2011
06.03

2011年6月3日 いやはや

らかす日誌

下品な形容詞を沢山使った朝日新聞の記事をこき下ろしたのは、昨日の日誌であった。筆者の気分が高まるまま、高まった気分を何とか表現したいと思うと、人は往々にして過激な、下品な形容詞に頼ってしまう。
だが、頼れば頼るほど、読者に見抜かれてしまうのが落ちである。

「まあまあ、そんなにカッカしないで。あんたがカッカしている分だけ、あんたが何をいいたいのかよく分からない文章になっているんだけど」

そう、気持ちが高ぶれば高ぶるほど、己の怒りを読者の怒りにしてもらうため、冷静な文章を丁寧に書き連ねていくことが物書きに求められることなのである。

とはわきまえてはいるものの、今日の私は過激な形容詞を使いたくてたまらない。

変節菅!(スペースキーを押したら、「漢」の代わりに、この「菅」が出た。パソコンも私の気持ちが分かるらしい)
二枚舌!
 嘘つき!
 ペテン師!
 人間のくず!(ビッグコミックの漫画ではありません、念のため)
お前の母ちゃんでべそ!

やめよう。こんな形容詞をいくら連ねたところで、気分は晴れない。

 

しかし、驚いた。菅直人という男の言葉は羽毛のように軽い。
内閣不信任案が可決されそうな雲行きの中、涙目で訴えたことを、不信任案が否決されると、臆面もなくにこやかに撤回する。

「公約を守らなかったことはたいしたことではない」

と言ってのけたのは、元首相の小泉純一郎である。
ははあ、政治家の言葉というのはその程度のものか、というのは多くの国民が思い知らされたところである。だが、それに比べても、菅直人の変わり身は、言葉の軽さは際立つ。

だって、僕、辞める気全然ないんだもん。それなのに、みんなが辞めろ辞めろっていうから、僕、どうしたら辞めなくてすむか考えたんだ。
ほら、僕、理系でしょ。理系って厳密な世界でね。理系の世界では1+1は2にしかならない。だけど、言葉に頼る文系の世界なんて極めて曖昧なもんじゃない。1+1を、1にも3にもできるのが文系の世界なんだよね。嫌よ嫌よも好きのうち、なんていうじゃない。言葉って、元々多義的なものなわけ。
じゃあ、頭のいい理系の僕が言葉を駆使したらどうなるか。僕なんか頭いいから、1+1を10にでも20にでも言いくるめることができるんだ。それに、やってきたのが頭の緩い鳩山君じゃない。これは、言葉のマジックで何とかなる、と。
ふんふん、まんまと引っかかっちゃったねえ。だってさあ、総理になったらいつかは辞めなくちゃいけないでしょ。僕、その程度のことを言っただけなのに、バカだね、みんな。6月中に辞めるなんて勝手に思い込んでるんだから。まあ、そう思い込むように仕組んだのは僕かも知れないけど、おかげで党内からは造反はほとんど出ずに不信任案を否決できたし。
不信任案を否決できれば、もうこっちのものさ。いろいろいう奴はいるけど、口じゃ負けない自信はある。ああいえばこういう、は得意だし、聞かれたことには答えず、自分のいいたいことだけ話す話法も身につけてるからね。
それにね。いま、僕を除いて首相が務まりそうな人間が党内にいる? どう見てもいないでしょ。みんな僕のことを責めるばっかりだけど、僕しかできない仕事だったら、なんといわれても僕がやるしかないでしょ? みんな分かってないなあ。
さ、総理の座を楽しもう、っと。ホント、震災と原発の事故があって助かったわ。

と菅直人がいったかどうか、考えたかどうか、私に分かるはずがない。私は、こんなゲス野郎の気持ちが読めるほど卑劣な人間ではない。

 

しかし、だ、菅君。君は、いまのねじれ国会で。被災地の復旧や復興に必要な法律をどうやって成立させるつもりだ? 君が総理を続ける間は、必要な法律は1本も通らないのではないか?

それは僕の責任じゃないもん。政府としては粛々と必要な法律案を出しますよ。でも、それを通さないのは国会の責任でしょ? この国難に際して、国会議員の責任を果たさない議員が沢山いるということでしょ。僕の責任じゃなくて、法案に反対する野党や、ひょっとしたら党内からも出るかも知れない造反派の責任だもん。
僕は正しいことをやる。責任を果たす。ダメなのは、ダメな国会議員ということで僕への同情が集まって支持率は上がると思うよ。

と菅直人が言うかどうかも、私には分からない。その程度のことはいいそうだな、と懸念するだけである。

 

新聞やテレビによると、野党はおろか、民主党の中間派からも菅直人への反発が吹き出しているという。この情勢では国会審議は止まり、政権は間もなく行き詰まるしかない。
その時、菅直人はどんな顔をして断頭台の階段を上るのだろう?

被災地の皆様、その日が1日も早く来るよう、ともに祈ろうではありませんか。