01.12
2015年1月12日 寝不足
である。
妻女殿に夕刻、そのように申し上げた。
「ん? 寝不足って、朝の話題じゃないの? 何で夕方??」
まあ、もっともな疑問である。お答えしよう。
我が家は、夫婦の会話なるものが極めて少ない。それが普通であるのか、はたまた異常であるかは知らない。知らないが、とにかく少ない。これが基本である。
いや、朝の話題にしても悪いことではない。が、私はしなかった。
なにしろ、会話が少ない我が家では、一方が話しかけても、他方が一切の受け答えをしないということがたびたびある。話しかけた方は会話をしようとしたのに、結果的には独白に終わることになる。
結婚当初は違和感があった。何しろ、私が話しかけても我が妻女殿からは何の応答もなく、
「何で答えないんだよ」
ときつめに尋問すると、
「いま考えてるところ」
とブスッとお答えになっていた。度重なると、つまらぬ尋問をするのは無駄だと思い知る。だから、会話を減らした。
それが継続するのならいい。無言の夫婦が誕生するだけである。
ところが、だ。ついつい生活の知恵を忘れて何かを言いかけると、時によっては、想定以上の反応が返ってくる。想定以上というより、処理不可能な量と質の反応といってもいい。
「おい、じいさんが使っていたマッサージチェア、あれ、欲しかったな」
妻女殿の亡父のことをふと話題にした。今日の夕食時である。
「ああ、あれね。だけど、親戚の○○ちゃんは、自分の描いた絵をおじいちゃん(これは彼女の父親のことである)のところに預けてたのよね。だから、○○ちゃんの描いた絵がいっぱいあって、とにかく奥さんが、つまらないものを家に置くんじゃないというから預かってくれて持ってきてたの。どうかと思うわね。それをね、弟が『お姉ちゃんのところにあるんじゃない?』って聞きに来たことがあって、だって、そんなもの、うちで預かるわけあるわけないでしょ。ないって言ってやったわよ」
いや、おれ、そんな話を始めたつもりはないんだけれども。マッサージチェアは何処に行った? ○○ちゃんの絵はどこから登場した? 思考を巡らせても解読不可能なので、私はにわかつんぼになる。そんな話、俺が聞いてどうする?
という次第で、私から話題を提供することは、できるだけやめるようにしている。ましてや、朝からそのような言葉の洪水に見舞われたら1日が暗くなるではないか。
という警戒心が薄れ、夕刻、ついつい、寝不足を口にしたのが今日の私であった。眠かったのだ。
「あれでしょ、昨日の映画でしょ。『桃(タオ)さんのしあわせ』だったよね。あの介護施設を見たからじゃない?」
「桃(タオ)さんのしあわせ」
は、2011年の中国/香港映画。ヴェネチア国際映画祭で女優賞を得た。
桃(タオ)さんは、高齢のお手伝いさんである。日中戦争のころ親を亡くし、幼いころからお手伝いさんとしてある一家に尽くした。勤務歴60年。その家族を4世代にわたって世話してきた。
その桃(タオ)さんはいま、映画関係の仕事をしているお坊ちゃまと同居、世話を続けている。ところがある日、脳卒中で倒れて病院に運び込まれ、命は助かったが半身が不自由になる。
桃(タオ)さんは、これが限度と仕事をリタイヤ、自らの意思で老人介護施設に入居する。
入ったのは、まあ、まったくもってひどい施設で、桃(タオ)さんは鼻にディッシュを詰め込まなくてはトイレに入れない。個室とは言うが、パーティションで区切った区画に1人で寝るというだけで、これでは「個室」が泣いて呆れる。入居者同士のいがみ合いもままある。
「えっ、これが桃(タオ)さんのしあわせ?」
てな映画である。
まあ、それまで面倒を見てもらっていたお坊ちゃまが最後まで桃(タオ)さんの面倒を見る。お坊ちゃまの極めてリッチな家族も極めて優しく、家族同然に(あくまで「同然に」で、「家族として」ではない)扱ってくれる。
それでも、である。
「えっ、これが桃(タオ)さんのしあわせ?」
という映画である。
説明が極めて長くなった。
昨夜、私はそのような映画を見た。えっ、とは思ったが、まあ、それなりによくできた映画だったので、最高の金賞はやめたが、次点の銀賞をあげた。それを知る妻女殿は、己が以前に見たことがあるため、映画の中身はよく御存知で、どうやら
「老人介護施設のあまりにひどさい現状に、旦那はショックを受けた」
と理解したらしい。
妻女殿は、体が不自由になったら施設に入ると常日頃からおっしゃっている。私もそのような運命になるとお考えになっているのであろう。
が、だ。私は施設の世話になる気はない。己の力で死んでやる、と決意している存在である。
ま、それはそれとして。
「はあ? 何をいってんだ。最近寝過ぎていただけだよ。俺が映画を見て動揺するような玉か?」
そう、最近、睡眠時間が極めて長い。齢を重ねると睡眠時間が短くなると言うが、65歳になって、最近1ヶ月ほどは、毎日8時間以上寝ている感じだ。ひところは朝明るくなると目が覚めて困っていたが、この頃は、目が覚めると朝8時を過ぎている、なんてことも頻発する。夜更かしなど一切していないのに、である。
まあ、昨夜、眠りすぎたつけがやってきたのである。
布団に入って、いま読みかけの
「魂をなくした男」(フリーマントル著、新潮文庫)
を読み継ぎ、最初に明かりを消したのは、多分0時半頃。暗くして目を瞑ったが、眠りが訪れない。20分ほどであきらめて再び明かりをつけ、さらに読み進んで再び明かりを消したのは、ひょっとしたら午前3時。それでも眠りはすぐに訪れなかったから、寝付いたのは4時? 5時?
目覚めたのが朝7時前だから、これでは完全な睡眠不足である。
だから今日は、何となくボーッとして、1日を過ごした。いや、ボーッとしているのはいつものことだから、いつもと同じ1日を過ごしたと言うべきか。
ということしか報告案件がない、きわめて平和な1日であった。