06.03
2013年6月3日 ジジイing
今週金曜日の7日、私は仕事を休んで四日市に向かう。
四日市の啓樹が
「あのさあ、ボスはずるい」
と電話を寄越したのは、既報である。そうか、それほどボスに会いたいか。と、私は四日市まで出向く。
「で、啓樹、ボスと何しようか?」
最初は、啓樹と2人、魚釣り旅行に行こうかと考えた。私が車で四日市まで行き、啓樹を乗せてそのまま鳥羽に行く。釣り宿に泊まり、翌朝、啓樹と2人で岸壁から棹を出す。
ま、岸壁の釣りは、それほど釣れるものではない。釣れないなら釣れないで、一日啓樹と語り合う。
なかなかいい計画に思えたが、しかし、釣りのシーズンはもう少し先であることも事実だ。
海で魚が釣れ始めるのは連休明け。それまでは雪解け水が入って水温が下がり、お魚さんの食欲が衰える。我々の差し出すエサには食いついてくれない。連休明けから少しずつ水温が上がり、お魚さんも少しずつ多めにエサをついばむようになる。が、まだ本格的な食欲は見せないから、5月は、初心者の釣りには向いていない。
「では、6月は?」
梅雨である。四日市まで出向くにはあらかじめ日程を決めなければならぬ。朝目を覚まして、
「おお、好天じゃ。釣り日和じゃ」
と判断して出向くことはできぬ。釣りに慣れぬ初心者に、雨中の釣りは酷である。啓樹に風邪でもひかせたらことだ。
「で、啓樹、何する?」
何度か電話するうち、啓樹がいいだした。
「あのしゃ、僕しゃ、ボスと何かつくりたい」
ふむ。私と工作をしたいってか。それもよかろう。工作なら雨天でもできる。
「啓樹、何をつくりたいんだ?」
「うーん」
というわけで、とりあえず、啓樹が本で見たエジソン型電信機をつくることになった。
啓樹一家とは名古屋で落ち合う。その足で東急ハンズに行き、必要な材料を買い集める。名古屋で夕食を済ませ、四日市へ。
「啓樹、一つだけしかつくらないのか? それだけじゃ時間が余っちゃうぞ」
さて、2つ目は何にするのか。目下啓樹は思案中である。
では、どうする?
今朝、太田のジョイフル本田まで行ってきた。ここには工作材料がいっぱいある。お土産に、キットでも買おうと思って足を運んだ。
3点買った。が、啓樹の両親がこの日誌を読んでいる危険性があるので、これ以上のことは書かない。
啓樹、楽しみにしてろよ!
しかし、祖父に向かって、俺のところに遊びに来てくれとせがむ子が、世の中にどれだけいるのか? 私なんぞ、爺さまには何の期待も要求もしなかったから、啓樹と私の関係、ま、瑛汰と私も同じだが、ひょっとしたら極めて珍しいのではないのか? と思わないでもない。
それでもいいではないか。啓樹が、瑛汰が、私に会いたいという。喜び勇んで会いに行く。極めて麗しいことではないか。
昨夜、
「レッド・オクトーバーを追え!」
を鑑賞した。1990年のアカデミー賞受賞作である。
いや、面白かった。ソ連の好戦的な国家体制に嫌気がさした潜水艦長が、米国への先制攻撃のためにつくられた最新鋭のソ連潜水艦を道連れに米国への亡命を図る。米国=善玉、ソ連=悪玉、という見え透いた善悪2言論にさえ我慢すれば、海中での攻防戦を始め、印象に残るシーンがいくつもある見応えのある映画だった。
主人公は2人。亡命を図る潜水艦長、マルコ・ラミウスと、その意図をいち早く見抜き、何としても迎え入れようとするCIAのジャック・ライアンである。いち早く見抜いたといっても、まあ、山勘が当たったようなもので、そのあたりのご都合主義もこの際無視する。
えっ、と思ったのは、2人の思い出話である。
2人が2人とも、昔語りで
「祖父に魚釣りを教えてもらった」
と語るのだ。ジャック・ライアンに至っては、ソ連の最新鋭潜水艦、レッド・オクトーバーと一緒にアメリカまで連れてきたラミウス艦長に、
「ほら、あそこなんだよ、祖父が僕に釣りを教えてくれたのは」
と話しかけたりする。
そうか、祖父というものは、孫に魚釣りを教えるものなんだ! それが世界の常識なんだ。私が啓樹を釣り旅行に連れて行こうと思ったのは、こうした先人の知恵が知らず知らずに我が体内に入り込んでいたんだ!
いや、それだけのことである。
興奮して、ついつい「孫」という言葉を使ってしまったが、我が家の辞書に「孫」という単語はないことを改めてお断りしておく。
啓樹は、あくまでも啓樹は啓樹であり、長女の長男である。瑛汰は瑛汰であり、次女の長男である。
我が家には「孫」などというものは存在しないのである。
ま、私は立派にジジイingしているかも知れないが。