05.14
2014年5月14日 アコギ
このところの桐生は、町中に、というか、市役所の敷地内にクマが出たり、突然隣のみどり市との合併話が動き始めたりと、何となく慌ただしい。
クマが出たのは昨日早朝である。
たまたま夕刻、市役所に用事で行った。知り合いにばったり会うと、
「大道さん、知ってます? 市役所にクマが出たんですよ」
という。
こいつ、何かジョークというものを勘違いしていないか? 俺は今朝、ひげは綺麗に剃ってきた。髪は間もなく理髪店に行かねばならないが、それでも
「クマ男」
と呼ばれるほど伸びているわけではない。なのに、何で俺はこんなチンピラに、クマ呼ばわりされねばならんのだ?
愉快でない思いが表情に出たのだろうか、彼は慌てて付け足した。
「いや、今朝方、本当のツキノワグマが市役所の南口で見つかり、そのまま北の議会棟の方に走って、見えなくなったんです。間もなく、渡良瀬川のそばで射殺されたんですけど」
へーっ、知らなかった。桐生って、クマが人里に出没するほどの山の中だったのか……。確かに、三方を山に囲まれた盆地ではあるが。
朝日新聞によると、先日の大雪、それに続いた山火事で、山に食料が不足しているためではないかとあった。なるほど、さようなものか。
合併話は昔からあった。
そもそも全国で市町村の合併が相次いだ時期、両市(当時は桐生市と町と村)は合併を計画したことがある。それが政治的な思惑や住民感情の行き違いで流れ、桐生市はみどり市の向こうにも市域をもつ、飛び地がある市となった。
「だからね、大道さん、飛び散って不自然でしょ? 桐生から富宏美術館に行くのに、まずみどり市に入って桐生市に入り、再びみどり市に入るんですよ。おかしいと思いません?」
さような人々には、冷静にご説明申し上げた。
「桐生から横浜の自宅に来るまで戻ると、まず群馬県を走り、栃木県に入って再び群馬県に入る。しばらくすると埼玉県に入り、東京都に行って、もう一度埼玉県の道路を端って再度東京都になる。そしてやっと神奈川県にたどり着くのです。それがおかしいですか? それをおかしいというのなら、日本全国がひとつの自治体にならねばおかしさは解消できませんよね?」
するとこういう。
「だって、飛び地って、いかにも不自然でしょう」
この人、よくよく教養がない。
「バチカン市国は、ローマ市の中にある。うん、飛び地ではない。ローマ市、広くいえばイタリアはつながっているし、バチカン市国もつながっている。さて、それとこれと、どちらが不自然ですか? それに、イタリアも含めた欧州諸国は、ホンの100年ほど前までは、地続きではないところに植民地を持っていた。誰も不自然とは思わず、列強はこぞって植民地を持ちたがったのですよ、日本は出遅れましたが」
この人、まだ懲りない。
「だって、やっぱりスケールメリットってあるでしょう?」
多少は物事を考えたことはあるのか?
「自動車業界ではかつて、グローバル10、つまり規模で世界の10本の指に入っていなければ生き残れないという神話が生まれ、みんなこぞってスケールメリットを求めて提携、合併を試みました。さて、それでどうなりました? クライスラーを買ったベンツは車の質が急落しました。世界最大の自動車メーカーであったGMはトヨタに抜かれ、いいですか、トヨタは何処も買収していませんよ、図体が大きいだけでは決して強くなれないことを照明したのが自動車業界ではないですか。体が大きいだけの人間をでくの坊といいます。山椒は小粒でピリリと辛い、という生き方だってあるんです」
といいながら私は、合併反対ではなく、合併不要論者である。2つの市が合併すれば、看板の書き換え、事務システムの統合、引っ越し、あれやこれや、と10億円以上の費用がかかる。そんな金に見合うだけのメリットがあるのか? 私の目には、そのメリットが見えない。合併に費やされる金は、全くの無駄に思える。
「いや、こんなメリットがある」
と示してもらえれば、賛成派に転じることは吝(やぶさ)かではない。だが、現状では、最強の合併反対派ではある。
にしても、である。Paul McCartneyとは、紡ぎ出した楽曲の美しさからは想像もできないほどアコギなヤツであると思い知った。
つい先日来日してガッポリ金を持っていったばかりなのに、半年で再来日し、しかも今度は、武道館での特別公演まであるそうな。日本人から、いくら搾り取れば満足するのか。
The Beatlesとして来日して48年ぶりに。2度目の武道館の舞台に上る。それはいい。問題は入場料だ。
アリーナ席は10万円。
この男、どんな神経をしているのか? 金なら、すでに使いきれないほど稼ぎ出したはずだ。それでも飽きたらず、さらに金を集めたいってか? 棺桶を100ドル札で埋め尽くして、札と一緒に焼かれたいってか?
いったいこの人、何が嬉しくて音楽活動をしているのだろう?
無論、世界的に著名なミュージシャンである。貧困に甘んじよ、というつもりはない。我々が想像もできないほどの贅沢をしても、
「そりゃ、あんたには俺にない才能があるからなあ」
と笑って認めることができる。
しかし、何処まで金持ちになりたいのだ? 10万円払える客にしか聴かせない音楽って、何だ?
ビートルズ時代、切れ味の良い曲を書くJohn Lennonに比べて、この人はある種の甘さを内包した曲を書くのが得意だった。総合的な音楽の才能では、あるいはこの人の方が上だったかも知れないとも思う。
だが、ビートルズを解散したあとの惨状は、覆い隠すべくもない。John Lennonはむしろ、ビートルズ解散後の曲で評価される。しかしPaulの名曲は、いつまでたってもビートルズ時代の曲である。これまでの日本公演でも、解散後の曲では客席は静まり、ビートルズ時代の曲をやると沸いた。
本人からすれば、じれったかったろう。だがそれは、John Lennonという目の上のたんこぶのもとでひたすらよりよい音楽を求めて悪戦苦闘した時期と、John Lennonの桎梏がなくなる一方、元ビートルズという最強のブランド力は厳然と生き続けたため、何をしようと、作ろうと金になった時期に作った音楽の違いとも見える。John Lennonはビートルズ時代を否定し、次を求め続けた。彼は、ビートルズの遠洋で音楽活動を続けた。単なる継続は力にはなろう。だが、継続からよりよいものは生まれない。かくしてPaulには、金を求めるしか、自分のプライドを保つことができなくなったのではないか。
500人しか入らないホールで1席10万円なら、チケットを買えない私でも、
「それはそうか。チケット売上げ総額は、わずか5000万円だもんな」
と納得する。
しかし、武道館は1万人を収容する。6万円の席、25歳以下への2500円の席もあるというが、総売上は6、7億円になるはずである。
これは決して、喜び、楽しみをともにするコンサートではない。銭ゲバに操られた連中が寄り集まるカルトの集会である。
Paul is dead.
そんな噂が出回った時期もあった。それに対して彼は
Paul is alive!
というアルバムで応えた。今となれば、あの頃が懐かしい。
いや、本当は
Paul is dead.
で
John is alive!
であれば良かった、と心から思う私である。