2015
08.17

2015年8月17日 変わり目

らかす日誌

桐生は朝から雨だ。
湿度は高いが、気温は上がらない。これは、夏の雨ではない。

「秋の風よ」

我が妻女殿がそうおっしゃったのは、昨夕、私が横浜から戻ったときだった。そういえば、確かに昨夕は肌を気持ちよく撫でていく風があった。そして、今日のこの雨。

秋が早足でやって来る。早く来い来い、食欲の秋! 璃子、食べ過ぎるなよ!!


という訳かどうかは別として、週末は横浜にいた。1週間前、横浜・三沢のディーラーに修理に出していた車を引き取りに行った。

今回の修理は、シフトレバーの不具合である。
BMWの特徴の一つは、オートマチックにもマニュアルモードがあることだ。走行中にシフトレバーを助手席側に倒すとマニュアルモードに入る。オートマチックで5速で走っていれば、マニュアルモードに入れたとたんに4速に入る。あとは、シフトレバーを前に倒せば、3速、2速とシフトダウンし、出前に引けばシフトアップする。オートマチックでありながら、マニュアル的な走りも楽しめる。

私は専ら、エンジンブレーキをかけるのに使う。町中でも高速でも、できるだけブレーキは使わない。遠くの信号、3台前の車の走行状態を見ながら、減速が必要だと判断すればシフトレバーをマニュアルモードにし、シフトダウンする。だから、私の車のブレーキパッドは減りが少ない。

という走り方をするのだが、いま乗っている車は、どうやらシフトレバーの下にあってオート—マニュアル、マニュアルでの変速比を決める部品の設計に瑕疵があるような気がする。この部分の故障、実はこの車で2回目である。

1回目の故障は、5年目の車検の直前だった。オートマチックでは正常に走るのだが、マニュアルモードに入らない。修理に出し、取り外されたその部品を見ると、ケーブルが切れていた。ほとんどが電子制御されるようになった今の車でケーブルが切れたら最後だ。ドライバーの意志が車に伝わらなくなる。

恐らく、オート—マニュアル、マニュアルでのシフトダウン、アップを繰り返す私の運転で、その度にケーブルが前後左右に動き、周りとの摩擦で切れてしまったのだろう。

そして今回は、マニュアルモードには入るのだが、シフトダウンができなくなった。シフトアップはできる。だが、これではエンジンブレーキがかけられない。
ディーラーの話では、シフトダウンの信号を受け取るセンサーが壊れたのだという。であれば、そのセンサーだけ取り替えればいいと思うのだが、最近の機械はほとんどの部品がユニット化されている。センサーだけの交換はできず、シフトするパーツをそっくり取り替える。

「10万円ほどかかりますが」

1週間前、そういわれた。

「高い!」

と絶叫したら、

「では、9万円ということで」

さらに15日に受け取りに行くと、

「2度目の交換ということなので、8万5000円にしました」

これ、1万5000円も安くなったと喜んでいいのか、どうして何回も壊れるのかと怒るべきなのか。

メカニック担当と話した。

「ねえ、マニュアルモードはBMWの特徴の一つでしょ? 売りの一つともいえる。だから、私はエンジンブレーキを多用する走りをするようになった。それなのに、こんなに壊れるとは……。センサーの設計、コードが周りに触れてしまう設計、そのあたりに原因があると思うのだが。これって、そもそも設計ミスで、本来ならリコールの対象にしなきゃいけないんじゃないの?」

無論、返答はない。
ディーラーとは、弱い立場である。機能としては

「売ってやっている」

はずなのだが、現実には

「売らせていただいている」

のである。そのような構造にしてしまったのは、輸入総代理店であるBMWジャパンである。
この会社、クレームの窓口も外部に委託しており、電話で苦情を訴えても

「上に伝えておきます」

と電話口の女の子が答えるだけで、本当に上に伝わっている気配は皆無だ。BMWジャパンはこのように構築した壁でユーザーのクレームを遮断する一方、ディーラーに対しては

「BMWジャパンはディーラーに車を売る立場。一度引き渡したら、その時点で車に関する責任もディーラーに移る」

という姿勢を貫いている。設計上の瑕疵から生じる不具合も、よほどのものでないとリコールしないから、結局、ディーラーは客に何といわれようとひたすら頭を下げるしかなく、最後はユーザーが泣くことになる。私もその1人である。

この輸入総代理店というヤツ、いったいどんな仕事をしてるのかね? 輸入手続きと、広告代理店に命じての広告以外にやることがあるのかしら? その割に給料はいいとも聞くが。

そこまでいうのなら、国産車にしたらいい、と言う判断もあろう。たしかに、国産車のメーカーはユーザーの声に、少なくとも輸入車よりも敏感である。
だが、国産にBMWに匹敵する、乗って楽しい車があるか? あのエンジンレスポンス、エンジン音、足回り、シートの出来、デザイン……。

そんなことを考えるから、輸入総代理店の食い物にされるのだが、トヨタやホンダに乗っている自分を想像できない私は、自覚的な「餌」なのだよなあ、と我と我が身、その価値観を嘆くばかりである。


それはそれとして、昨日、横浜の瑛汰、璃子のもとから桐生に戻ろうとしたら、また騒ぎが起きた。
後部左の窓が少し開いていたので閉めようとした。が、スイッチを押してもガラスが上がらない。

「なにかひっかかっているのか?」

であれば、一度下げれば上がるだろう、と下げたら、下げた位置でガラスが止まり、そこからどうしても上がらなくなった。つまり、ガラス窓が開きっぱなしの状態になった。
50㎞ほどの速度を出すと、風が車内に舞い込んで猛烈な音を立てる。これでは高速道路は走れない。

「ということなんだけど」

前日引き取ったばかりの車を、再びディーラーに持ち込んだ。修理に次ぐ修理である。

泣きっ面に蜂。
が、考えてみれば、我が愛車は10年目。走行距離は間もなく9万7000㎞だ。桐生のガタガタ道をこれだけ走っていれば、疲れは全身にたまるだろう。それが一つ一つ表面化しているのが現状である。

「そうか、この車も、人間でいえば、俺と同じ程度の高齢者なのだ。そりゃあ、俺だって頸椎が変形したり、椎間板ヘルニアが出たり、γGTPが基準値以上になったり、中性脂肪値が高くなったり、不具合がいくつもある。車だって、あちこち壊れるのが当たり前だよなあ」

同病相憐れみながら、

「でも」

と思った。

「車は、経年劣化した部品を全部取り替え、外装を塗り直せば、少なくとも新車同様に甦る。それなのに、人間は経年劣化したパーツを取り替えることなど思いも寄らないし、シワが増えた外装を塗装し直すこともできない。不便なものである」

今回の修理で、ディーラーは現行の320d(ディーゼル車)を代車に貸してくれた。ディーラーが持つ試乗車である。
このディーゼルエンジンは快調だ。実にパワフルで、速い。ディーゼル独特の音も小さく、振動もほとんど気にならない。革製のシートの出来は、質感、座り心地ともに決して褒めたものではないが、エンジンの出来はすこぶるよい。
だが、わずか8万5000円の修理代しか払わない客に、走行距離3000㎞、まっさらのの新車を何故貸し出すのか?

「早く買い換えましょうよ。新車の方が快適でしょ?」

という誘いに過ぎないことは、重々分かる。確かに、新車は快適である。
だが、10年近く付き合った愛車も、あちこち不具合が頻出するとはいえ、快適なのである。

「そろそろ買い換えたいなあ」

とはちっとも思わない。だから、私は明言するのである。

「現行モデルは買わない。買い換えるとしても、次のモデルにする」

次のモデルが出るのは恐らく3年後。というわけで、我がポンコツ車よ、ともに高齢期を楽しもうな! できれば、修理費があまりかからないと、私は嬉しいぞ!!

と1人で納得している私である。