2013
01.28

2013年1月28日 インフルエンザ・その4=終わり

らかす日誌

私がインフルエンザ?
何年ぶりだろう。思いだそうとするが、前回インフルエンザに罹患した記憶がどうしても出てこない。考えてみれば、そのはずである。

私、25歳でいまの会社に入って、病気で仕事を休んだのは1回だけである。岐阜から名古屋に転勤した1979年春、あまりの仕事に質の変化に戸惑ったのであろう。私は39度の熱を出した。
職場で、昼過ぎから調子が悪かった。あまりにも気分が悪いので、夕方、医者に行き、薬を処方してもらった。手元に薬があるのなら、まず飲むに越したことはないと、1包だけ水で流し込む。20分もたっただろうか。私は全身から汗を流し始め、意識が朦朧としてきた。汗を拭くハンカチは、もうグチャグチャである。

「すみません。気分が悪いので、早めに引き上げます」

と職場の上司に断り、タクシーで帰宅してそのまま布団に突っ伏した。気がついたのは、確か3日目の朝である。ほとんど丸2日、私の魂は、生と死の境界線上を漂い続けた。

いまになって思えば、あれは知恵熱であったのだと思う。新しく吸収せねばならぬことが多すぎて、頭脳が熱暴走したのである。

それはとにかく、本格的に寝込むのはその時以来だ。あれがインフルエンザではなく知恵熱であったとすれば、さて、私が前回インフルエンザに罹患したのは、いつのことなのか? ひょっとしたら、初めてのインフルエンザか?

「君がインフルエンザ? 僕が吸い取ってやる。ほら、口を出して……。もう大丈夫だよ。いっぱい吸い取ったから」

などと、どこかで口走ったような気もするが……。

 

いや、車を運転しながら考えたのは、そんなどうでもいいことではない。
私は、翌24日に2つの約束があった。一つは、マッサージの予約である。21日夕のマッサージがあまりに心地よく、一刻も早く2回目のマッサージを受けたいと思い続けた予約である。
が、それも、インフルエンザとあればパスせざるを得まい。

それはいい。問題は、もうひとつの約束である。そう、病院で医者に告げた飲み会だ。

いってみれば、私が立ち上げたような飲み会である。回を重ねるごとに参加者が増え、ということはみんな楽しく酒を飲み、できることなら欠席したくないという飲み会なのだ。言い出しっぺの私が欠席を望むはずがない。

「どうする? 参加したいよな。でも、インフルエンザだよな。だけど、インフルエンザごときで欠席していいのか? もっと大事なことを求めて集う飲み会ではないのか?」

自宅に戻ってからも、布団に入ってからも、24日朝、目覚めてからも、ずっと考え続けた。

「しかし、私が参加したいからといって、ほかの参加者を、インフルエンザ罹患のリスクに曝していいのか?」

まあ、客観的にいえば、まことにわがまま勝手な悩みである。が、どんなにわがままであろうと、勝手に見えようと、真剣に考えたのだから仕方がない。

「やっぱ、インフルエンザ、移しちゃまずいよな」

と心を決めたのは、夕刻であった。
今回、参加は遠慮しよう。その代わり、会場には出向き、冒頭に、

「参加できなくてゴメン」

と挨拶して戻ってこよう。
午後6時過ぎ、そう思い定めてタクシーに乗った。

 「というわけ皆さん、私、皆さんにインフルエンザを移しちゃまずいので、これで帰ります。ゆっくり飲んでいってください」

との挨拶が終わるか終わらないうちに、隣の社長から声がかかった。

「大道さん、何いってんの。俺もインフルエンザにかかってさ、昨日でやっと抜けたの。だから、俺はもう免疫があり、インフルエンザにならないのよ。俺の横で飲んでればいいじゃない」

私の斜め前に座った教授がいった。

「我が家もね、妻と娘がインフルエンザのA型にかかって、僕、ずっと看病してたんです。それでも移らなかったから、大道さんのインフルエンザも大丈夫ですよ。僕が壁になりましょう」

事務方の若い衆が言った。

「我が家でインフルエンザが流行ると、僕がいつもおさんどんするんです。で、僕だけインフルエンザにならない。僕、インフルエンザに強いんです。大丈夫だから、大道さん、飲みましょうよ」

私を帰そうとしない。遠くの方から、

「できるだけ俺の方に来るなよ」

という目で私を見ている人もいたような気はするが、3人から引き止められれば、流石に私は帰れない。

「じゃあ、俺も生ビールね!」

最初は、マスクをつけたりはずしたりしながら飲んでいたが、15分もすると面倒になった。

「ここまで来たら、マスクなんかいらないや」

さて、それからどれだけ飲んだことか……。

 

はっきり書いておく。現場における私の決断を、私は弁護しない。医学的に見れば無謀の一言で片がつく。

「お前は、インフルエンザのウイルスを振りまく気か!」

いや、振りまく気はありません。結果的に蔓延したかもしれませんが……、ごめんなさい!

気になって本日、参加者全員に、インフルエンザに罹患しなかったかどうかを問い合わせるメールを出した。今のところ、誰からも

「お前に移された!」

という抗議は来ない。
とりあえず、無事であったか。それとも、私に宿ったインフルエンザウイルスは、老体にしか勝負を挑めない根性なしであったか。

という次第で、インフルエンザのお話は終わりである。
いや、一つ書き漏らした。

24日、妻女殿を前日に引き続いて医者にお連れした。私のインフルエンザがはっきりした以上、妻女殿の検査もする必要がある。

まあ、そこまで律儀に付き合わなくとも良かろうに、妻女殿も見事にストライクであった。

しかし、インフルエンザの感染とは良くしたもので、まず私が感染し高熱に苦しむ。それが妻女殿に移るころには私の高熱はひき、体も動く。
24日の朝食は私が出汁のたっぷりきいたみそ汁を作り、鰯の丸干しを焼いた。昼食は、寿司を買ってきた。夕食には、私がステーキを焼き、キャベツを炒めてトマトを輪切りにした。

25日からは妻女殿が台所に立った。カバーし合いながら(ん? 私はカバーしてもらったか? 私の代わりに妻女殿が仕事をしたわけでもないし、もちろん、そもそもできるはずもないが)、我が家は何とか生き延びた

2人そろって、同じ日に発症していたら、さて、我が家の暮らしはどうなっていたか。買い物にも行けず、食事も作れず、2人してやせ衰えていたかもしれない。

時間差攻撃をするインフルエンザ。敵ながらあっぱれ、惻隠の情だけは持っておるのだな。あんた、ひょっとしたら、偉い!!