2005
10.02

とことん合理主義 – 桝谷英哉さんと私 第3回 :虜になった

音らかす

クリスキット、Mark8が届いた。

買った新車が届いたら、すぐに乗りたい。
コーヒーメーカーを入手したら、何はともあれコーヒー豆を挽き、味わいたい。
新しいベッドが届いたら、とりあえずその上で横になってみたい。
新しい女が来たら、まず……

てなわけで、アンプキットが手許に届いたら、一刻も早く組み立てたい。音を聞いてみたい。

突然だが、メディアに巣くう者どもの多くは、ろくな暮らしをしていない。何よりも、帰宅時間が遅い。そのうえ不規則である。その日のうちに自宅にたどり着けばいい方で、多くは午前様である。
もその「多く」の一員、端くれであることは事実である。

クリスキット、Mark8は平日に届いた。私が知ったのは、日付変更線を越えて帰宅してからである。居間のライトは、既にして消されていた。酔眼朦朧としている私に、製作に取りかかる余力があるはずはない。
でも、手を触れたい。

ガムテープをはぎ、包装の段ボール箱を開けた。見事にバラバラになったパーツ群が顔を出した。
バラバラになっているのは、抵抗やコンデンサ、ダイオード、ボリュームなどだけではない。アンプの外観を形作るケースまでバラバラなのである。
天板が1枚、底板が1枚、側板が2枚、リアパネルが1枚、フロントパネルが1枚、そして2枚に分かれた化粧用のフロントパネル。
徹底してバラバラなのである。

(余談)
化粧用のフロントパネルが2枚に分かれているのは、これも桝谷流の合理主義だと思う。
アルミ製の化粧用フロントパネルを1枚板にしてしまっては、のっぺりした感じになって面白くない。しかし、アルミの板に凹凸を付けてリズム感を出すとなると、加工費にかなりコストがかかってしまう。これを解決するのが2枚組である。
まず、フロントの全面を覆うアルミ板がある。次に、横幅はそれとまったく同じで、縦幅が半分のアルミ板を用意する。上辺をピッタリ合わせて重ねると、上部がせり出した高級化粧用パネルが誕生するという仕組みである。

「早く組み立てて音を聞いてみたい」

と逸る自分がいる。

「おいおい、こんなにバラバラの部品を、俺が一人で組み上げるのかよ、大丈夫か?」

と逃げ腰の自分がいる。
2つに引き裂かれた、典型的にアンビヴァレントな心境で布団に入り、そして週末を迎えた。

金はすでに払った。ヘルパーに頼むお金を惜しみ、自分で組み立てることにした。である以上、私の選択肢は組み立てに取りかかることしかない。
キットをバラバラのパーツのまま放っておいても、音楽を再生してはくれない。

(注)
クリスキットには、自分で組み立てることに不安を感じる人のため、「ヘルパー制度」がある。アンプ1台につき1万円少々のお金を払えば、組み立て経験の長いヘルパーが完成品にしてくれる。

・準備運動はした。

桝谷さんの著書「音を求めるオーディオリスナーのためのステレオ装置の合理的なまとめ方と作り方」を買い、熟読した。

ところで、いいものを作るのには、いい材料がいる。当たり前の話である。メーカーの技術者と違って、アマチュアが、自分のためにいいものを作ろうというのだから、一つ一つの材料を、よく吟味して選ぶことが出来る(だからといって、白金線を使って配線しようというのではない)。どんなに品質や性能のよい材料(といってもあくまでreasonableな、という意味であるが)を使っても、メーカー製のアンプの数分の一のコストで出来上がる。何度もいうように、アマチュアによる自作の特権である

アマチュアによる自作の場合、出来上がったアンプを市販して利益を生む必要はないので、一つ一つの部品を選ぶのに、ソロバン勘定を優先する必要がない。

私がこれから作り、使うアンプは、最高のパーツを使ったものなのだ。期待が膨らむ。

・必要な工具は揃えた。

といっても、40Wのハンダごて程度だが。ドライバーやニッパーは、手持ちのものでOK。実際、この程度の道具しか必要ない。

・測定器 ― テスター ― も買った。

必需品。「音を求めるオーディオリスナーのためのステレオ装置の合理的なまとめ方と作り方」を読むと、必要な限りの使い方は書いてある。

・ハンダ付けのしかたも、頭の中ではマスターした。

「音を求めるオーディオリスナーのためのステレオ装置の合理的なまとめ方と作り方」に見事な記述がある。

ハンダづけの要領を紙に書くと、ハンダごて(40W)の先を部品の足の根元に、足と箔面との両方にくっつくようにあてて、ひとつ、ふたつ、みっつと数えてから、糸ハンダ(40/60のもの)の先をあてると、吸いこまれるように、ハンダがのる。実に楽しい作業である。マージャンで徹夜をするより楽しい作業だと私は思う。

いよいよ、作業である。



























出来た。8時間14分かかかった。

(余談)
製作記は後日まとめる予定。

抵抗は1つ1つテスターで抵抗値を計った。

― アナログテスターの針がスゥーーッという感じで振れるのは、見ていて優雅である。

部品は、まちがわないように少なくとも3回ずつ確認して取り付けた。

― 「右よし、左よし、出発進行!」なんていう感じ。

配線用コードは、傷が付かないようにカッターで慎重に皮をむいた。

― 台の上にコードを置き、カッターの刃を軽くあててコードをくるくる回す。中の線に振れる寸前に止めて、最後は皮を引き剥がす。神業です。

配線は、組み立て説明書にある実体回路図を少なくとも5回ずつ見返して、間違いがないことを確認した。

― 実体回路図を、赤のボールペンでたどりながら「これで間違いないな!」と自分に言い聞かせます。

ハンダづけ箇所は、すべて手で引っ張り、ちゃんとついていることを確認した。

― 引っ張って、スポッと抜けたところが数カ所。でもめげることはありません。やり直せばいいのです。

最後に、テスターでテストポイントの電圧を測った。説明書に書いてあった通りの電圧が出た。

自分で作ったプリアンプを眺める。
配線は、上から見ても、横から見ても、誰が見ても、お世辞にも美しいとはいえない。
が、ともかく、完成したことに間違いはない。

(余談)
その後、友人のものまで含め、かなりの数のクリスキットを製作したが、この記念すべき第1号が、もっとも配線が汚い。それでも、出てくる音は同じである。

ラックスのパワーアンプにつなぐ。レコードプレーヤーを接続して、すべての電源を入れ、針を降ろす。

音が、














出た!!!

嘘! 私が自分で作ったアンプから、信じられないほど美しい音楽が流れ始めた。
最初のレコードの演奏が終わると、

「あのレコードからはどんな音が聞こえるか」

と気になり、次から次へとレコードを取り替えた。取り替えながら、陶然となった。自分の持っていたレコードに、これほど素晴らしい音が詰まっていたのが信じられなかった。これまで聞いてきたすべてのレコードの再生音が、なんとも貧弱なものに思えてきた。

例えば、The Beatlesの、というより、John Lennonの “Strawberry Fields Forever” 。この曲は “Magical Mystery Tour” に収録されている。

出だし、メロトロン演奏から始まって、

Let me take you down, ‘cos I’m going to Strawberry Fields
Nothing is real, and nothing to get hungabout
Strawberry Fields forever

とだんだん盛り上がる。

I think I know I mean a “Yes” but it’s all wrong

まで来ると、チェロが伸びやかに演奏を続け、別の場所では、ブラシでスネアドラムをこすったりたたいたりしているような音がかすかに聞こえる。これだけのシンプルな伴奏に John のヴォーカルが乗る。John はチェロから離れた場所で歌っている。それぞれの楽器が、ヴォーカルが、まったく混じり合うことなく、ちゃんと違った場所から聞こえてくる。これまでは聞き流していた箇所だ。しかしこのアンプで聞くと、シンプルさが重厚な雰囲気を醸し出す。鳥肌が立ちそうになりながら聞き惚れた。

音の分離、音の定位、チャンネルセパレーションなど、オーディオには様々な専門用語がある。言葉だけは知っていた。が、分離、定位、セパレーションを耳で聞いて体験したのは、この時が初めてだった。

(解説)
といろいろ書いておりますが、要は、録音された音がそのままに近い形で再生されると、この様に楽器のある場所、歌手の立つ場所まではっきりわかるように聞こえるのであります。このように聞こえるように録音されているといった方がいいかな? これをステレオ録音といいます。

次の日曜日、実験をした。桝谷さんの本には、クリスキットからはハムが出ないとある。

「本当かい?」

という実験である。
レコードも何も演奏しない状態でヴォリュームを最大に上げた。スピーカーの前に行き、耳をスピーカーにくっつけた。ハム特有の「ブーン」という音はもちろん、何の音も聞こえてこない

「本当だ!」

実験を終えて、FMを聞いた。特に好きな音楽が流れていたわけではない。が、聞いているうちに、ひどく気持ちがよくなった。1つ1つの音が、艶やかで伸びがあり、美しい。
もっと気持ちよくなりたくて、だんだんボリュームを上げた。ボリュームのつまみについているマークが時計の12時の位置に来るまで音量を上げた。相当に大きな音である。そのままソファで横になって聞いていたら、いつの間にか眠り込んでいた。心地よい昼寝だった。

私の音楽人生は、The Beatlesに始まった。彼らが解散したあと、Jazzも聞き出した。が、小中学校の音楽の時間に無理矢理聞かされて辟易していたクラシックは、完全に興味の対象外だった。

ところが、である。
クリスキットのプリアンプを使い始めて、バイオリンの音が聞きたくなった。

「あの、バイオリン独特の音を、このステレオで聞いたら素晴らしいだろう」

バイオリンといえば、クラシック音楽
よく遊びに来ていた後輩に、

「バイオリンの演奏が聴けるクラシックが聴きたくなった。君はクラシック音楽も詳しいようだから、悪いが、CDを買ってきてくれないか。君がいいと思うものでいいから」

と頼んだ。

その結果、
モーツアルトのピアノ協奏曲20番、21番(ピアノ:フリードリッヒ・グルダ、クラウディオ・アバド指揮のウイーン交響楽団)と、ムソルグスキーの展覧会の絵(Eduarto Mata指揮のダラス交響楽団)が我が家にやってきた。
そしていまや、クラシックのCDも100枚を越えるようになった。

かくして、私の音楽の趣味は、演歌を除くほとんどすべてのジャンルへと広がった。

オーディオ装置の性能に導かれて聞く音楽のジャンルが広がる。間違いなく、本末転倒である。でも、楽しければ、どちらが頭でも尻尾でもかまわないではないか。それが私の人生哲学である。

(余談)
ステレオが欲しいと切実に思ったのは、The Beatlesを本格的に聞き始めた大学生時代だった。
「もっといい音で The Beatles を聞きたい」
極めてシンプルな欲求である。だが、極めてシンプルな理由で実現しなかった。
しかった
奨学金をもらい、アルバイトをしても、下宿代を払い、食事をし、必要と思う本を買うと、お金がすべて消えた。
隣室との境はベニヤ板1枚。下宿人が共同で使う出入り口の下駄箱からは時折蛇が姿を見せる。梅雨時になると、沢ガニナメクジが部屋の中を歩き回る(ナメクジって、歩くか?)。一日中日光は差さない。そんなところにに住みながら、である。
友人には、スカイラインGTで通ってくる奴がいた。
「パイオニアのステレオを買った」
という奴もいた。

私には、車もステレオもなかった。最低限の衣食住と、本があるだけだった。
音楽が聴きたいときは、友人の下宿を訪ねるしかなかった。
山口県岩国市の喫茶店で、妻と知り合った。東京生まれ、横浜育ちの女性である。2人とも旅の途中。偶々流れていたJohn Lennonを聞きながら、
「Johnの曲でどれが好き?」
とどちらかが話しかけ、
「やっぱり、“Love”
で2人の意見が一致した。
やがて手紙をやりとりするようになり、なぜか、1年少したって結婚した。なぜか、いまも継続している。多分、二人とも我慢強いのだろう。
結婚して、私は生まれて初めてステレオ装置を持った。私が豊になったのではない。妻になった女性がお金を持ってきたのである。
情けないが、事実である。
そのころ、こんな会話があった。
「いつか、喫茶店を持ちたいね」
いい音で、いい音楽(この場合、The Beatlesを指していることは疑いない)を聞いてもらいながら、美味しいコーヒー(これは、私がドリップすることになっていた)を味わってもらう喫茶店をね」
若さゆえの夢かも知れない。
若かったが故の、世間知らずの愚かさかも知れない。
冷静に収支計算をすると、趣味で喫茶店を経営するのは、ほとんど無謀である。
しかし、いつか実現するかも知れない。
妻は今朝、加川良の「教訓」をかけながら、私を送り出した。

私は心配性である。これほど感動しながら、後日、桝谷さんに

「とりあえず、音は出たが、最後にあなたに念のために点検していただくいただく必要はないでしょうか」

と、電話で問い合わせた。

「クリスキットは、すべて正しく組み立てないと音が出ないように設計してまんのや。音が出てるいうことは、正常に動いとるいうことですわ」

と一蹴された。

私は、オーディオという世界に関心をなくした。

私は、毎月2、3誌とっていたオーディオ雑誌を、まったく買わなくなった。

こうして私は、桝谷ワールド、クリスキットワールドの虜になった。