12.08
2013年12月8日 忘年会
週明け10日の火曜日、前橋で、私が定年後再雇用をしていただいている会社の、群馬県下全員が集まる忘年会が開催される。
どういう訳か、桐生に来て以来、忘年会というのが極めて少ない。ま、つまらんヤツらとの飲み会は極力避けるようにしているし、年末だから、12月になったから飲まねばならんという理屈もないので、それは気にならない。自宅で好きなことをしている方が遥かに実り多い。
前橋での忘年会も、開催場所を知ったとたん、
「サボろうか」
と瞬時考えた。どの方面から考えても、わざわざ前橋まで出かけて酒を飲みたくなるような店ではない。何でこんな店で1年を締めくくらねばならん?
が、まあ、それは幹事の不手際と諦め、渋々参加することにした。
すると、幹事殿からメールが来た。何でも、余興でプレゼントの交換をするのだという。そのため、2000円以内で何か買ってこいという。1人買ってこない人がいれば、1人受け取れない人が出る。心して買い物をせよ、との念押しがあった。
買ってこなかったヤツをはずしてプレゼント交換をすれば、受け取れない人はいないと思うのだが、幹事殿の数学力ではそこまで思いが至らなかったか。
で、だ。2000円。何を買う?
こんなことで頭を使うのも腹立たしいのだが、しかし、使わねば後ろ指を指される。でも、2000円。しかも、桐生で。何が買える?
私は悩まない。優れた頭脳をもって生まれついた特権である。すぐに思いついたのだ、2000円以内で。
「ん、『Let It Be』にしよう」
ご記憶であろうか。私はネットで探し当て、映画館画角、つまり16:9で映し出される「Let It Be」のDVDを購入し、当然のことながらいまでも所有している。
4枚組の優れものの1枚目は、16:9の「Let It Be」である。2枚目は、従来流通していた4:3の「Let It Be」である。3枚目と4枚目は、撮影しながら、映画には使わなかったショットの寄せ集め。そうそう、1枚目と2枚目にも同様の未使用ショットが入っている。
ついでに書けば、すべてに日本語字幕が入っている。
「YOKOって、アップルスタジオで書道をやって、まだ墨が乾いていない作品を次々に壁に貼って取り替えて、あれ、いったい何やってるのかね? 何であんなショットを延々と撮ってるわけ?」
このDVDのコピーを差し上げた皆様は、異口同音に同じ感想を漏らされた。
そんなこと、私に聴いてもらっても困る。全く関心が持てない女の行動について、私は何も調べたことも考えたこともないのだから。
私がメロメロになっている女の行動についてなら、まあ、気分が乗れば教えてあげてもいいが。
いや、そんなことはどうでもいい。
「2000円以内のプレゼント? よし、これをコピーしてやろう」
そう決め、立ったいまコピーし終えた。このDVD4枚が私からのプレゼントとなる。
原価? そう、元は5600円払って買ったDVDである。それと全く同一のもの、しかも装幀はオリジナルより遥かに美しく出来上がっている。であるが、しかし、これは所詮コピーだ。そこに、オリジナルの購入価格を反映させることもなかろう。
で、4枚組だから、DVD-Rを4枚使用した。DVD-Rの価格は1枚40円強。4枚で160~170円である。そのレーベル面に、丁寧にプリントした。そのインク代は、せいぜい10円か。
それを入れる袋は100枚で680円。つまり1枚6.8円。2枚使ったから14円。これですべてだ。
すべて合わせて、200円以下。条件はクリアしている。
プレゼントの基本は、差し上げる相手のことを思い遣ることである。
このようなときに、彼女、あるいは彼は、何を手にしたら驚き、かつ最大に喜ぶか。笑みを浮かべつつ、驚きを隠せない彼女、あるいは彼の顔を思い浮かべながら、何にするかを考え、迷い、絞り込み、決める。そこには、私のそれまでの人生が凝縮される。
そう、プレゼントとは、愛の形である。
「お金でいいんじゃない?」
というのは、余りにも人生を馬鹿にしている。
が、だ。イベントでのプレゼント交換。そこには愛はない。だって、誰の手に渡るか分からないからだ。
では、どうするか。自分の都合で決めるしかない。少し付け加えれば、そこに自分を映し出せればいい。だから私は、これにした。
これがThe Beatlesなど関心がないというヤツの手に渡ったら?
そんなことを私が気にする必要はない。
不要であれば捨てればいいし、人にあげてもいい。ただ、これ、The Beatlesが好きな人であれば、欣喜雀躍して涙を浮かべる日がにない貴重品なのである。せめて、その価値が分かるヤツに渡って欲しいと願う。
さて、4枚のDVD、綺麗な包装紙で来るんでリボンでもかけるか? 袋に入れるだけでいいかな?
「古池に蛙は飛びこんだか」(長谷川櫂著、中公文庫)
を読了。
古池や蛙飛こむ水のおと
恐らく、ほとんどの人が知っている松尾芭蕉の句である。
だが、古池にカエルが飛びこんで水の音がしたねえ、というだけのこの句が、どうして優れた俳句なのか。
「こんなつまらない俳句が松尾芭蕉の代表作で、いまに至るまで残っているなんて変だ」
と考えた著者は研究と分析を重ね、
「ああ、これは優れた句だ。この句で芭蕉は新しい世界を開いた」
と確信するに至る。これまでの解釈はすべて間違っていた。芭蕉は、そんなつまらないことを17の文字に託したわけではない!
何しろ、出発点が素晴らしい。その世界で専門家と呼ばれる先人、学識経験者、俳人たちががこぞって
「芭蕉の名句」
と言いつのる作品に、
「カエルが古い池に飛びこんで水の音がした? その何処がいいの?」
と違和感、反感を持つ。なのに、この句には、どこか惹かれる。何故惹かれるのだろう?
と研究を重ね、
「これまでの解釈はすべて間違っていた」
ことに原因を見つけ出す。それまでのつまらない解釈しか出来なかった専門家も異論を挟めないほど、緻密に事実を分析しての結果である。
著者は、どのような世界をこの17文字から紡ぎ出したのか?
著者は、朝日俳壇の選者も務める俳人。その世界に身を置く人が、先輩、恩師を含めて自分が属する世界の全員を敵に回す論を立てた。これを革命という。
素晴らしい力作である。なのに、価格は718円+税。
出来れば、一度は目を通していただきたい1冊だ。