任せました。新聞でもいけますね。
これで民主党政権は完全終了した。
『○○はがんばっている』なんていうバカがいたが、あんなもの、原稿を棒読みしているだけだ。
家に帰ったとか帰ってないとかつまらない報道もあったな・・・まだ生きて至れるだけ御の字じゃないか。
人殺し総理の右腕なんだから」
下劣な書き込みである。
まず、「下記のような記事」と書きながら、出典が一切明示されていない。その記事を掲載したのは、日本の新聞なのか、現地の新聞なのか、あるいは週刊誌か(現地に週刊誌があるかどうかは知らないが)。
出典が明らかでない情報は、まず疑ってかかるのが常識である。
その出典不明の記事が、また信用ならない。
「○○の家族が震災後シンガポールにきて、地元大騒ぎ」
と書いてあるが、その一行が○○の家族であることを、誰がどのように確認したのか? ○○は著名人であっても、○○の家族は著名ではない。私なんぞ、○○に家族がいることも知らなければ、顔も見たことはない。そんな人たちを一目見て、
「あれは○○の女房と子供だ!」
って判断できる人がシンガポールに住んでいるというのか?
もし、である。もし、○○の家族がシンガポールに本当に逃げていたとしよう。その場合、子供は別として、少なくとも妻女は、自分たちだけが日本の逃れ出たことに後ろめたさがあるはずである。さらに、この地で自分の存在が確認されれば、政治家である夫の評判が地に落ちることも充分承知しているはずだ。
という、ごく普通の常識を持ち合わせていれば、もし万が一逃げていたとしても、自分であることを知られないよう、少なくともサングラスとマスクで顔を隠す、程度のことはするはずだ。
それでも、現地で確認されたってか?
可能性はゼロではない。だが、限りなくゼロに近い可能性であることは間違いない。
後半を読むと、書き込みをした人物の品格が知れる。「バカ」「棒読み」「人殺し」。過激な単語が連なる。過激な言葉で何かを語ろうとする人は、自分に自信がない人である。意図的に嘘をつこうとしている人、ともいえる。
何かを批判するとき、批判する側は限りなく冷静でなければならない。冷静に、己の批判が世に耐えるかどうかを見つめなければならない。批判は、必ず反批判を呼び起こすものである。それにも耐えられる強靱な論理性がなければ、批判は有効ではない。
だから、肺腑に刺さる批判は、冷静な言葉で行われる。過激な言葉が踊る批判は単なる鬱憤晴らしであり、有効性はない。
この人、ハンドルネームはblissmansionとおっしゃるらしいが、恐らく、お友達が少なく、友人と論理を戦わせることもないために自分の世界に閉じこもり、自分の考えたことだけが正しいと思い込むに至った幸せな人であるのに違いない。
1日のほとんどをパソコンの前で過ごし、日暮らし「YAHOO! 知恵袋」をにらみつける。自分で書き込めそうな話題を発見すると、直ちにキーボーをたたく。今回のようにベストアンサーに選ばれた日は、一人で祝杯を挙げているのではないか。
胸を冷たい秋風が吹き抜けるような心象風景である。
にしてもだ。これをベストアンサーに選ぶ「YAHOO! 知恵袋」って、いったい何だ?
啓樹と瑛汰に送った東西飯店の餃子は、昨日無事についたようだ。啓樹は
「僕しゃ、15個食べた!」
と電話でいってきた。うん、沢山食べて大きくなれ!
瑛汰は、
「10個食べたんだけど、啓樹に負けちゃった。ママが10個しか焼いてくれなかったから」
やっと、ギター演奏に自分のヴォーカルが乗るようになってきた。
Tears in Heaven
Layla
は、何とか弾きながら声を出せるまでになった。
Old Love
は、目下練習中である。声も乗らないし、そもそも、ギターソロが難題で、指がついていかない。
まあ、ボチボチやるっきゃないか。